言葉の断崖絶壁!

翌日には既に昨日のジュマールパニックなど完全に頭から抜け、昼間はカルロスと一緒

にせっせと最下層労働者としてサイロの仕事にいそしみ、夜はいつものバーでバイトの

毎日。このバーのおかげで友達が凄く増えたし、何よりポルトガル語をかなりマスターして

きているように思う。いや、「もっとポルトガル語を勉強しなければいけない」と改めて

思わされて奮起したというのが正解かもしれない。これはすべての外国語に言えること

だと思うのだけど、少しできるようになって調子に乗っていると案外早いうちにものすごく

大きな壁にぶつかるのだ。だけどこれが「壁」等という生やさしい物じゃなくて「断崖絶壁」

特に僕のように勉学としてその言葉を「学習」していない人は。僕はポルトガル語を

しっかりと勉強していない。参考書を見たりしながら文法をしっかり理解して・・・などと

いう事は一切しておらずただひたすら喋り倒し、友人に注意されたことを直している

だけだ。目につくものはそれを指さし「O que isso no portugues?(これはポルトガル語で

なんというの?)」と聞きまくり、例えばコップを指さしてこれを聞いた場合には「copo」と

帰ってくるのだがそうしたら手の甲に油性マジックでcopoと書いてその後コップがある

ごとに近くにいる人に「isso e copo?(これってコップだよね?)」などとなんでもいいから

そのcopoという単語を使いまくるのだ。そして手の甲からその文字が消える事にはその

単語を覚えてるという感じ。しっかりと勉強している人は基礎が出来ているから単語の

数が増えるとどんどんとその言語が完璧になっていくのだろうけど僕のように赤ちゃんが

言葉を覚えるがごとく経験と反復で覚えている人は簡単なコミュニケーションがとれる

ようになるのは早いのだがその実応用が利かない。かくいう僕もまるで昔からそこに

住んでいるかの如くみんなとかる口をたたくことが出来るレベルに達していた。

だが、とても仲の良い友人が出来るにつれ、そういう人との会話は「表面的なもの」では

なく「深い話」になってくる。そうすると途端に言いたいことが言えてない(というか

言えない)という悲しい事実に気が付いてしまう。カルロスともかなり長い時間一緒に

居るが、彼とはあまり深い話はしない。というか彼がそういう話についてこないのと、

彼自身ボキャブラリーが少ないので僕も楽をしていたというのもあるだろう。更に仕事に

関することが話題の中心のためそれほどボキャブラリーを必要としないのだ。だがバーに

来る友人となると話は変わってくる。日本でも同じだろうが、酔っぱらって話をするときと

いうのはちょっと話をしてさっと離脱するという事がしにくい。つまるところサシで向かって

じっくり話すことが多くなるわけだ。こうなって初めて気が付くのが「自分のボキャブラリー

のなさ」だ。たまにしか合わない人に対しては一つのことを別々の人に話をすることに

よってすごく多くの会話をこなしているような気分になるのだが、実は同じことを反復

して言っているだけなのだ。例えばゴルドーがバーに来て「調子はどう?」とあいさつ

してきた場合「今日取締役がいきなり俺の職場に来てさ、同僚は全然気にしてない

みたいだったけど、俺は結構ドキドキだったよ!」などと話したとする。その後はたいてい

「なんで来たの?」とか「それでどうしたんだ」とか「怒られたのか?」みたいな質問が

来るから「わかんないよ」とか「実は俺が“一度職場を見に来てくれ”みたいなことを

言っちゃったんだよね」とか言いつつ会話を続ける。会話としては成立しているけれど

内容や使っている語彙は何とも「薄い」。にもかかわらず、今度はビールを運んでいった

先でジェルソンに出会い「ようニコ!調子どうだ?」とか話しかけられ握手しながら

「いいに決まってんじゃん!それより今日ジュマールが俺んところに来てさ・・・」などと

話をする。その時は「俺も随分喋れるようになったなぁ!今日もいろんなやつといろんな

ことを話したな!!」と思っているんだけど、実際は別の人と同じ話をしているだけで

使っているボキャブラリーはぼほ同じ。反復練習をしている部分のみ上手になっては

いるけれど、他のことは何も身になっていない状態であることに気づきもしない。

だが一人の友人とじっくり話し合うようになってくるとそうはいかない。上っ面な会話や

どうでもいい事はいくらでも話せても、真剣に悩みを相談された時などは、相手が言って

いること、こちらに伝えたいことが分かっているだけにこっちも真摯に話し合いに応じたい

のだけどそれが出来ない。これは本当にもどかしい。それにこの初期段階は自分の

ポルトガル語の能力がないという事に気が付かないことが非常に問題なのだ。

言いたいことが言えないもどかしさが自分の能力のなさだと気が付かない(というか

単語を増やせば解決できる程度にしか思っていない)し、なまじっか中途半端に

しゃべれるために例えば「上の方」と言いたいのに「上」という単語を知らないけれど「下」

と「反対」という言葉を知っていると「上にあるよ」と言わなければいけないところを

「下の反対にあるよ」という言い方をしてもとりあえずは通じてしまうのだ。

それゆえ言葉を覚え始める初期のように貪欲に単語を増やしたいと思わなくなって

いるから「上」という単語を調べもしなくなってしまうのだ。この事実に早く気が付けば

いいのだが、なまじっか「出来るようになった」という間違った自負があるためになかなか

この泥沼から抜けだせないのだ。かくいう僕もじたばたもがくばかりで勉学という手法に

よって努力しなかったがためにこの泥沼にどっぷりつかってしまった。泥沼なので

もがけばもがくほど深みにはまり、深みにはまればはまるほど抜け出しにくくなる

んですなぁ。さてではどう抜け出すか。「俺はこのままじゃダメだ!」と自らを見つめなおし

、もう一度一から真面目にブラッシュアップする。これが一番いい。だけどもともと反復と

経験で言葉をしゃべれるようになったぐらいで自分はできるようになったと勘違いして

いるおバカさんごとき(俺か?俺のことか?)が「俺はこのままじゃダメだ!」などと

謙虚な態度で自らを見直すことなどあるはずがない。そうなると道は一つでそのまま

停滞って事になる。で、停滞していると友達との会話が弾まないからだんだんと友達

といるのが億劫になり、それで疎遠になっちゃうとさらに言葉を使わないから余計に

下手になるという悪循環にはまるんだ。どうしたって「自分の能力を見直して頑張る」

しか道はないのだがなかなか・・・・。でも一つだけ、この壁を壊し停滞を解消する

最良にして最高の方法がある。恋人を作るのだ。友達同士なら適当でいい会話も恋人

になるとそうはいかない。というか友達同士なら「なんとなく伝わってるならいいか」って

事でも男女の間のことになると「本当にちゃんと伝わってるんだろうか?」という気持ち

になるものだ。だからおのずとちゃんと伝えようとして間違えを修正するための努力を

始めるのだ。しかも苦労も苦痛もなく。恋人と話すために言葉を勉強しているときは

不思議なことに(って不思議でもなんでもないけどね)それが全く苦にならない。

「勉強をする」という概念というか思考というかがまるでなく「思いを伝えたい」その一つに

尽きるようになる。これはものすごく効果的なんだよねぇ・・・。もし海外留学した人を

対象に言葉の習熟度を調査してみた場合恋人がいた人の方がいなかった人よりも

圧倒的に上達していると思うんだけどなぁ・・・というかそういう確信がある。絶対に

恋人がいた人の方が習熟していると断言しちゃいます。それでまぁ、私事で恐縮では

あるけれど、ジャネというガールフレンドを作りました。この時点ではまだ恋人という

程ではなかったんだけど、同じバーで働く女の子を好気になったわけ。準スラム出身

だったんだけど、僕にとってはスラムだとかそういうのは一切関係ないわけで、いつも

ニコニコして酔っ払いどもを上手にあしらい誰からも好かれ、何事にも手を抜くことなく

一生懸命働いている彼女がとても素敵に見えたんだ。身長は160センチぐらい。

すらっと細身で黒に近い濃い茶色の髪と、ちょっと緑の入った茶色の瞳が魅力的な

ラテン系の美女で、日本人が思う美人の顔なんだけど、唯一残念なところと言えば

歯並びが悪かったこと。口を開いていなければものすごく美人に見える、それゆえ

歯並びの悪さが際立ってしまうのか、彼女を「かわいい」という人はあまりいなかった。

僕は日本人で歯並びをあまり気にしたことがなかったからか、単純にものすごく美人

だなぁと思ったんだけどこの辺は文化の違いなんだろうなとつくづく思う。そんなわけで

じゃねを好きになった俺は(突然「俺」に戻るけど)、じゃねと話したい一心でいろいろと

言い回しなどを覚えようと努力開始。かくしてこれが第2次言葉の壁を破るきっかけに

なったわけだ。