カルロスのテリトリーを犯さぬよう・・・。

ここは基本的に飼料を蓄えておく場所ではあるものの、トラックが着いた時に荷下ろし

をするだけの場所と言っていい状態だった。

本来は飼料をストックし、サイロ側のストックが減ってきたらストックの袋を開け、グレー

チングにぶちまけてその下にあるコンベアでサイロまで運ばせるというのが正しい在り方

なのだろう。

しかしその辺にぶん投げてある飼料袋のおかげでストックなどする場所は無く、資料を

補充する場合は適当にその辺にある飼料袋をとっては上部を切り裂いて中身をコンベア

にのせる。空の袋はまたまた適当にその辺にぶん投げる。だから本来中身の入った

飼料袋をストックするはずである場所はゴミというかからの袋が散乱しているのだ。

最初「やっぱりカルロスはスラムの人だから仕事もいい加減なのかな?」と思っていた。

いい加減というのではなく「何をどうすべきか分かっていない」といったほうがいいかも

しれない。正直言ってここの労働環境はいいとは言えない。そりゃそうだろう。

最下層労働者の仕事だ。だからと言って俺までそこに浸る必要はない。とはいえもともと

人の居場所に後から入ってきたのは俺だ。つまりカルロスにはカルロスのやり方があるの

だろうから勝手なことをするとろくなことは無いというのは分かっていた。だが俺だって金を

貰う立場なのだ。何もしないで金を貰うことなどできない。ゴミを片付けたりその辺を整理

するぐらいだったら別にカルロスの邪魔にはならないだろうという思いから選んだのが

飼料袋の整理だ。

まず散らかっている空き袋を拾って歩いた。空袋をたたみ10枚ぐらい束にしてこれまた

からの袋に入れるのだ。こう書くと簡単だがやってみると拾い集めるのに労力がいるのと

場所が埃っぽく古くから放置されたと思われるものは拾い上げただけで忍者の術かと

思う程煙のように埃が立ち上るのであまり気分のいいものじゃない。窓から差し込んだ光に

きらきらと反射する誇りがきれい!!などと言ってる場合じゃないぐらい煙い。

最初気にしなかったのだがこれをいちいち肺に吸い込んでいるかと思うとなんだか

ものすごく体に悪いんじゃないかと思い、Tシャツの裾で口を押さえながらの作業

だったから余計にはかどらない。ゲホゲホ言いながらゴミを拾っているとカルロスが

やってきて不思議そうに見ている。こちらから「この袋を片付けて、そのあと中身の

入った飼料袋をきれいに並べて積み重ねていいか?」と身振り手振りを交えて聞いて

みた。カルロスの答えは「なんでそんなことするの?」というものだった。やはりそうだ。

こういういい方は失礼だが彼は「何をしていいかわからない」から「やれ」と言われたこと

だけを、つまりサイロの飼料が減ったら補給。トラックが飼料を積んで来たら荷下ろし

というのだけを忠実に守っていたのだ。彼が理解できるのはそこまでなのだ。

ブラジルは治安が悪いとよく言われる。スラム街などその最たるもので、日本人が

入ったらまず生きて出てこられないなど言う話が聞かれるがこれはある意味本当で

ある意味間違っていると思う。ブラジルのスラムというのは本当に「生まれてから一度も

教育を受けたことがない」人が殆ど。全員と言っても間違いではないかもしれない。

日本であれば生まれた子供は両親に、あるいは「大人に」育ててもらうのが当たり前だが

、ブラジルのスラムにおいては大人が面倒を見ず子供にやらせていたり、あるいは子供が

子供を産んだりするのも当たり前。教育を受けたことがないどころか「常識」の概念すら

日本で育った人には理解すらできない世界がそこにある。このことについては改めて話す

として、教育を受けていないことに加え手本となるものや人もいないので、散らかった

ものを整理整頓するなどという考えすらないのだ。

「なんでそんなことをするのか?」というカルロスの質問には答えず「君が嫌ならやらない

けれど嫌じゃないならやっていい?」とだけ言ってみると「pode ser(いいよ、とか好きに

すればって感じ)」というのでまずは散らかっている麻袋を片付けた。とはいえ片付けたと

思っても飼料の入った麻袋のしたやらそこかしこに落ちているのでそんな簡単な事では

ない。飼料の入った麻袋や石灰のような白い粉が入った麻袋を部屋の隅にそれぞれに

分けて積み上げていく。途中出てきたゴミはまとめて一か所に置く。

それを繰り返していくとなんとなくカルロスも俺の手伝い・・・というか俺の真似をして同じ

ことをするようになってくる。このことだけを見ても「ブラジル人は怠け者」などというのは

全くのでたらめであることが分かる。だって俺は手伝ってくれなどと一言も言っていない

のだ。本当の怠け者なら手伝ってくれといったところで「ヤダ」と言われるのがおちだろう。

それが自ら動いて手伝いをしてくれる。ブラジル人というのは向上心に満ち、親切なうえ、

日本人のような奥ゆかしさも持ち合わせたとても程度の高い人たちだと改めて実感した。

教育レベルが高いとか、そういう事じゃない。人類として価値のある人たちだということだ。

目の前にいるスラムの住人カルロスは働くことにためらいがない。身なりは貧しく教育

レベルも低いカルロス。彼に足りていないのは唯一「教育を受けるチャンス」だけだったの

ではないだろうかと思う。もくもくと片づけをしているとやはり飽きてくるのだろう、ぽつり

ぽつりとカルロスが俺に話しかけてくる。「日本ってぇのはバスでどのくらい時間が

かかるんだ?」「バスではいけないんだよ。飛行機に乗っていくんだ。大体24時間以上

かかるよ」「ふーん、遠いんだな」「そうだよ、地球の反対側なんだ。地球ってわかるよな?」

sin sin!!(もちろん!!)」といったカルロスの目は少しだけ泳いでいた。多分地球ってのも

なんとなく知っている程度なのだろう。それにカルロスは車を持っていない。おそらく金も

ないだろうからバスでどこかに行く事も無いのだろうが、彼が唯一遠くに行くための手段

として思い描くことが出来たのが「バス」だったんだとおもう。

それからしばらくの間、俺はカルロスとくだらないおしゃべりをしながらサイロの片づけをする

日々が続いた。1カ月もすると俺はかなりポルトガル語を理解するようになっていた。外国語

というのは簡単な会話を聞いたり話したりするのは案外すぐにできるものだ。この時はまだ後に

控えるものすごく大きな言葉の壁のことなど知る由もないわけだが、とにかくブラジルの人達と

かなり意思疎通が出来るようになってきたのがうれしくて他の仲間とは話をするために事務所

にもちょいちょい顔を出した。これは俺のポルトガル語の先生がカルロスだというのもその理由の

一つなのだが、やはりおかしな言葉遣いが結構あったようでカルロスしてみると俺に丁寧な

言葉を使ってくれているつもりなのだろうが彼はそんな言葉(丁寧語)なんて知らないから

「テメェはおなかすいていますか?」みたいな言い回しになっていたらしく、事務所のみんなは

そういうおかしな言い回しを直してくれるのだ。正しい使い方を教えてもらっても俺はカルロスに

それを教えるようなことはしない。あえて同じ言い回しが出来るようなシチュエーションを作り

使ってみるのだ。すると次からカルロスの言い回しも直っている。ふと思ったのだが、もし自分が

彼の立場だったらろくに言葉も分からない外人が使った言い回しで自分の間違えに気が付いた

だろうか?ましてやそれで自分の言い方を訂正したりするだろうか?ブラジル人は基本的に

勤勉で思慮深く親切であるというのはその通りだと思うのだけれど、もしかしたらカルロスは

とても頭のいい男なのかもしれない。まぁ、実際はそんなことを感じている余裕もなくただ必死に

ポルトガル語を覚え、覚えた単語を無理やり使って練習していただけなのだが、日に日に言いたい

ことが言えるようになったり、相手が行っていることがほぼ理解できるようになってきたという

実感もわいてきてとても楽しかった。