最下層労働者としてサイロに職を得る

ジェルソンを見送りカルロスに向き直ると、「俺はニコだ。よろしく」と言って手を差し出す。

カルロスは黙って俺の手を握り返したが、その手に力は入っていなかった。なんとなく

おびえているようにも見える。なんとも気まずい雰囲気が流れるがどうにもできない。

俺は両目を吊り上げるしぐさをして「エウソージャポネス オリオプッシャード(俺日本人。

目が小さいだろ)」というと、一瞬にこりとしたがすぐに真顔に戻り沈黙。仕方がないので

俺は勝手にそのあたりを見て回った。床には飼料が散乱しており一部がグレーチングに

なっている。奥には麻袋に入った飼料が積まれているが、何とも適当で今にも崩れそう

というか、積まれているのか崩れてしまったのかわからない状態だ。よく見ると麻袋は

石灰のような白い粉が入っているものと、トウモロコシなどの資料が入っているものが

あるようだが、そんなのの区別なく適当に放り込まれている。

かなり広い体育館というか倉庫というかのその場所の入り口付近にあるグレーチングは

資料を落とす穴で、そこに資料を投げ込むとコンベアに乗ってサイロの方に運ばれる

らしい。乱雑においてある飼料袋はストック。入り口付近にボロボロのテーブルといすが

置いてある。ラジオはストラップで椅子の背にかけられておりテーブルの上には汚れた

ポットとカルロスの弁当らしき包み置かれている。トラックが入ってくると麻袋を降ろし

倉庫に積み上げ、サイロの飼料が減ったら袋を開けてそのグレーチングに投げ込むの

だろう。もっと活気のある雰囲気を想像していたが期待外れだったかもしれない。

大体カルロスが話してくれないんじゃポルトガル語の勉強にもならない。ふと嫌な予感が

よぎった。そういえば養鶏場やこのサイロなどで給与明細の受け取りサインをもらう時、

自分の名前のサインではなく、ぐしゃぐしゃと適当に何か書く人たちがいた。

毎回違うようなので「これが彼のサインなの?」とその時一緒に居たルシアノに聞いた時

「彼らは字が書けないからしょうがないんだ」と言っていた。そういえばこれはスラムの

人の仕事だとも言っていたな。まさか言葉が喋れないってことは無いよな?そう思って

恐る恐る「ボッセ ポージファラ ポルトゲス?(君ポルトガル語喋れる?)」と聞いてみた。

するとカルロスはいきなりものすごい早口で何かをしゃべり始めた。俺は一つも分から

ない。俺は両手を上げてカルロスを制し、「エウソージャポネス。ノンエンテンドポルト

ゲースナーダ ポルファボールミエンシーナ(俺は日本人でポルトガル語は分からない。

俺にポルトガル語を教えてくれ)」というとカルロスはにっこり笑ってラジオを指さし

「ハージオ!ハージオ!」という。俺がそれに続いて「ハージオ」というと「シン ハージオ

(そうだ、ラジオだ)」と言って次はテーブルを指さし「メーザ!メーザ!」で俺はそれに

続いて「メーザ」。カルロスの張り切り具合に参ったが、もしかしたら俺はものすごくいい

先生を見つけたのかもしれない。事務所で働く者にとって喋れる・書けるというのは当たり

前のことだが、スラムで暮らす彼らにとって「書く」というのは当たり前なことではない。

もしかして「言葉を教える」というのは彼らにとって誇らしい事なのかもしれない。

あるいは単に親切なだけかもしれないが、いずれにしろ俺には願ったりだ。

初日はずっとカルロス先生の反復練習講座に終始した。実際にトラックが来なければ

仕事らしい仕事は無い様で、その日は正直言って「一つも仕事がない」状態だった。

自分の給料に責任を持ちたいなど偉そうなことを言っていて、もっと低い賃金の仕事を

得た上、さらにそこでも仕事がないという大矛盾の中にいるのにそんなことに気づかぬ

ほど必死にカルロスとのコミュニケーションに力を使った。

翌日は朝からトラックが着いた。おかげでカルロス先生の反復講座はお預け。

必死にトラックから飼料袋を担いで降ろしては倉庫に運んで投げ込んだ。昨日は

カルロスだけだったのだが今は他に2人いる。俺と同じぐらいの年の体格のいい浅黒い

男ともう少し年上っぽい痩せた男。その痩せた男がトラックの上に載って下の3人(俺も

含めて)に荷を渡し、受け取った俺たちが倉庫に運んでいたのだが、途中でカルロスが

何か叫んだかと思うとトラックに乗り込み袋を渡す役に変わった。飼料袋は一袋30キロ

ぐらいだろうか。それがいくつ積んであるのだろう?15トントラックとして積載可能なのは

500袋だがとてもそんな少ない数じゃないと思う。積載量など関係ないという事か。

かなりな時間をかけて荷を下ろし終えると、カルロスが運転手の差し出した伝票にサイン

をさせてお終い。トラックは帰っていった。その間トラックの運転手は一切手伝うことは

無かった。俺は初めて会った二人に挨拶をしようと近寄ろうとするとカルロスは自分の

ポケットから金を出しそいつらに渡すとその二人は俺を一瞥しただけで特に興味もなさ

そうにどこかに行ってしまった。あれは誰だと聞いたのだが、俺にはカルロスが何と答え

てくれたのかよくわからなかった。おそらくスラム街の知り合いで、荷下ろしの時に自分の

取り分を少し分けて手伝ってもらっているのだろう。それにしてもあったばかりの時の

カルロスと言い今のやつらと言い、スラム街の連中というのは「金も食い物もあるやつ

から奪い取ってやる!」ぐらいのギラギラした感じなのかと思って心配していたのだが、

彼らが俺やジェルソンを見る目は使用人がある主を見るそれに近い。一体どういうこと

なのだろう。カルロスにしてみれば「ただで手伝ってっくれる」俺という存在は、一応

ありがたいものなのだろう。だが特に俺に対しては何も指示をしないという事はやはり

遠慮しているのだろうか。

いずれにしろしばらくはここが俺の職場なのだ。そう考えるとこの環境は我慢しがたい。

埃っぽくて雑然としていてそこら中に飼料が散らかり、不潔でもある。カルロスはトラックが

帰るとくだらないおしゃべりを始めるか、ふらっとどこかに行ってしまうか。残された俺は手持

無沙汰なので、飼料袋の整理を始めた。