セクハラと体罰そしてISO

全くくだらないなぁ・・・・・・。2019年、改訂体罰防止法が参院本会議で全員一致で

可決したみたいですね。法改正のポイントとしては

・親が躾けに際して体罰を加える事を禁止する

・民法の「懲戒権」は施行後二年をめどに見直しを検討する

・児童相談所の一時保護と保護者の支援担当を分ける

・児童相談所には意志と保健師を配置する

・kがっこうや教育委員会、児童福祉施設の職員に守秘義務を課す

・都道府県などは親への再発防止の指導を行うよう努める

・家族が引っ越した場合に児童相談所間で速やかに情報を共有する

・・・・・っとまぁ、こんな内容が記されておりました。

ハッキリ言ってバカだなぁと思うし、なんて情けない世の中になったんだろうなぁと

思いますよ。こんな物作ったって絶対に良くなるはずがないと確信してます、僕。

理由は簡単。何故今までの日本が素晴らしい国であったかと言うことを考えれば

すぐに答えが出るはずであり、同時に今していることはそれまでの素晴らしい点を

完全に見誤っているというかスポイルする選択でしかないと言うことが分かるから

です。

単刀直入に言いましょう。

マニュアルを作ってもバカは利口になりません。そう言うことです。

マニュアルを作っておけばそれに従って罰することは出来るでしょう。でも根本的な

解決にはなりません。良くマニュアルを「フールプルーフ(foolproof)」と言ったり

しますよね。つまり「バカ除け」とか「バカでもチョンでも大丈夫なように」などと

いいますが、「除け」るだけで根本的な改善がなされない。

「間違いが出なければそれでいいんだよ」と思いますか?確かに「間違い」は

でないかも知れませんが「良く」はなりません。

ついでに言うと、こう言うのを悪用する人も多いと言うことも考えなければ

なりません。自分が散々教師を挑発しておいて、教師が我慢の限界を超えて

体罰を行う様を動画にとっておいてそれを拡散する馬鹿なガキなど言うのがその

例ですね。体罰以外にも単純に自分が嫌いな異性に何かされると過剰に「セクハラ

だ!」と騒ぐバカも一緒です。

セクハラをする方、体罰を行う方のみではなく、セクハラをされた側、体罰を受けた

側の状況も良く勘案して判断しなければならないのに、こういうマニュアルはいつも

片手オチ。そしてろくな結果を生まないんですよ。

ついでに言うと「あおり運転」もそうでしょ。あおり運転の厳罰化!とかいってますが

僕はあおり運転の多くは「あおられた側」に原因があることが殆ど何じゃ無いかと

思いますよ。高速の追い越し車線(右側)をだらだら走っていて、後続車がつい

イライラして近寄ってしまう(或いは前の車が遅すぎて詰まってしまう)と、「あおり

運転だ!」と騒ぐお馬鹿さんがいますが、こんなのあおられて当然です。

その一台のために多くの人が迷惑しているのに当の本人は素知らぬ顔で自分が

正しいと言い張る。全くたちが悪いですよ。僕は右側をだらだら走っている車を

あおっている車を見かけると思わず心の中で「頑張れ!」と声援を送ってしまい

ますけどね。

閑話休題。

とにかくデスね、何事も「マニュアル化」する前に、その本質を見極め根本的な

原因の究明を行うこと。その際に「常識のないバカの大声」に耳を傾けないこと。

その上でしっかりと道徳的教育を行い、必要な部分のみマニュアル化する。

これが大事だと思います。

さて、副題に「キリスト教のせい?」とありますね。これは一体なに?と思った

かた、ようやくご説明いたします。

僕はキリスト教の「汝を許す」という言葉が大嫌いです。一体何様が言っている

のかと思いますよ。キリスト様のことを「バーカ!」と言ったり、或いは「お前むかつく

んだよ!」と言って殴った相手に対してキリスト様が「汝を許す」というのであれば

まだいいのですが・・・・というか、もしそういうことをしてくる相手がいた場合、大事

なのは「汝を許す」などと言うことではなく「そう言うことはしちゃいけない」と教える

事が大事なのではないかと思うんですよ。

「あぁ、悪い事しちゃったから協会に行って懺悔しなくちゃ!!」

・・・・ちがーう!!悪いことはしちゃいけないの!!

悪いことはするなと教えなくちゃいけないの!!ここですよここ。

悪いことをしても許される?チャンスの与えられる社会?バカか!!

悪いことをしたら人生終わるぐらいの気持ちでいなくちゃいけないんですよ。

常に責任が伴う社会。そう言う意味では「右のほほをはたかれたら左のほほを

差し出しなさい」なんて馬鹿なことを言うよりも「右のほほをはたかれたら左のほほ

を殴り返せ」という方がよっぽど意味がある。責任が伴ってますよね、殴る側の。

悪いことをしてもまたチャンスが与えられる?甘いよ、あまい!!

最近はヤクザ者でも悪いことをして「自分は知りません」などと腰の抜けたことを言う

ヘボ野郎がいますが、ヤクザが怖かったのは「悪いことをしている」という自覚を

持って「死のうが刑務所に行こうが覚悟は出来ている」という気合いと覚悟があった

から。捕まって下らない言い訳をするヤクザなど虫けら以下です。

何が言いたいか分からないでしょ。つまりそこまでの覚悟を持って悪いことをして

いるのであれば、それはそれで「生き様」でしょう。

ルールを守る根性も、ルールを破る根性も無いクズを作っちゃいかんのです。

この意味分かりますか?どちらも根性がいるんですよ。

おそらくこの意味が分からない人が一生懸命「マニュアル」を作るんでしょうね。

ルールを守る根性、ルールを破る根性。この意味をしっかり教えることが、真の

意味での改善の第一歩ではないかと思います。