幸せってなんじゃらほい?


ぴっかぴかの新品よりも、しっかりと使いこまれたものに魅力を感じてしまいます。

ロレックスの腕時計も、ぴっかぴかのをしている人よりも、昔から大切に使っている、

あるいはお父さんかおじいさんからプレゼントされたり譲って貰ったんだなとおぼしき

傷だらけのやつに惹かれます。

もっと言うとぴかぴかのロレックスと、使いこんだ古いカシオとかのデジタルをしている

人を見ると、どうしても使いこんだカシオのデジタルに魅力を感じます。

これは鞄でもジャケットでもブーツでも同じ。或いは工具などもそうです。

しっかりと使いこみ、その人になじんだモノ(道具)ほどカッコイイモノはありません。

というか、僕はそう思うんです。

更に言うと「大切に使われてきたモノ」と「適当に使われてきたモノ」は美しさが違い

「大切に使われてきたモノ」はとても美しい。

「適当に使われてきたモノ」は適当であっても「愛着」を持って適当に使われたモノは

比較的美しさがあり、いい加減に使われてきたモノにはある種「迫力」があるように

思います。

詰まるところ、全ての道具は「使われて」完成形を迎えるのだと思うに至りました。

「じゃぁ装飾品はどうなんだ?」との声が上がるかも知れませんが、それは僕には良く

分かりません。と言うのも、どうやら僕は「装飾品」というのが好きじゃないみたいです。

意味をなさない飾りというのは邪魔なだけで読んで字のごとく「意味はない」のですから。

ただデザインは別ですよ。アメ車のはねとか、カッコイイと思いますもの。

うまく表現できないのですが、とにかく「ちゃんと使われているモノ」こそが「生きている

モノ」であるように思います。

何故こんな事を書くかというと、実は先日億万長者の友人宅を訪問したときに、ガレージ

にぴかぴかのベントレーやらフェラーリやらポルシェやらが並んでおり、部屋にはいると

それこそ隅々までぴかぴかの磨かれ、調度品はおそらくそれ一つ一つが僕の車より

高価なモノであろう事は想像にたやすいのですが「すごいな」と思ったモノの、僕が

彼の立場だったら同じような事をするかなぁと考えてしまったからです。

考えた結論ですが、おそらく「するだろう」と思います。

と言うのも、彼の年収が数億円であり、それらを綺麗に維持するのもお金で解決出来る

からです。

もしこれで年収が数千万円であった場合、彼と同じ事をするためには「どうやってそれを

維持するか」を考えなければならないでしょうし、実際に実行した場合必ず何処かに

無理が生じるのではないかと思います。

さてでは自分に目を向けてみたときにどうか。僕は数千万の年収すら有りません。

当たり前というか、殆どの人がそうだと思います。

でも僕は何かに不自由しているなどと言うことは一切なく、欲しいモノを買い、かなり

やりたいことが出来ています。

ここでポイントになるのが「欲しいモノ」と「やりたいこと」です。

ベントレーとか欲しくないの?買えるの?買えないの?と聞かれた場合、もちろん

「欲しい」ですし、本気で買おうと思えば買えないこともないかも知れません。ちなみに

ベントレーコンチネンタルGTなど、新車価格こそ2千万円を大きく越えるものの、中古

(かなり低走行で程度のいいものでも)だと300万円程度で買えたりもします。

しかしおそらく買ってからが地獄でしょう。何処かが壊れて修理する場合、簡単に100万

円を超える見積もりが出てくるでしょう。

それに運転手がいるわけではないですから、綺麗に保つためには常に自分で洗車

しなくちゃなりません。

ちなみにサラリーマンが趣味でフェラーリやベントレーを持つのは僕はアリだと思います。

自分の空いた時間を全てそれにかければ維持できると思います。

しかもそうして使いこまれた超高級車というのは、お金持ちが買って誰かに維持させて

いた車と明らかに迫力が違います。いや、迫力と言うより「魅力」と言った方がいいかも

知れません。でも全てそこに力を注ぎ込めるだけの趣味ではない場合、身の丈に

合わないモノを持つと「不幸」になるように思います。

僕は思うのですが、車を「持っているか」「持っていないか」というのには大きな違いが

あると思います。車に限定すると分かりにくいですが、例えば洗濯機でも冬に着るコート

でも、腕時計でも携帯電話でも、(持ちたくないから持たないというのは別にして)「持って

いるか」「持っていないか」は大きな差ではあるけれど、それが「どんなモノか」というのは

あまり大きな差ではないような気がするんです。

実際に超高級な車、時計、衣類、その他って必要ですか?

まぁお金持ちの世界では必要なのかも知れませんが、僕は特に必要有りません。

それにモノの事について考え、突き詰めていくと当然ではありますが一般人が一般的に

手に入れられるモノこそが最もよく考えられており、最も優れたモノに思います。

優れたというと語弊がありますが、「必要にして十分」と言えば間違いないでしょう。

一般人が一般的に手に入れられるモノも結構値段に開きがありますが、それは自分の

身の丈に合わせてチョイスすればよいですし、こういったものの場合は、出来れば

自分が簡単に買えるものよりも少し高級なモノを選んだ方が大切にするだろうし、良い物

であるが故に使い勝手や耐久性で優れている場合が多いと思います。

そう思って色々見てみると、一般人が普通に手に入れられる、或いはたまに贅沢する

時だけチョイスできるモノ(或いは事)こそが最も優れたモノであり事であるのだなと

感じます。

正直今回は自分でも何を書いているのかよく分からなくなってきていますが、要するに

自分の身の丈を知り、身の丈にあったモノ(事)を選び、それを十分に使いこなすこと

こそが幸せの第一歩なのではないかと思うのです。

自分の身の回りを見回すと、使っていないモノが結構あります。

これらを整理する(或いは無駄なモノを買わない)事により、他の事にその資源(お金)

を回せます。常に身の回りを整理整頓し、無駄なことにお金を使わず、モノを大切に

し、身の丈にあった行動を取っていれば、かならず幸せが顔を出してくるのではないかと

思うのです。

億万長者を夢見て努力をすることは大切かも知れませんが、まずは目の前の幸せを

しっかり掴まないとその先には進めない気がしますよ。