同和は怖いは偏見か?

東洋経済オンラインのホームページに「”同和は怖い”と言う根も葉もない最悪偏見」

と言う見出しで始まる文章が載っていました。

「無知こそ最大の敵」とした上で、「私は”同和は怖い”と言う未だに出回っている話が

根も葉もない迷信と偏見だと言うことに、一人でも多くの人に気付いて欲しいと切に

願う者です」と書かれているのですが、果たして「同和は怖い」というのは根も葉もない

「偏見」なのでしょうか?

僕は「同和」というのが何か知らないまま高校をを卒業しました。

小学校の時有る友人の家に遊びに行ったとき、そこの父兄が別の友人の名前を挙げ

「あのことは遊ばない方がいいよ、彼は同和だから」と言われたことがあります。

たしか「同和って何?」と質問した記憶があるのですが、その父兄の回答は覚えて

おらず、それまで通り「同和」と言われたこと遊んでいました。

中学にはいると、僕は引っ越ししてしまったため「同和」と言われた友人とは疎遠に

なってしまいましたが、それ以降も「あいつは同和だ」と言われた人と、何も考えず

普通に接していました。

中学後半から高校のとき、先輩達といるとき町で朝鮮人学校の生徒を見かけると

先輩から「あいつらシメて来い」と言われたことが何度か有ります。

当時はツッパリ全盛期だったので、もしその朝鮮人学校の生徒が「ツッパリ」

だったのであれば喜んで喧嘩を売りに行くのですが、僕が見たところその朝鮮人学校

の生徒達は特に「ツッパリ」という感じには見えなかったため、喧嘩を売りに行くのを

拒否し先輩にこっぴどく殴られたこと数知れず。

これは別に朝鮮人学校の生徒を守りたかったわけではなく、ツッパリにはツッパリの

ルールというかポリシーがあり、「弱い者いじめはかっこ悪い」と思っていたからです。

しかしこのとき不意に思い出されたのが「同和」のことです。僕の「同和」と言われた

友人は何一つ悪いことはしなかったし、むしろいい人だったのに大人から「あのこと

遊んではいけない」と言われてしまうのは何故なんだろう?これは弱い者いじめ

なのでは無かろうか?とおもいました。

そんなこともあって、同和だとか朝鮮人だとか言いつつそれらの人を差別する人に

対し、「何でそんなみっともないまねをするんだろうか?」と思っていました。

時が流れ社会人になり、工事関係の仕事に携わるようになると、自ずとそういう関係の

人と接しなければならない機会(と言うのかな?)がやってきます(した)。

詳細は省きますが、同和関係の地区の工事は正直言って困難なものばかりでした。

というか、最初は困難だったという方が正確でしょうか。

どういう訳だか僕はその筋の人に受け入れてもらえることが多いようで、最終的には

丸く収まることが多かったのですが、そうなるまでは大変なことばかり。

何故丸く収まったかを自分なりに考えてみると、おそらく本当に同和に対して何の偏見

も持っていなかったために「仕事を前提とした交渉において、仕事の上で相手の不当

な要求”のみ”(要するに他の要素は無視して)と戦った」ことと、交渉がまとまるまで

意地でも席を立ったりしなかったことではないかと思います。

さて、何が言いたいかというと「同和は怖いですよ」と言うことです。

交渉中にガラの悪い人に囲まれてプレッシャーをかけ続けられる事はもとより、「おまえ

がうちを使わないんだったら、どこの業者もお前の仕事は受けない」と言ってみたり

「他から業者を呼んでも、絶対に現場に入れない(入れさせないとは言わない)」など

こういう恫喝を恐怖に感じないのは「その筋の人」ぐらいです。

「怖い」に決まってますよそんなモン。

こっちは一人、相手は机はさんで2人ですが、廻りにガラの悪い人が何人もこちらを

気にしつつ仕事をしている振りをしているんですよ。シャレにならない恐怖です。

もし同僚がいれば、その場から立ち去っていたかも知れません。しかし一人だったので

「そう簡単には帰れないだろう」というのが分かりましたし、腹が立っていたこともあり

だからこそ「殺されてもこいつらのいいなりにはならない」と腹をくくれたのも良かった

のかも知れませんが、トラウマレベルです。

だからあえてもう一度言いましょう。

同和に対して何の先入観もなかった僕に「同和は怖い」という感覚を植え付けたのは

他ならぬ「同和の人たち」です。

ちなみに喧々囂々やりとりした業者とは仲良くなったところが多く、今はむしろ他の業者

よりも信用できるかも知れません(やると約束してくれたことはしっかりやってくれる)。

いずれにしろそうやって仲良くなったからこそハッキリ言えるのは「同和が差別される

原因は同和にもある」と言うことです。

同和の人に言わせれば「お前等(同和以外の人)が同和を差別するから俺達は

自分たちを守るためにこうしているんだ」というかも知れませんが、今はもう自分達

が「同和である」という意識を捨てた方がいいと思います。

その上で何か差別をされたときは熱くならずに淡々と相手の非と自分の正当性を

述べるだけにした方が良いんじゃないですかね?

さて、同じような境遇の人に「在日南北朝鮮人」がいますね。

こちらも書きたいのですが、そっちはまた今度にしましょう・・・・・・。

と言うわけで「同和」と呼ばれていた友よ。お前等もういじけ根性で変な逆差別するの

やめなさい。

悪いことや嫌がらせをしていれば、他から白い目で見られたり疎まれたりするのは

当たり前。それは差別じゃなくて「評価」です。

悪いことをしていないなら。そして日本のために働き、しっかり税金を納めているなら

堂々としていればいい。いつも胸を張っていればいい。

正しく生きているのに「同和」だと言って差別するような奴は相手にするな。そんな奴

何も出来ないちっぽけなクズに違いない。クズを相手にする必要はない。

もしそういう輩に攻撃されたら、卑怯な手を使わず正々堂々と反撃しろ。

まず自分たちが「同和」というしがらみというか縛りというかを捨てた方がよっぽど

スッキリすると思うぜ!