ゼロ除算 100/0=0 は もはや説明も不要で、記号を含めて 数学的に既に確定していると考える。 100/0 は 割り算の自然な拡張として ある意味で定義されたが、 その正確な意味は微妙であり、いろいろな性質を調べることによって その意味を追求して行くことになる。
100/0=0 というのであるから、それは 100= 0 x 0 というような意味を有するであろうかと 問うことは可能である。 もちろん、x を普通の掛け算とすると0x0 =0 となり、矛盾である。ところが山根正巳氏によって発見された解釈、物理的な解釈は絶妙に楽しく、深い喜びの情念を与えるのではないだろうか:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of
the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on
0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI:
10.12732/ijam.v27i2.9.
等速で一直線上 異なる方向から、同じ一定の速さvで、同じ質量mの物体が近づいているとする。 その時、2つの物体の運動エネルギーの積は
m
×
m
=
で 一定 E^2
である。
ところが2つの物体が衝突して止まれば、vは ともにゼロになり、衝突の後では見かけ上
0 × 0
=
となるのではないだろうか。 その時はE^2 は 熱エネルギーなどに変わって、エネルギー保存の法則は成り立つが、ある意味での掛け算が、ゼロ掛けるゼロになっている現象を表していると考えられる。 ゼロ除算はこのような変化、不連続性を捉える数学になっているのではないだろうか。 意味深長な面白い現象を記述していると考える。
運動エネルギー、物質は数式上から消えて、別のものに変化した。 逆に考えると、形式上ないものが変化して、物とエネルギーが現れる。これはビッグバンの現象を裏付けているように感じられる。物理学者は 無から突然宇宙ができてきた と考えているようであるが、それは中々受け入れられないのではないだろうか。この点をある物理学者に問うたところ、プラスとマイナスに分かれて、元はゼロであるから おかしいとも言えない と説明された。 無から有が出てきたのではなくて、何かの大きな変化を ビッグバンは示しているのではないだろうか? 美空ひばりさまの佐渡情話(美空ひばり「ひばりの佐渡情話」 -
YouTube)など 何回見ても感動してしまうが、山根氏の上記解釈も何回想像しても 楽しくって、楽しくって仕方がない。 山根の現象が解明されるには 相当な歳月が掛かるのではないだろうか。数学の神秘性として注目して置きたい。
ゼロ除算には神秘性があるが、オイラーの公式における神秘性のように、神の意地悪として、解明されることはないだろうか。
ゼロ除算について一応数学的な内容を中心に解説してきたので、以後、ゼロ除算から湧いたいろいろな想い、研究の異様性、反響の異様性、数学と人間、研究とは何か、生きるということは どのようなことかなどについて触れていきたい。
次回は 研究の異様性について、回想して置こう。
( 以下、次号 )