時代が変わったんだね。

なんだか最近「本当に一つの時代が終わったんだな」と実感することがあります。

日本が「ファッションリーダー」だとか「カッコイイ国」だとか「個性の国」と言われる

事に最近やっと慣れてきました。

だって僕の時代は「ダサイ国」であり「個性がない国」の筆頭だったんですから。

何しろ日本人のイメージというのは7:3分けのヘアスタイル、黒縁めがね、

グレーのスーツ、頭がでかく背が低く、首からカメラをぶら下げて集団で観光する

というのがその主なイメージだったと思います。

全く個性が無く、誰も彼も同じような出で立ちで、カラフルさはみじんもなくその

イメージは「グレー」。

最近テレビを見ているとアメリカのみならず、イタリアやフランスの道行くカッコイイ

人たちが「日本はセンスがいい」とか言っているのを聞くとこそばゆくって。

これも一つの時代の変化だと思うのですが、僕がいいたいのはそれとちょっと

違っていて、「記憶媒体がICになった事による変化」ががもたらしたモノが一つの

時代を終わらせたというか、次の時代の扉を開いた様な気がするのです。

記憶媒体。ざっと考えてみると、フィルム、カセットテープ、ビデオテープ、本

新聞、レコード、この辺が活躍していた時代というのは、例えばテープを自分で

リールにまかなくてはいけ無かったのがカセットになり、更に再生するとき

自動でリバースしてくれるとか、或いはテープなどの素材を工夫して音を良く

するとか、本やフィルムは白黒だったのがカラーになるとか、まぁ、その物自体の

何処かを工夫することによって向上させていたわけです。

だから新聞と写真機は一緒にならないし、レコードと本も一緒にはならなかった

わけです。

でも最近のアイフォンとかを見ると、それで音楽も聴けるし写真やビデオも撮れる

し、新聞や小説や漫画も読める。声を録音することも出来れば電話まで出来る。

「本」とか「カセットプレイヤー」とか「写真機」という概念をぶちこわしてしまった

わけです。

ポルシェ博士が「形状は機能に従う」というようなことをおっしゃったわけですが、

今の製品にとって「形状」はデザインでしか有りません。

例えばカメラ。あれは中にフィルムを広げ、そこにシャッターを使って一瞬外の

景色をレンズを通してそれに投影することによってネガが出来る。

つまり「フィルムを広げ、そこに外の光を一瞬投影する」ために必要だった形

なわけです。

しかし今はそんな形一切必要ない。

うまく表現できないのですが、記憶媒体を何でもかんでもICとすることで、その

モノ(道具)の機能を変化させ、個性的な形を奪ってしまったわけです。

最近古いラジカセやカメラを模したMP3プレイヤーやデジカメが出てますが、

その形はあくまでもデザインであって機能と関係有りません。

更に言うならば自動車。

エンジンがあって、そこで生まれた動力を伝達する機能があって・・・。

だけどこれがモーターで動くようになったら、タイヤさえ付いていればその中に

モーターを仕込み、どんな形でも作れる。

現状は「空力」を考慮してかどの車も同じような形になってますが、これからは

逆に「今までは想像もしなかった形」のモノが出てくるでしょう。

もっと深いところでは人と人の関わりや、社会のあり方というのが最もインパクト

がある中で大きく変化しているわけですが、そこを書き始めるととんでもなく

長くなってしまうので割愛。

いずれにしろ、本当に時代が変わってしまったなと実感することが多々あります。

機会を見て昔と今を比べてみたいと思います。