夢のコーリンモータース
目次では「俺のオリエンタルランド」とか書いてますがね、僕にとっては本当に

ディズニーランドに行くよりも上野のバイク街にいる方が遥かに楽しくてワクワク

しましたね。

多分ミッキーちゃんが大好きな人たちが舞浜駅をおりるのと僕が上野駅の入谷口

を降りるときに出ている脳内物質は多分同じような幸せ物質だと思います。

と言うわけでバイクが大好きな僕にとって上野バイク街は夢の場所でした。

本題に入る前に一つ皆さんの疑問にお答えすると、なんでバイク街に行くのに

「電車?」と思われると思いますが、僕のバイク好きは小学校時代から始まる

のです。免許がない頃はパーティー券やステッカーを売りつつ鬼ハンデメキン

腹下のバイクに乗ったりするわけですが僕は物心つく頃にはバイクに乗って

いたのでそう言ったバイクは「ダサイ」と思っておりました。なのでそんなダサイ

マシン(とも言えないようなポンコツ)でバイクの聖地に行くわけにはいかない

のです。集合セパハンバックステップに憧れつつ密かに電車で通っていたと

言うわけです。

本題に戻りましょう。記憶をさかのぼること30年以上(40年弱と言った方がいい)。

上野は本当に夢の町でした。アメ横は当時からファッションの町だったのかも

知れませんがバイク好きの僕にとってアメ横はGパンを買うのに弥生に行くぐらい

で上野と言えばバイク街!なんと言ってもバイク街!!!

行くたびにコーリン(Corin)が増殖していて、パーツ専門だったりアクセサリー

専門だったりヘルメット専門だったりのビルが建ち並んでいくんですね。

当時は今みたいにネットが無いどころか車やバイクのパーツだってそう簡単に

手に入らない訳ですが、ここに行けば「こんな物もあるんだ!」「え、これが有れば

こんな事が出来るジャン!」と1日いても飽きないどころか1日じゃ足りないぐらい

楽しい場所。

今冷静に考えると「何がそんなに面白かったんだろう」と思ったりもするわけです

が、それは今ほど世の中物に溢れていなかったと言うのが大きな理由だと思い

ます。ネットもないのは当然ですが、通販と言えば怪しげな開運グッズや健康

グッズが横行し、そんな物に手を出した日にゃぁバカにされるのはまだいいとして

「哀れまれる」事すらあるほど。バイクグッズなど有ろう筈もありません。

何しろとにかく情報がないんです。どんなパーツがあるか、どんな改造をしている

人がいるのか、それを知るためにはバイク雑誌を買うかバイク乗りが集まる

聖地に出向くしかないわけです。それが上野。

本当に今は物でも情報でも簡単に手に入りますから、新たに知った物や情報

に出会った喜びというのは大したことないのかも知れませんが、当時は本当に

興奮の嵐。カッコイイ、珍しい改造をしているバイクなどを見つけるとその持ち主

が帰ってきたところをつかまえて質問攻め。持ち主もバイク好きだから一瞬で

意気投合し話し込む。で、「このパーツはあそこで売ってるよ」とか言われると

すぐにそれを確認しにいけるわけです。悲しいのは「確認する」だけ。なんてった

ってお金がないですからね。上野に行く往復の電車賃を出したら後はどっかの

スーパーでパンと牛乳でも買って飢えをしのぐのがやっとの懐具合。

でも「よし、じゃぁつぎはこれを買おう」と心に決めバイト代やら小遣いを貯めて

そのパーツを買う日を夢見るわけです。

本当に当時のバイク乗りはそれがどんな種類のバイクであってもバイク乗り同志

で有れば一瞬でうち解けあい、しかも旧知の仲のような関係が築けたんです。

だから上野にいると周りの全員が知り合いみたいなモンですよ。

暴走族などに入って孤独感を打ち消し所属感を満たすと言う感覚はよく分かるし

理解もします。だけどそこにいるとある種の宗教による洗脳のように思考がそちら

に特化してしまうことがある様な気がします。だけど単なるバイク乗り同志の集

まる上野は「個性」が許される仲間の集まり。楽しかったなぁ。

あとね、やっぱり昔のバイクは電子制御なんて無いでしょ。だから改造したバイク

のにおいってのが有るんですよ。油臭いというかガソリン臭いというか。

あれもまたいいんですよね。なんか本当に混沌としている中に共通項が存在

するとても面白い町だったなぁ。もうあんな町は出てこないだろうし、何よりあそこ

に集まっていたような「人々」はもういないんでしょうね。

昭和、平成、令和と町並みのみならず生活や価値観までドンドン変わっていって

しまっており、それはそれで仕方がないことではありますが、僕はあの時代が

妙に懐かしく、それを考えるとなんだか初恋の甘酸っぱさのような切ない感情

がわき上がってくるんですよねぇ。もうおじいさんになりかけのオッサンなのに。

さて、一通り甘い思い出に浸ったところでもう少し泥臭い話をしていきましょう。

コーリンは労働組合によってつぶされました(と思っています)。僕は労働組合

というのは「烏合の衆」であり「たかりや」であり「無能集団」だと思っています。

なので労働組合が大嫌いだし当初は「労働組合なんか作られちゃってコーリン

も気の毒になぁ・・・」とか思っていたんですよ。でもコーリンの社長って相当

おかしい人だったようですね。確かに店でパーツを見ていたりすると店内放送

みたいなので従業員が罵られたりしてました。僕はてっきりそう言うパフォーマンス

なのかと思って気にしませんでしたが、聞くところによると本当にパワハラがひどく

売上げノルマもあったようで相当激しい押し売りをされたりしたお客さんもかなり

いたようです。それにいろんなメーカーのパチモンを作って売ったりもしてたよう

ですが、僕はコーリンブランドの物など全く欲しいと思ったことはないし、確かに

店員がついてきてあーでもないこうでもないとうるさいと思ったことはありましたが

「テメェうるせぇんだよ!今えらんでんだから横からごちゃごちゃ言ってくんなよ。

わかんねぇことがあったらちゃんと聞くからそっち行ってろよ」というとすぐにいなく

なってくれたのでそれほど目障りだと思ったことはありませんでした。

そんなわけで店員は気にならないしコーリンブランドの粗悪品を買うつもりもない

僕にとってはかなり楽しい場所でした。ただ朝コーリンの中古バイク店の店員が

店の奥からバイクを引っ張り出してきてエンジンをかけるやいなやいきなり全開

にしてふかしまくったのを見て「ここで中古車だけは絶対に買うのややめよう」

と思った記憶はあります。

いずれにしろ僕にとって夢の場所であった上野コーリンバイク街も人によっては

非常に不愉快だった所のようで、特にそこで働いていた人たちにとっては最悪

な職場だったという話しも聞きます。ただ車のみならずバイクまで電気になりつつ

有る今日、ああいう熱い町はもうでてこないだろうなぁと思うとちょっと寂しいな。