2014年8月25日から30日まで「Takebe Conference 2014 –A Satellite Conference of SEOUL ICM 2014- Traditional Mathematics of
East Asia and Related Topics」(お茶の水女子大学理学部)と題する国際会議が開催されました。会議初日の25日に「日本語デイー」と称して公開講演会も開かれました。講師の1人に国文学研究資料館館長の今井祐一郎先生をお招きしましたが、先生には「学術と啓蒙-日本語表記の観点から」と題してご講演をいただきました。和算と関係ないと思われるかも知れませんが、少しお付き合いください。
さて、先生のお話によりますと「日本語は漢字、片仮名、平仮名という3つの文字体系を持ち、---世界でも類を見ない言語になった」と指摘された上で、漢字片仮名は武士や知識人の使用する文字であり、学問的書物の執筆や出版に用いられた。一方、平仮名は女性や子どもの文字であり、啓蒙的な書物では漢字平仮名で書き表され、主題が視覚的に理解できるよう挿絵も挿入した。また、江戸時代の初めには「諺解」という用語が流行するが、これは朝鮮王朝で作られた固有の文字「諺文(ハングル)」を用いた中国の古典籍の注解を意味する。だが日本ではこれとは無関係に「俗語解」の意味で用い、漢字片仮名交じりで表した。啓蒙的意味が含まれているにせよそこには学問的態度が窺える、といわれました。和算に関心のおありの方は、なぜ私がこのような話題をここに持ち出したかは、氷解されたと存じます。
和算入門(1)で『割算書』と『塵劫記』を僅かに取り上げました。いずれも漢字平仮名交じりの文体で、草書体で書かれています。『塵劫記』には沢山の挿絵もあります。今西先生の見解に従えば、これらは「女性や子どものため」の算術書ということになりましょう。では、男子は草書体の算術を学ばなかったかと問えば、否です。和算の世界では、その外の分野もそうでしょうが、女性や子どもへの啓蒙というのは便法で、男子も漢字平仮名交じり文の算術書を読んでいました。因みに『割算書』はわり算を教える算術書です。なぜ割算書が出版されたかと問えば、かけ算はできても割算が忌避されるという時代背景があったからです。捷径に割算が覚えられる工夫が必要視されたのです。社会的需要といえます。例えば「八さんのしだい 二一 天さく五、---」とあります。これは割声といいますが、二の段から九の段まであるから「八算」と呼びました。例示は10÷2=5ならば「二一 天さく五」と唱えて、算盤の上梁に商の5をとることを表しています。商を覚えることには老若男女はまったく関係ありません。一方、寛永16年(1639)、河内国の今村知商は『竪亥録』を刊行しましたが、これは全文漢文で書かれていました。中国の伝統的表現形式を重んじたのです。
なお建部賢弘先生は、貞享2年(1685)、『発微算法演段諺解』を板行しました。これは関先生の『発微算法』に対するいわれのない批判への反駁でした。先生の考案した傍書法と演段術を普及する意図もありました。ですから漢字片仮名文で書いたものと思われます。また表題で使われた「諺解」が算術書として最初の用例です。建部先生は中国の古典籍にも精通していましたから、啓蒙だけでなく注解の意味も込めたと思われます。