愚かな黒人准教授

アメリカのウジュ・アーニャという人が話題になっている。この人はカーネギー・メロン

大学の準教授らしいのだが、エリザベス女王が逝去前に医師の管理下に置かれた

際、「泥棒で、性的暴行者の大量殺戮帝国の君主がついに死にかけていると聞い

た。彼女の痛みが耐え難いものでありますように」とツイートしたらしい。

彼女の両親は被植民地者でジェノサイドのサバイバーだというのがこの発言を

行った理由らしい。すぐに彼女(ウジュ・アーニャ)は非難の対象になったが、彼女は

「私はなんの謝罪もしない。私は自分の発言を固持する。彼女(エリザベス女王)の

統治を直接受けたものとして、また、被植民者の子供として、私はこの女性の人生

や君主制、そしてイギリス君主制の歴史が全体的に私にどんな意味があるのか

述べる権利がある。”死者の悪口を言うな”というのは、抑圧された人々を黙らせ、

圧制者をもてはやし、圧制者の歴史の好ましくない部分を削除するために圧制

された人々に向けられる武器だ。どんな敬意を、私が彼女に対し、彼女のファミリー

に対し、払わねばならないというのか。そうね、彼女のファミリーは彼女の死を悼ん

でいる。私のファミリーもまた(ファミリーの死を)痛んでいるのよ」

と言っている。

・・・・本当に愚かで貧しく、しかも卑しい精神の持ち主だとしか思えない。

まず僕の意見を言うと、彼女がそう思うのは勝手だし、或いは心の底から女王に

恨みと怒りを持っていて、女王が苦痛の中で死んで欲しいと思っていてもいいと

思う。だけどそれを死の淵にいる人に対して声高に宣言するというのは非常に

「卑しい」行動に他ならないように思う。

更に言うなら、彼女は大学の准教授という立場を手にある。その立場の人間が

死の淵にいる人に対して発する言葉としてははなはだ知性に欠けると強く思う。

ちなみに「死の淵にいる」としたのみで「女王という立場」という文言を入れなかった

のは、彼女にとってはそれこそが憎むべき対象であるだろうから。

端的に苦しんでいる人が更に苦しむことを願う事を「公に発表」する行為に対して

「非常に稚拙で卑しく知性がない」と言いたい。

さて、この恥ずかしい行動に対して彼女は「謝罪しない」と言っている訳だが、驚く

のは4千人近くが彼女に賛同していることだ。

「驚く」と書いてしまったが、実際は驚くに値しないだろう。なぜなら「アメリカとは

そう言う国に成り下がってきている」から。

かの国は「差別に於ける被害者」の立場がが手に入れば何でも許される。

マジョリティーよりマイノリティーであることの方が得の多い国なのだから。

僕に言わせれば「非常に稚拙で愚かで卑しい黒人女性」の彼女を批判でもしよう

ものならまるで常識知らずなレイシストのような扱いを受けるに違いない。

BLM運動の時のデモ参加者を見てみれば一目瞭然。略奪や破壊をしてもそれを

諫めようものならその人が悪者にされてしまう。

ただね、そろそろ「だめなものはダメ」といえる社会に戻しませんか?

ウジュさんがエリザベス女王のことが大嫌いで苦しみもだえて死んで欲しいと思う

のは勝手だし、ある意味仕方がないし、いいと思いますよ。更に言えば女王が

ご健在の時にいくら言おうがいいと思います。ただタイミングというものがあると

僕は思うんです。彼女がそれを言ったのは「言っちゃダメなとき」でしょう。

僕はウジュさんに「あなたがその発言をするのは良くないし、知性と品性に欠け、

稚拙で卑しい行為です」というのが女王がご健在なときであれば批判されても

仕方がない(ウジュさんにはそれを言う権利がある)と思いますが、天に召される

瀬戸際であれば僕の言い分が通るべきだと思います。

つまり「彼女が女王を嫌う権利もそれを発表する権利もあるけれど、それは常に

ある物ではなく状況次第では慎まなければならないときがある」と言うことです。

BLMにおいては「黒人だからと言って差別されるべきではない」という発言に

対しては100%賛同しますし、もっと明確に「黒人差別はやめろ」と言ってもいいと

思うのですが、だからといって「暴動を起こしてはいけない」し、暴動を起こした

愚かな連中を非難した場合、非難した人が攻撃の対象になるなんて間違っている。

だめなものはダメ。或いはホモやレズのかたの権利云々で言えば、同性同士結婚

する権利や、異性と結婚したのと同じ権利(扶養家族に関するものなど)が与え

られるというのはいいと思います。ただ「子供を持つ権利」は無いと思うのです。

生物学上同性同士では子供は出来ない。子孫繁栄というか、遺伝子を残せない

様になっているのです。それはあえて言うなら「正しくない」とか「間違っている」から

ではないでしょうか。「正しくない者(物、モノ)は淘汰される」。

21世紀になってから、僕はだんだんと「間違ったモノが幅をきかす時代になって

きている」と思えてなりません。

時代によって価値観は変わるものだ、と言う人もいます。確かにそうでしょう。

ですが、例えば「人の物を盗んでもいいとされる世界」「嘘をついてもいいとされる

世界」「暴力で何でも決まる世界」「礼儀や恩の無い世界」が快適だとは、僕は

思いません。ですから僕は僕なりに自分や自分と考えを同じくする人達が快適に

居られるよう努力していきたいと思っています。

その努力とは何か。こういう愚かな人を「愚かだ」と言うことです。いや、この人が

おろかというのとはちょっと違いますね。このようにTPOをわきまえない人にそれを

指摘するというか。で、こういう事を言う僕に突っかかってくる輩を「無視せず」

「しっかりと攻撃に対しては攻撃で返す」と言うことを実践していきたいと思います。

因みにね、例えばレンホーとか辻元って愚かな人を見てみてください。ああいう人は

何も構築できず人を攻撃するだけ、騒ぐだけ。こういう人を放っておかない事こそが

住みやすい社会を作る第一歩なんじゃないかと思うんですよ。