翻訳家のセンスと力量

前ページでは「翻訳家のセンスと力量における読書の楽しさとの関連性について」

等という偉そうなタイトルにしましたが、要するに「翻訳家の善し悪しで翻訳本の

楽しさって決まっちゃうんじゃないのかい?」ってお話しです。

さて、僕は本を読むのが結構好きなんです。幼稚園の頃は図鑑などを見て楽しんで

いたんですが、中学校低学年の時「大藪晴彦」さんの作品にであい、そこから

何となく本を読むのが好きになり、飛行機や電車(バスは酔うからダメ!)の中や、

何かの待ち時間に本を読むのがとてもいい息抜きの時間になっています。

昔は(今もか?)お金が無かったので友達と貸し借りしたり、古本屋さんに行って

一応内容をぱらぱらとかいつまんで読んで、面白そうだったら購入という手続きを

取っていたため、海外の作家さんの翻訳本を読む機会というのはあまりありません

でした。しかし最近はブックオフなる便利な古本屋さんが各地にあり、出張先などで

それを見つけると、背表紙の題だけ見て何も考えず買ったりするようになりました。

これは結構スリリングですが面白く、普段だったら自分では買わないだろうと思う

ものの、すごく面白い本に出会えたりして楽しいのです。

で、海外の作家さんの本なども手に取るようになった訳なんですが、海外の作家

さんの本というのは日本のそれと違いやたらと登場人物が多かったり、あるいは

同じ人なのにその人を呼ぶ人が使うあだ名がいちいち違っていたりして「誰がだれ

だか分からなくなる」ことがあります。

海外の作家さんの小説を読み慣れない人はこれだけで嫌になってしまうでしょう。

(そんなわけでか知りませんが、海外の作家さんの小説には背表紙に登場人物

やその相関関係一覧が書いてあることが良くありますよね)

ただでさえ生活圏やら文化やらが違う人が書いている訳ですから、なかなか上手に

その作家さんが思い描いている風景を想像できないのに、誰が誰だか分からなく

なってしまったのでは「話の内容にのめり込む」余裕すら有りません。

とはいえ、これについては最初ちょっと我慢して読み進めさえすれば、きっと慣れ、

楽しく読めるのではないかと思います。

・・・・・・・・が、ここで大事になってくるのが翻訳家です。

皆さんよくご存知だと思いますが、日本でも大ヒットしたハリーポッター。

これなどは空想の世界ですから、ハリーがどんな子なのか、ディメンターだとか

くびなし何チャラとかそういうのがどういうモノなのか、きっと皆さんそれぞれ思い

描きつつ楽しまれたことと思います。

映画化されてからはハッキリビジュアルとしてイメージできて、更に小説を読むのが

楽しかったのではないかと思うのですが、そういった「全くの空想のもの」ですら

それぞれが思い描く雰囲気や形が違っていたとしても、でもしっかりと自分なりの

イメージを持って読めるというのは「翻訳家がすごいから」に他ならないからでは

無いかと思うのです。

翻訳家の方自身がその小説を愛し、読み込んで、自分のイメージしたモノを文字に

わかりやすく落とし込んでいく。場合によったら何度も読み返したり、或いは実在

するモノであればそれを調べたりしてディテールを作り上げていくのではないかと

思うのです。だからこそ読み手側もそのイメージが作り上げられる。

映画の字幕もそうで、僕の大好きな「戸田奈津子」さんの訳は非常にわかりや

すくて面白いと思うのですが、その戸田奈津子さんがこんな事を仰っていました。

「原文に忠実に訳すのではなく、その状況や日本の文化にあった言葉にして

映画を見ている人に伝えるのが大事。」と。(正確じゃないですが・・・)

これは僕も本当にその通りだと思います。

だって英語の授業じゃないわけですから、直訳されるよりもその場の雰囲気に

合わせてわかりやすく訳してくれた方がいいじゃないですか。

ここでポイントとなるのが「わかりやすいと言っても違う意味を持っちゃダメ」って

事でしょう。戸田奈津子さんのすごさはこの辺りにあるのだと思います。

閑話休題。

なぜいきなりなんでこんな事を書き始めたかと言いますと、実は最近「本当はすごく

面白いだろうに、訳がひどくて読んでいられない」小説にであったからです。

この小説は豪雪の山岳地帯に飛行機が不時着し、その飛行機に細菌兵器が積み

込まれており、その細菌兵器は飛行機が不時着した地域の原住民(インディアン

みたいなモノでしょうか?)を対象とした研究らしく、不時着した飛行機に乗っていた

のは悪人達。その場に居合わせた原住民が「自分たちに良からぬ事を画策する

輩が乗っていた」というのを知り、たまたま遊びに来ていた親戚(だったかな?)の

FBIの女性と共に豪雪の雪山で細菌兵器に関する書類の争奪戦を繰り広げると言う

お話しです。(題や出版社を書くと翻訳家に悪いので大雑把な内容だけで勘弁)

例えば原住民が敵対する相手に忍び寄るシーン。「雪は高く積もっており、男は

肘を前に出し、切り倒した丸太の幅を少しずつ前に進む。体は雪に埋まっている。

男の体は低い。それ故相手はまだ気がついていないように見える。」

(ちなみに本当の訳はもっと複雑なのですが、そのまま書くのも何なので自分なりに

問題点が分かりやすいように書き直してあります)

・・・・これぱっとその状況が想像できますか?おそらくこういう事だと思います。

「原住民は敵に悟られないよう、高く降り積もった雪の中に体を埋めるようにして

匍匐前進でわずかずつ敵に近づいていった。まだ敵は自分の存在に気付いて

いないようだ」。

繰り返しますが小説などの翻訳というのは「如何に正確に訳すか」と言うことよりも、

「どれだけ日本人がその状況を思い描けるか」が重要なのではないかと思います。

もしその部分が重要な要素をしめるのであれば、もちろんちゃんと訳さなければ

いけません。しかしどうでもいいような部分は適当に日本人にわかりやすく意訳

しちゃえばいいと思うんです。

特に日本にないもの、日本と異なった様式のモノ、異なった文化による違いに

付いては、正確に書かれれば書かれるほど「?」となってしまうことがありますね。

ですから日本のモノに置き換えられる場合はそうしちゃってもいいと思います。

蛇足ではありますが、僕がこれまでに「これはちょっと・・・・」と思った翻訳物の

小説があります。これは映画にもなったお話しで、そのポスターを見たことがある

ので、少しは雰囲気をイメージ出来るはずだったんですが、読み始めるとその考え

は甘かったと思い知らされました。

このお話しはカリフォルニア州のミッドウィッチという村の全員がある日の午前10時に

気を失い、その後目を覚ますと女性が全員妊娠していたと言う所からはじまる

お話しなのですが、こちらの翻訳家と先に書いた本の翻訳家の方に共通して

言えるのは、「英語を勉強し始めた中学生ないしは高校生が、辞書を片手に

ものすごく苦労して長文の読解をした」様な文章であると言うこと。

おそらく自分で一度その小説を読まず、自分なりのイメージも作らぬまま、ただ目の

前にある英文を訳していっただけという感じなんです。

もし本当にそうなら、それは小説の作者にものすごく失礼な事なのでは無いかと

思います。

小説の翻訳というのは「ただ外国語を日本語にすればよいだけ」ではないんです。

読者がその状況にのめり込めるかどうかがすごく大事だと思うんです。

ですから翻訳家の皆さんに是非お願いしたい。

一度その原文を読んで自分でその状況を想像してください、と。

そしてもしその原文が面白いと思わないのであれば、翻訳の仕事は引き受けないで

下さい、と。

もしその原文を読んである翻訳家は面白いと思い、有る翻訳家はつまらないと感じ

た場合、「面白いと思った翻訳家」が訳した方が絶対面白くなると思います。

万が一本当は面白い(或いは面白いと思う人がいる)本を、つまらないモノにして

しまってはもったいない。若しくはその本が本当につまらないのであれば、せっかく

苦労して訳しても人々に感動を与えることは出来ないわけですから、わざわざ訳す

必要がないのかも知れない。

いずれにしろ、本当はあまり面白くない本がとても面白いモノになったり、その逆に

せっかく面白い本が台無しになってしまったりというのは翻訳家の腕次第だと

思うのです。

最近は翻訳機などもあったりしますが、まだまだペーパーバックというのは翻訳家の

方に頼らざるをえない部分だと思います。

と言うより、いくら翻訳機が高度に発展しても、それはただ正確に訳しているだけ

だと思うので、益々(腕のいい)翻訳家の方の力が必要になる分野だと思います。

翻訳家の方にお願いです。是非読みやすく面白く、且つ日本人が状況を思い描き

やすい翻訳をよろしくお願いいたします。

さて、最後に僕なりの翻訳家のランク付けをしてみたいと思います。

まずはこんな状況を思い描いてみてください。

それほど悪いことをしていないけれど運悪く刑務所に収監されてしまった気の弱い

ちんぴら二人が刑務作業の際、たまたま刑務官閉め忘れにより通用口の鍵が

空いていることに気がついてしまいました。辺りを見回すと誰もいません。その二人は

出来心も手伝ってそこから脱走してしまいます。しかし当然建屋から出ても刑務所の

廻りはフェンスで囲われていて簡単に逃げることは出来ません。脱出路を探している

うちに二人がいないことに気がついた刑務所の職員がアラームを鳴らします。

大音響で鳴り響くアラームを耳にした気の弱いチンピラ二人は自分たちの脱走が

ばれたことを知りうろたえます。建物の陰に隠れながら「こんなことするんじゃ

なかった。これで見つかれば刑期が延びちまう!!」とか何とか愚痴る気の弱い

チンピラAにたいし、Aよりは少しだけ腹の据わったチンピラBがこう言います。

        「It is no use crying over spilt milk」

・とりあえずもう読むのはやめちゃった方がいい翻訳家の場合。

 「こぼれてしまったミルクを泣いても元には戻らない」


・頑張って読んでいればそのうち慣れるかも知れない翻訳家の場合

 「しょうがねぇだろ!覆水盆に返らずだ」


・きっと楽しく読める翻訳家の場合

 「だまれ!今更ぐだぐだ言ったってやっちまったもんはしょうがねぇだろうが!」

・・・・・いかがです?