杉田水脈さんが「同性カップルは生産性がない」と言ってぶったたかれました。
これ本心からどういう意図を持って仰られたのかよく分かりません。
(本心からと言うのは結局撤回してしまったので、自身でも差別の意図を持って
いたのかどうかと言う意味において)
僕は同性カップルは「淘汰されるべき生き物」だと思います。何となくですが
杉田水脈さんもそういうことが言いたかったんじゃないかなと思います。
「淘汰されるべき生き物」。これは差別でもなんでもなく「事実」です。
同性同士では子孫は残せません。故にその人達はその人達の代でお終い。
では何故種が残せないのか。ハッキリ言って「間違っている」からだと思います。
もう一度言います。同性愛は間違いです。だから淘汰される。
ではそれは絶対に許されない事かと言えば、「人に迷惑さえかけなければ」
「許されるべき事」なのかなと思います。犯罪ではありませんから。
ややこしくなるのでここでは性同一性障害という病気については別にして考え、
所謂同性愛者について書いていると思ってください。
さて、同性愛者ってなんでしょう?ウィキペディアをみてみると「男性同士または
女性同士の間で性愛や、同性への性的嗜好を示す人のこと。」とあります。
ホモセクシュアルについての記述があるのでレズビアンも一緒でしょう。最近
では「ゲイ」と言ってまとめられているのかも知れませんが、そんなことは
どうでもいいんです。要は異性に対して性的嗜好を示さない人のことなのだと
思います。仮にそうじゃなかったとしてもそこは重要ではありません。
先ほども述べたように「同性愛」という嗜好は「人に迷惑さえかけなければ」別に
悪いことだとは思いません。もし僕の知人の中にそう言う嗜好の人がいても
それは一向に構わないし、それをもって差別したり嫌悪感を持ったりはしないと
思います。と言うかしません。ただもし男性の同性愛者が僕に言い寄ってきたり
したらそれは「もの凄く不愉快」です。或いは行きつけのバーに同性愛カップル
がいて、目の前でいちゃいちゃされたらこれもまた「非常に不愉快」です。
同性愛カップルの中には一般的な大多数の同性愛ではない人たちに対し自分
達の立場などを認めさせたいが為にあえてこれ見よがしにそう言った行為をする
人がいますが、常識で考えてこれは大変マナーに欠く行為で異性同士の
カップルであったとしてもすべき事ではありませんが、同性愛カップルの中には
そう言った常識が欠落している方がいるように見受けます。そんな非常識な
輩を認められるはずがありません。
そう言うことをし始めた時点で「同性愛の人がいても仕方がない」という感情から
「あいつらなんだよ!」と言う敵対的な感情に変わっていってしまうのだと
思うのです。
ましてや同性婚を認めろ等と騒いでいる頭のおかしい非常識な人たちには
もうあきれて物も言えないどころか明確な嫌悪感がわき上がってきます。
彼ら(彼女ら)は、例えば配偶者控除など結婚によって享受できる様々な特典
を求めているのでしょう。でも考えてみてください。彼らに子供は出来ません。
子供を産みその子達を育てることによって、将来その子達がこの国を支え、また
年老いた両親なりを支えていくのです。或いは自分たちの自由がきかなくなる
ころ、その子供達が自分たちを助けてくれるかも知れません。
しかし子孫を残せない同性カップルは他の人たちが一生懸命子育てをし、
将来の為に行ってきた役務や努力の恩恵にすがるだけなのです。
勿論同性愛の方々がこの国の将来のためになんの役務もこなさず努力もして
いないなどとは言いません。ただ「子孫を残す」というのはとても重要なことで、
これはある意味「義務」と言っていいのではないかと思います。
だって全員が同性愛者だった場合、その代で人類は終わりなんですよ。
そういうことを言うと「異性同士結婚していても子供が出来ない夫婦もいるじゃ
ないか」という人が必ず出てきます。
ハッキリ言いましょう。異性同士結婚し子供を作ろうとしても出来なかった人達
と同性愛者を一緒にするな!と。
そう言う面からすると異性同士の結婚をしていても「子供が出来るのに作らない」
と言う選択をした人たちもまた同性愛者と同じ罪(あえて「罪」とします)なのかも
知れません。
同性同士では子孫は残せません。改めて言いますが、同性愛は異常です。
正常ではありません。ただそれ自体が「許し難い罪」であるかと言えばそうでは
ありませんが、「同性愛を正常だと思わせる行為」は許し難い罪だと思います。
今同性愛のカップルというのは全人口のどのくらいを締めているのでしょうか?
これが100%になった時点で人類は終わりな訳ですが、おそらく今は、というか
間違いなく50%を越えることはないでしょう。
だとするならば、何故過半数以下の人たちのエゴのために、過半数を超えた
人たちが不快な思いに耐えなければならないのでしょうか?
最後にまとめますと、「同性愛は淘汰されるべき存在であるのは間違いのない
事実」ですが。ただ「絶対に許されない物」ではないと思うのです。
ただし、許される条件として「自分たちの中だけでその嗜好を嗜み」、「自分達
は正常ではないと言うことをちゃんと認識し」た上で、「マナーを守って上品に
振る舞い」、「決して健常者に何かを強要したりしないこと」だと思います。