アメリカの人たちへ

いきなりですが僕の年代の人間(特に男子)にとって、アメリカというのはまさに

「あこがれの国」でした。

ファッション、文化、工業製品、何をとっても格好良かった。ホームドラマや映画

に出てくる全てが格好良く羨ましく、皆必死にそのまねをしました。

方や日本人というのは「根暗」なイメージであったらしく、アメリカ人が表現する

日本人というのは暗い色の服を着て頭を七三に分け、チビで短足、眼鏡をかけた

扁平顔に肩からカメラをぶら下げて集団で歩いている様な感じでした。

そんな日本が世界中から「カッコイイ」「クール」などと言われるようになるなど

夢にも思っていなかった僕としてはそう言う台詞を聞く度に「これを一過性の物に

してはいけない」とか「本当にクールで居続けなければいけない」と強く思うの

ですが、同時に本来そう言う単語の代名詞であったアメリカがだんだんそうでなく

なっていることに寂しさとある種の「恐怖」を感じている今日この頃です。

2000年になる前のアメリカはとにかく格好良かった。何からなにまで格好良かった。

それは今でも変わらない・・・・と言いたいところですが今その気持ちに揺らぎが

生じているように思います。

一番最初にアメリカに対して違和感を感じたのは「ネコ電子レンジ事件」の時です。

ネコを乾かすために電子レンジに入れたら死んでしまい、ネコを電子レンジに入れた

人が「ネコを電子レンジに入れちゃいけないと書いてないメーカーが悪い」と言うよう

な理由で訴訟を起こしたと聞いたときです・・・・いや、ネコを電子レンジに入れて

訴えを起こした人が訴訟に勝ったと聞いたときです。

これについてはそれが事実であるのかどうかすらよく分からなかったのですが、

少なくとも「自分がネコを電子レンジに入れたのに訴えを起こす」という恥知らずさ

にまず驚き、その訴えが通ると言うことに驚きを通り越して幻滅のような感情が

ありました。前述の通りこの詳細は分からない(当時はネットも発達してなかった

ので)ので何となく特殊な例として自分の中でうやむやになっていたんですが、

1992年にドライブスルーで珈琲を買ったおばさんが膝に挟んだそれをあけようとして

こぼしやけどを負ったと言うことで店側を訴え当時で3億円近い賠償金を受け取った

と聞いたとき「アメリカでは何でもイチャモンを付ければ大金持ちになれる可能性が

あるのかね?」と言う思いと、「こんな言い分が通る社会に正義などないんじゃ

ないか?」と言う思いがハッキリと芽生えたのを覚えています。

「この先アメリカは衰退する」ハッキリとそう思いました。

さて、現在のアメリカを見てみましょう。

相変わらず愚かな訴訟が山のように有りますね。

泥棒に入った男がその家の明かり取りのガラス屋根から落下し大けがをして

「あのガラスがもっと強度のある物だったら自分は怪我をしなかった」という

類の愚かな訴訟まであるほど。要するに彼らの言う「被害者の権利」という

物なのでしょうが、かつてのアメリカは権利獲得の前に義務の遂行が大前提

だと言うことを如実に示してくれていました。更に言うと「義務を全うしていない

人間に権利を与えることは出来ない」と言い切れる強さがありました。

それが今は見る影もありません。

ここ最近一番腹が立ったのがBLM運動です。確かに黒人さんは彼らしか

分からないような壮絶な差別の中で戦ってきたのだと思います。

ですから本当に差別されていた場合などであるなら声を大にして立ち上がり

且つ周りの人もそれに協力するべきだと思いますが、今回の場合はどうで

しょうか?素直に警察の指示に従わず警官や周りの人に危害が及ぶ事も

考えられる状況だったわけです。武器の所持を認めているアメリカにおいて

自己防衛のためなら相手を射殺することも正当とされているわけですから

その場で射殺されてもおかしくなかった。確かにあのような押さえ方は

よろしくないかも知れませんし、押さえられているときに「苦しい」というような

事を言っていますが、だったら最初から抵抗などしなければ良かったのです。

もしこの黒人さんが全く抵抗もせず素直に警官に従っていたにもかかわらず

このような目にあったのであれば大いにデモなどもするべきでしょうし、

そう言った不要な暴力を行使した警官の責任を問う事も正しいと思います。

しかし彼は最初から素直であり無抵抗であったわけではありません。

そしてこの暴動です。

なんの罪もない物を破壊し、なんの罪も無い人の財産を破壊し、さもそれが

正義であるかのように報道し、挙げ句の果てにはその愚かさを指摘した

女学生が退学になってしまうと言う有様。

これのどこに正義があるのでしょうか?そんな物は全く有りません。

罪もない黒人を差別することに抵抗する、声を上げるのが正義ならば、

不当な暴動に対して声を上げるのもこれまた正義なのではないでしょうか?

このコロナ禍において多くの人がマスクを付けて生活をしています。

これはハッキリ言ってものすごくストレスがかかりますが、自分を、仲間を

守るためにすすんで、仕方なしに関わらず皆マスクを付けて頑張っています。

さて、アメリカは自由の国と言うことで「マスクを付けない自由」を叫ぶ人が

出てきました。「自由の国のアメリカなのになんでマスクを付けない自由が

尊重されないんだ!!」そう言われるとアメリカ人は「うっ」と言葉に詰まって

しまうのでしょう。何しろ「自由」こそが信条でしょうから。

でもよく考えてください。何でも自由なら「気分次第で人殺しをしてもいい」

筈じゃありませんか?でもそれはダメでしょう?ってことは何でも自由という

分けではなく、その自由はなにがしかのルールや果たすべき義務の上に

成り立っているわけです。

もし「マスクをせず公共の場で大声で話したり咳をする自由」を謳歌する

事を認めるのであれば、それを不愉快に思った人がそいつらを叩き殺す

自由も認めるべきです。

ここ最近世界中でノイジーマイノリティーに翻弄されている例をよく見ます。

日本に於ける南北朝鮮人などその最たる物ですが、なんにしても

ノイジーマイノリティーと言われる人は常識知らずなだけではなく恥知らずな

上にほぼ確実にダブルスタンダードです。自分は良くて人はダメ。そう言う

思考の人達ばかり。このような人と会話するのは疲れるし、有る意味根本的

な理念や常識や考え方が違うから会話が成立しないことが殆ど。

故に会話を避け「好きにさせる」事が多いように思います。

そうして味を占めたノイジーマイノリティーの要求はドンドンとエスカレートし

今のこの愚かな世の中のできあがりというわけです。

さて、このような会話が通じない愚かな人たちに対してはどう接するべきか。

簡単です。会話などする必要はないのです。

お互いそれなりの節度と敬意を持って話すから会話が成立する分けですが

はなっから相手に対する敬意もなければこちらの言い分に耳を傾ける気持ちの

ない相手と会話が成立するはずもありません。

そう言う人間はただ自分の要求を叫ぶだけ。自分たちはなんの義務も全う

していないのに。

冷静に考えてみてこちらに対する敬意もなく、こちらの話しに耳を傾ける

気もない相手というのはどういう相手でしょうか?

そう「喧嘩をふっかけてきている相手」です。つまり最初から会話をしよう

等と甘ったれた考えを持っているからいけないのです。

喧嘩は喧嘩。その喧嘩を受けるかどうかだけです。受けなければやられる

わけです。今まで世の中の常識人達は喧嘩にしたくないから節度有る

対応をしてきていると思っていたのでしょう。それが間違いです。

既に喧嘩は始まっているのです。相手が暴言を吐いてきた時点で

相手がこちらに敬意がない時点で、相手の言い分だけしか話さない

時点で喧嘩は始まっているのです。

このノイジーマイノリティーが卑怯なのは相手が反撃してくるととたんに

人権問題などにすり替えることです。そうすると何となくそちらに分が

有るように感じてしまい、それを応援する愚か者が出てきます。

毅然として対応しましょう。

更に言うと志を同じくする周りの常識人が他人事だと思わずにしっかりと

その喧嘩に加勢することが大事です。

先ほども書きましたが会話の通じない相手と喧嘩する場合重要なのは

「数」です。ノイジーマイノリティーが偉そうにしていられるのは「数」が

多いからです。あれ?なんでマイノリティーなのに数が「多い」の?

そう思ったあなた。よくきいてください。ノイジーマイノリティーに対して

声を上げるのは大抵ごく少数です。それに対してノイジーマイノリティーは

一丸となって攻撃してきまうす。本来サイレントマジョリティーが

ちゃんと加勢して戦えば良いのですが、サイレントマジョリティーの多くは

「面倒に関わりたくない」という意識からかノイジーマイノリティーと

戦っている人に共感こそすれ救いの手をさしのべません。

これがいけないのです。

ノイジーマイノリティーと戦っているサイレント(既にサイレントではない

かも知れませんが)マジョリティーを見つけたら、とにかく加勢しましょう。

ドンドン数を増やしてノイジーマイノリティーに対して「お前等が間違って

いるんだ」と強く迫りましょう。

最近ドンドンと世界が住みにくくなってきているように思います。

それは全てノイジーマイノリティーや少数の愚かな人に基準を合わせようと

するからです。そういった人を虐げる必要はありません。ですが

不当な要求をしてきたとき、或いはノイジーマイノリティーだけが快適で

他の大多数のサイレントマジョリティーが不愉快な思いをしそうなときは

しっかりとノイジーマイノリティーを躾けて行かなければなりません。

・・・さて、日本においてはまず反日的な思想を持つ在日南北朝鮮人から

ですね。本当に友好的な南北朝鮮人のためにも彼らと共に反日在日

を躾けていきましょう。(或いは出ていって貰うんでもいいですけれど)