サンナ・マリン

フィンランドのサンナ・マリン首相が知人らとパーティーをしつつ踊っている動画が

世間の大きな話題になっていますね。

サンナ・マリンと言えば36歳の若き首相であるだけでなく、美しい女性である事も

その話題のひとつ。でまぁ、ノリノリで踊っている動画が話題となり「首相として

相応しくない」と言う意見があったり、「9時にはベッドに入るもうろくした老人が

やるよりよほどいい」という意見があったり。面白かったのは日本からの投稿で

「こんな若い人が首相になるなんて日本だったらあり得ないから羨ましい」などと

言うものもあったけど、僕にしてみると批判している人も喜んでいる人もどちらも

「話になりませんね」というのが正直な意見です。どうしてもどちらかに共感する

必要があるのであれば否定的な意見の方でしょうか?

そうはいっても僕は彼女の行為自体を批判する気は一切ありません。

誰かが「彼女がクラブに行って踊っている時間より、トランプがコースに出てゴルフ

している時間の方が長い」という指摘をしてましたが、そんなことはどうでもいい

んですよ。要は「どれだけ国の事を考えているか」と「国のために何をすればよい

か判断できる能力があるか」と「すべき事を実行できる能力があるか」だけです。

彼女(と言うか首相や大統領となる人)が判断されるのは。

今彼女の「踊って騒ぐ」という行為に対して肯定的な発言をしている人というのは

おそらくあまり学がない人か、判断力の無い人なのではないかと思います。

この判断をしていいのは彼女が実績を残したとき。今はまだその判断をすべき

時ではないのではないでしょうか?方や「首相として相応しくない」と言っている

人。この方達は学がないとか判断力がないとは言いませんが、考え方の柔軟性

が足りない無いように思います。と言うことはフラットな考えが出来ない人なのかな

とも思います。僕は友人達とパーティーをして楽しく騒いで踊る行為というのが

「品位に欠く行為」だとは一切思いません。ですから彼女のそこを見て「ダメ」と

言うのは時代遅れ云々以前に頭が硬いとしか言いようがありません。

と言いつつ冒頭僕は「どちらかと言えば否定的」と書きました。何故か。

彼女のNATO加入の判断は賛成します。しかもロシアの脅しに屈しないその

態度も賞賛に値すると思います。しかしそれが本当に性根の座った言動である

ならば当然「ウクライナの現状」を理解していなければなりません。つまり「もしか

してロシアの攻撃対象が自分たちになったら」というのを考えておかなければ

いけないと言うことです。現状を正確に把握し、対処し、或いは根回しをしなければ

ならない状況にあるのは容易の想像できますが、そう考えると「踊ってる暇なんて

無いだろう」と思うのが普通だと思います。と言うより彼女が判断しなければいけ

ないのは「国全体に関しての諸々」なのです。僕は彼女が今の時点でそれ全てに

対応できる知識や技術や人脈があるとは思えません。それを考えると僕もやはり

「踊ってる場合じゃないんじゃないですか?」と言いたくなるのです。

そういうことを言うと「人間息抜きも必要だ」とか「ちょっと踊るぐらい何が悪い」など

と言う人が必ず出てきます。

ハッキリ言いますが、そういうことを言う人は責任ある立場で何かをやり遂げた

事が無い人だと思います。ここ、もう少し正確に書くと「責任ある立場になったこと

が無い」か「責任ある立場になったけど自分の力で責任を全うしないかできない」

ひとと言うことです。何が言いたいかというと、例えば管理職になるとか、自分で

事業を興して人を雇ったりしたことのある人であれば「自分の時間なんて一分も

ない」と言うのを経験していると思います。息抜きなんて言ってる場合じゃない。

寝る時間や食事をする時間すら無い中で勉強し、走り回って人と会い話し合ったり

お願いするために頭を下げたり。息抜きより優先すべきは「出すべき結果」なわけ

です。運のいい起業家の場合苦労知らずな人もいるかも知れません。だけど

その人が本当に責任感のある人だった場合必ず「寝る間もない」と言うときが

来るのではないかと思います。

さて、首相という立場、しかもウクライナとロシアで戦争が起こっていて、ロシアと

してはNATOは自国の驚異と言っている状況下においてNATOに参加する

表明をしたサンナ・マリン。ハッキリ言って「踊ってる場合じゃない」のではないかと

思いますよ。みんなとパーティーをして楽しく踊るのは「すべき事をしたあと」です。

現状鑑みると「NATOに加盟する」と断言したのは思慮深く先を見越してのこと、

しかも性根を据えて国の将来を考えてのことではなく単なる匹夫の勇にしか

見えません。

長々と書きましたが彼女の行動がいいとか悪いと言っている人たちに対する

明確な答えを出してくれている人がいます。

(ジェイミー・バートン氏がニューズウィークに寄稿した文章から引用)

【ナショナル・レビュー誌のライター、ダン・マクラフリンは、今回の動画に対する

人々の反応を総括し、マリンの首相としての実績次第だと指摘している。「彼女の

仕事ぶりが良ければ、これは魅力的だ。そうでないなら、不快だ。民主主義国家

では、有権者は奇抜さや軽薄さをきょようするだろうが、それは成果をだしさえ

すればだ」】

全くその通り。これでおわかりいただけただろうか?彼女の行動に対していいとか

悪いとか、ましてや「ああいう人が首相に選ばれる国が羨ましい」などと言っている

人は自分の判断基準というか評価すべき点がずれてしまっていることに気がついて

欲しいと思います。

さて、全然話は変わりますがこの「サンナ・マリン」というお名前。

僕にとってはもの凄く親近感と違和感が混在する「ぞわぞわする名前」なんです。

なんでかって?いやね、かつてファンだった「プリティー・リトル・ライアーズ」という

ドラマに出ていた主人公の一人が「ハンナ・マリン」と言うんです。

だから凄く「なじみがある感じ」であると同時に「ハンナ」じゃなくて「サンナ」という

何とも言えない「コレジャナイ」感に違和感を覚えちゃうと言う・・・。

どうでもいいですよね。じゃ、ついでにもっとどうでもいいことを。僕は「ハンナ」より

「スペンサー・ヘイスティングス」が好きでした。ハンナの方がかわいいけどね。