ベルリン国際映画祭

ベルリン国際映画祭が「男優賞」と「女優賞」をやめて次回から性別に関係なく

「主演俳優賞」と「助演俳優賞」という形にするというニュースを見ました。

なんだか力が抜けるほどくだらない話であると同時に「愚かな偽善」を感じます。

ジェンダーニュートラルはいいですが、実際に「女性」と「男性」という性別が

あって、マリリンモンローの美しさは明らかに女性的な美しさだし、シルベスター

スタローンのかっこよさは明らかに男性的なかっこよさです。

僕にはそれのどこがいけないのかさっぱり分かりません。

僕の知人の女性の多くは女性であることを楽しみ、女性としての美しさに磨きを

かけています。そういう人たちに「今日も素敵だね」というとたいていいやな

気分にはさせていないようですし、逆に「今日「は」素敵ジャン」などというと

今日「は」ってのはどういう意味よ!普段は素敵じゃないっての!!

などと怒られることもあります。

僕は男性として女性から「素敵ですね」言ってもらえれば素直にうれしいし、

たとえそれが自分の好きでない人からの言葉であっても、いやな気分には

なりません。

実際に存在する「男女」の区別(差別じゃないですよ、区別です)をなくすという

ことにいったいどんな意味があるんでしょう?さっきも言いましたが、男優賞、

女優賞という区別を作って不愉快な人がいるんでしょうか?確かにそれはいる

のかもしれません。ではそのように不愉快に感じるとか男女の区別に文句を

言いたい人というのは「大多数の意見」なのでしょうか?

はっきり言ってもしそれが大多数の意見なのであればそれに従うことによって

大多数の人が不愉快な思いをしなくてすむわけですからそうすべきです。

しかし大多数の人がなんとも思っていないのに愚かにも騒ぎ立てるわずかな

人のためにこういう行動をとるのは「間違っている」と思います。

それとはまったく別の観点で「ジェンダーレス」というものがあるのであれば、

そもそもその意味が僕には分かりません。

まったくおかしな世の中になったものです。

蛇足ではありますが、「少数派の意見を無視してよい」というつもりはまったく

ありません。少しでも多くの人が快適に過ごせるようにするために、少数派の

人の意見にも積極的に耳を傾け打開策を検討するのはいいことだと思います。

ただ「騒がしいやつがいてめんどくさいから」という理由でサイレンとマジョリティー

といわれるもの言わぬ多くの人に不愉快や不便を強いるというのは間違いだと

思うのです。

僕は何度でも言います。ホモがいてもレズがいてもゲイがいてもいい。

ただ「男女の区別をなくす」という判断は意味が無い上に愚かだと思います。