風土の解凍をすべき相撲界


当初これは「武士・貴乃花親方」という題で書き始めましたが、あまりに馬鹿馬鹿しくなった

ので、内容を全て書き換える事にしました。

元々この問題は「なぜ被害者であるはずの貴ノ岩と、その親方である貴乃花親方がまるで

悪者のように言われなくてはならないのか」と言うのが私の疑問でした。

暴行を受けて大けがをしたのは貴ノ岩であるにもかかわらず、報道は貴乃花親方が

協会に報告を怠ったとか、事態を大事にしたという報道ばかり。

テレビのコメンテーターもまた貴乃花親方の報告義務違反などをのたまっておりましたが、

日馬富士の暴行を批判したり叱責したりする声が殆どありませんでした。

そうこうしているうちにモンゴルから旭鷲山が乗り込んできて更に問題を引っかき回す。

一体何のつもりで、どういう立場でこのモンゴル人が出てきたのか分からないのですが、

この旭鷲山も「かわいがりは相撲の文化」みたいなことを言いつつ、「何故ここまで問題が

大きくなる前に内々で処理できなかったのか」ってな事を言い出すしまつです。

最終的に日馬富士が引退することとなり伊勢ヶ浜親方と会見を開くわけですが、その場に

おいても尚暴行し怪我をさせた貴ノ岩に対する謝罪の言葉は一切ないどころか、まるで

自分達が被害者、若しくはそれほど非がないけれど横綱という立場上悪者になって潔く

責任を取ったような態度。

少し話を変えますが、僕はかわいがりは「あり」だと思っています。

僕自身長く体育会系の運動部に所属していたため、「理不尽としか思えないような」

かわいがり受けてきました。

それこそ殴る、蹴ると言った物から、やたらとハードな練習、或いは「コーラを買ってこい」

と言われお金を渡されたから近場のコンビニで買って来て差し出すと、「俺は○○駅前

(学校から5駅ほど離れた駅)の交番の横にある自動販売機で買ったコーラが飲みてぇ

んだよ!」と言ってぶっ飛ばされるという訳の分からないものまで数知れず。

その時は「このクソ先輩、いつかぶちのめしてやる」とか思いつつ、その思いを糧に

がんばり抜き、いざ先輩が引退や卒業する際は不思議と「ぶちのめしてやる」という感情は

なくなり連帯感だけが残りつつ、「ぶっ飛ばしてやる」という消えたはずの感情は、ひそかに

「よし、これで後輩が入ってきたら何をやらせようか!」という、まぁ、ちょっといけない気持ち

に変わっていたりしたわけです。

で、僕も先輩からやられたのと同じようなことを後輩にやる。その時の爽快感ったら無い!

これもかわいがりの文化であり、実はここで鍛えられた純粋な耐力や忍耐力、或いは

「命令に従い結果を出す」という根性は今でも結構役に立っているわけです。

なので「かわいがり」は否定しません。

では日馬富士が行ったことを認めるのか?あなたは相撲協会やそれを取り巻く人々、

或いは旭鷲山と同じ意見なのかと問われれば、答えは「いいえ」です。

それは何故か?日馬富士が行ったのは「かわいがり」ではなくて「暴行」だからです。

物には限度という物があります。

頭を縫うような怪我を負わせ、それにもかかわらずその行為に反省すら出来ない小物は

人をかわいがる資格も権利もありません。

或いは力士というタフな人たちの間においてはこの程度の傷はかわいいものなのかも

知れませんが、「別の部屋の力士に対して」というのはハッキリ言って筋違いです。

体育会時代、大会か何かで他校の生徒と一緒になることが良くありますが、その際うちの

学校の下級生が他校の生徒に失礼をしてしまい、他校の生徒から殴られたりしたとします。

このとき仮にうちの下級生に非があったとしても、他校の生徒が自分の後輩に手を出した

のであれば、私は間違いなく下級生を殴った他校の生徒に殴り込みをかけたでしょう。

ただ、他校の生徒がこちらの下級生を殴ったりせず、口頭で「オタクの下級生はこちら

(他校)の生徒にこんなひどい事をした。オタクらの躾がなってないんじゃないか?」と

言ってこられたら、こちらは謝罪するしか有りません。

つまり体育会において他校の下級生の態度が悪いときは直接指導するのではなく、その

生徒が所属する学校の上級生にクレームを言うというのがマナーでありルールであった

様に思います。

さて、何が言いたいかですが、「かわいがりが文化だとかいいとか悪いとかではなく」

「かわいがりとは何か」をまず議論するべきでしょう。

そして今回日馬富士が行ったことを「暴行だ」と認識できないバカが「かわいがり」云々を

口にすることが根本的な問題なのではないかと思います。

会見での伊勢ヶ浜親方の態度を見ていると、こういう小物のバカに弟子入りした人は心底

可哀想だと思いました。

おそらく日馬富士もつらい稽古やかわいがりに耐えてきたのでしょう。

ただその日馬富士を指導する立場の人間が、人間的に欠陥のある人だった。

そういう人に師事したところで、それらの経験が後に生きてくるはずがありません。

何とも可哀想な話です。日馬富士が貴乃花親方の弟子であればこんな事にはならな

かったかも知れない。

本当のかわいがりであるならば、事を大きくすると言うのは得策ではありなせんが、今回の

場合はかわいがりではないので貴乃花親方の行動が正解だと思います。

そして更に言うならば、相撲界をこれほどダメにしたのはモンゴル人なのではないかと

言う思いがわき上がってきています。もちろんそれを制することが出来ない日本人力士

は情けない限りですが、やはり日本の文化は日本人、若しくは本当にその心を受け継げる

人のみが継承することが出来るのだろうなぁと改めて思いました。

いずれにしろ脈々と続いてきた相撲文化は、何かの原因で途中でねじ曲がって腐って

枯れかかっております。今ここですべきはそういった悪しき文化の解凍と、モンゴル人

力士会の解体なんじゃないかと思います。

今それが出来るのは貴乃花親方をおいて他にはいないのではないでしょうか。