冒頭「撮り鉄」「旧車會」「迷惑ユーチューバー」をひとくくりにいたしました。

一体何のことかとお思いでしょうが、僕はこれらの人は「同じ種類」の人たちだと

思っています。

ちなみに「迷惑ユーチューバー」ですが、主として竹原さんや朝倉さんのジムに

殴り込みに行ってぶっ飛ばされる様な連中のことですが、これらの人たちに共通

している事というのは総じてなんだか常にいきり立っていてオラオラオラオラ言い

つつそこら中に喧嘩を売りまくっていたり、やたらと生意気でいきがっていたり

するわけですが、一番の共通点というのは「喧嘩したこと無い」と言うことじゃ

無いかと思います。多分全員「めっちゃ喧嘩弱い」と思います。

簡単に言っちゃうとこういう人たちがいきがれるのは「喧嘩したこと無いから」に

他ならないと思います。と言うのも、もし本当に喧嘩でならした人であるなら、

まず意味無く吠え立てないでしょうし、もしそうするのであればその時は十分

喧嘩をする腹がくくれていると思います。が、撮り鉄や旧車會の連中はやたらと

いきがるくせに「相手が反抗してこない」というのを前提にしていると言うか。

なんでしょうね、僕の時代知らない人に「テメェコノヤロウ」とかいうと言うことは

その時点で相手が殴ってくる事を前提としていたというか、そう言う台詞を吐く

のは「喧嘩をする」という前提があってするモノで、喧嘩をするという前提がある

と言うことは当然「相手が殴りかかってくる」というのも想定している訳です。

だけど偉そうに暴言を吐く撮り鉄どもや、いい年して迷惑な事をしたりいきがる

旧車會どもや、ましてや「喧嘩自慢」とか言ってるユーチューバーだかなんだか

知りませんがそう言う人たちって人に向かって「ぶっ飛ばす」とか「殺す」なんて

言うくせに「自分が殴られたり殺されたり」は一切想像してすらない様に思うの

です。「弱い犬ほどよくほえる」とはよく言ったもので、きゃんきゃん虚勢を

張るというのは実は「喧嘩を避けるための行動」つまり「相手が引いてくれる事を

期待して吠えまくる」訳です。本当に喧嘩がしたいのであればそんなに吠え続け

ている必要はなく、さっさと殴ればいいのです。でもこういう輩は絶対に自分から

殴ってこない。彼らが手を出してこない理由はいくつかあって、

・実際には殴り合いの喧嘩などしたくないしするつもりもないから手は出さない

・喧嘩をしたことがないからどのタイミングで手を出していいか分からない

・自分が手を出してしまうと相手も自分に手を出すかも知れないから怖くて

 手が出せない

というのが大きなモノじゃないかと思います。

僕の時代は「不愉快な奴がいたら殴っていい」時代でした。ヤクザとカタギ、

ツッパリと真面目な生徒の区別はハッキリしていたんです。で、ヤクザとか或いは

ツッパリを選択した場合「戦いの中に身を置く覚悟」が必要でした。いやあのね、

僕はヤクザの世界は知りません。僕には絶対につとまらない世界だと思うし

そこを語るつもりは一切ありません。でもツッパリについてはちょっとだけ話を

させて欲しいと思います。

さっき「不愉快な奴がいたら殴っていい」と書きました。これ、基本的にツッパリ

同士が前提となるわけですが、例えそれが真面目な子であっても「不愉快」な

事をしていれば殴ってもいいんです。ただそこはやはり暗黙の了解の中で

「目障りなんだよコノヤロウ!」などと一言注意(と言うか威嚇)をしてその子達が

「済みません」と言いつつ退散すればヨシ。そこで生意気な態度だったり或いは

刃向かってきたら「殴ってヨシ」のサインです。

ツッパリ同士の場合は「済みません」などと言うはずがありませんから当然そこで

(か若しくは場所を移して)殴り合いになるわけです。

ツッパリ同士でも「済みません」となることがあります。それは圧倒的に戦力が

違うと言うことがハッキリしていて、服従と引き替えに痛い思いをする事を回避

する場合です。が、この時点でツッパリとしては終わってしまいますけれどね。

意地を通したい場合は半殺し(或いは本当に殺される)を覚悟して向かっていく

訳です。これ分かります?ここです。腹もくくれてないのに「殺すぞ!」とイキリ

立っている腰抜けと、殴られる(殺される)覚悟をして相手に向かう人間の違い。

これ、そう言う戦いに身を置いた事のある人であるなら相手の本気度って対峙

するとすぐ分かるし、もっと言えば相手の戦闘能力もかなり正確に分かるものだと

思います。だけど実際に喧嘩をしたことが無い人だとそれが一切分からない。

これが怖いし、面倒くさい部分だと思います。

戦う腹がくくれている人間であるならば、ひとたび喧嘩が始まって万が一負けたと

しても仕返し(リベンジ)を考えることこそあれ相手を「訴える」様なことを考える

人はいないと思います。が、喧嘩をしたことがないくせにいきがっている連中と

言うのは相手を殴ることは想像できても「自分が殴られる」事が想像出来ない

ので、ひとたび殴られちゃうと反撃する事が出来ません。そこで自分は弱いのだ

と言うことを学習し「今後はいきり立って生意気な態度を取るのをやめよう」と

思ってくれればいいのですが、喧嘩する腹もくくれずいきり立って生意気な態度

をとるヤツというのは「自分が弱いから負けた」というのが理解できません。

故に自分から喧嘩を売っておいてやられると警察を呼んだり、弁護士絡めた

話になったりするんです。蛇足ですがこういうバカはこの時点になってもまだ

自分の恥ずかしさには気付かないのです。

今回の題は「番長制度の崩壊」です。今までの話と番長制度、一体どんな関係が

あるのかと思われると思います。

番長制度であった時代。ヤクザがヤクザであった時代。真面目に暮らしている

人や、無駄にいきがって無い人にとってはそちらの方がいい時代だったのでは

無いかと思います。どういうことか。つまり生意気な人とそうじゃない人の区分が

明確になっていて、そこが交わることは少なかったと言うことです。

で、番長制度において「いきがりたい」のであれば、それ相応の腹をくくりその

連中のルールの中で生きていくわけです。ですからムカツク奴がいたら殴れば

いいし、それによって後々よからぬ方向から訴えられたりすることも無かった

訳です。これ「ツッパリ区分」として生きていく人は常に自分と同じく分の人を

探してはせっせと喧嘩をするわけですが、「違う区分の人に喧嘩を売ることは

あまりなかった」のです。なぜならあまりに格好悪いから。なので意味無く

オラオラやろうが一般人にオラオラすることは少なかったのではないかと。

というかですね、もっと簡単に言うとツッパリ区分であれ一般区分であれ、人に

失礼な態度を取ったり不愉快な態度を取った場合、「やられて当然」という

暗黙の了解があったように思います。故に喧嘩する気がない人はオラオラせず、

殆どの人は喧嘩したい訳じゃないですから意味無く人に不愉快な思いをさせる

バカがいなかったのです。一般でさえそうなのだからツッパリ区分であれば尚更

そこら中で喧嘩をすることになるわけですが、それがいいか悪いかは別にして

ひとついいのはここで示すべき「力量」ははったりがきかないと言うことです。

喧嘩の場合相手が負けを認めた時点で勝敗が決するわけですが、この結果に

置いて「嘘はつけない」訳です。と言うかいくら「俺、めっちゃ喧嘩強いぜ!」と

言っていても「やってみれば分かる」のです。だからいくら自分で「俺強い」と

言ったところで周りがそれを認めてくれなければ、その発言は通用しないし

口だけで偉そうにしていると必ずつぶされるというか狙われる為、やる気もないし

強くもないヤツが偉そうにしていることと言うのが無かったのです。

中にはこてんぱんにやられても負けを認めない輩というのもいます。これは

2種類あって、負けた相手がいないところで自分より弱い人を相手に「俺は

負けてなかった、俺は強い」と虚勢を張る(嘘をつく)パターンと、一度負けて

満身創痍なのにその傷も癒えないうちから同じ相手に再び戦いを挑むパターン。

これ、後者の場合は周りが負けていると思いつつも本人が「俺は負けてない」と

言い張るならばそれを認めなければならないし、実際にその根性を認めた上で

「引き分け」と見る旨もあったと思います。しかし前者の場合誰にも相手にされない

どころかそのうちばれていたい思いをすることになる。

簡単に言うと本当に暴力で立場を確保するしかないわけで、その立ち位置が

とてもわかりやすく明確だった上に、土俵に乗る人とそうじゃない人もとても

わかりやすかったのではないかと思います。

しかし「チーマー」なる物が出現し始め、この常識(つまり所謂ツッパリの常識)が

変わってきたように思います。僕らツッパリから見るとチーマーというのは必ずし

も「腕っ節が強いヤツが頭になる」のではないように思いました。

喧嘩の仕方も僕らがよってたかって一人を囲んだ様なやり方が「かっこ悪い」と

思っていたのに対し、チーマーというのは人数で圧倒し相手を制圧すればいい

と言うようなやり方をしていたように思います。それはそれで戦略や喧嘩に対する

考え方の違いと言ってしまえばそれまでですが、ひとつ大きく違うのは「一人の

腕っ節」の重要さではないかと思うのです。チーマーの中には驚くほど腕っ節が

強い人もいましたが、とんでもなく弱い人も多くいました。それはいいんですが

大勢のチームの中にいるとその「弱いヤツ」も強い人と同じように偉そうに

振る舞うのです。単刀直入に言って「序列が分からない」んです。

時は過ぎ現代。

批判のをそれずあえて言わせていただきますと、僕の時代鉄道オタクなど

喧嘩する対象ですらなく僕らの昼飯のパンを買いに行かせるような存在でした。

と言うか、僕の時代のツッパリはそう言うオタク達をバカにしつつもすこしリスペクト

していて、何処か旅行などに行くときに時刻表などを見て乗り換えを教えてもら

ったり(ここで万一それが間違っていたらあとでいじめられたりしちゃうんですが)

して、なんだかんだ上手に距離を取りながらうまくやっていたとおもいます。

或いはそう言う子達が他の学校の奴らに絡まれていたら僕らの出番。当然

その子達を助けるわけです。絶対に見て見ぬふりなどしません。このようにお互い

の立ち位置がハッキリしていて、多少のぎくしゃく(?)がありながらもそれぞれの

居場所を守ってやっていくというのは双方にとって都合が良かったし、平和だった

のではないかと思います。

さて今、喧嘩などしたこともないであろう鉄道オタクが一生懸命働いている駅員

さんや愚かな鉄道オタクに苦言を呈した一般の方に暴言を吐くと言う事例を

耳にします。僕は思うんですよね。「そんなヤツ思いっきり殴りつけてやればいい」

と。暴力には暴力です。言葉の暴力を振るってくる輩には力の暴力で対抗して

いいことにしませんか?

旧車會の連中を「暴走族OB」という人がいますが、僕に言わせると「絶対OBは

一人もいない」と思いますよ。だってあんなバイク乗って喧嘩上等唄うなら、当然

その辺でいちいち喧嘩になって当然です。と言うか「そうなる」というのが分かって

いるはずですから、いい年したオッサンが「喧嘩上等」を唄うことの愚かさを理解

していればそんなことはしないはずです。が、喧嘩したこと無いから「喧嘩上等」

みたいな態度が取れるんです。恐ろしいのはこういうバカは「一人じゃ何も出来な

い」かというと「一人でもやる」んですよ。何故か。「やられないと思っているから」

です。では何故「やられないと思っている」のか。それは喧嘩したことがないから。

相手に上等切った時点ですぐに拳のやりとりが始まる世界を知らないから。

竹原さんや朝倉さんのジムに殴り込みをかけるバカどもを「半グレ」とか「喧嘩

自慢」と称したりしていますが、もし彼らが半グレなのであればあまりにアホです。

だって相手に喧嘩で勝ちたいのに「格闘技で勝負する」ってバカでしょ?

勝てると思ってる時点で「お前喧嘩したことねぇだろ」と思いません?

今まで喧嘩したことがないから相手の力量も自分の力量も分からずいきがる。

これこそ暴言を吐くアホの撮り鉄や旧車會、或いは人のジムに殴り込みをかける

迷惑ユーチューバーの本質です。

この人達は「やったこともやられたこともないから」いきがる。絶対にそうだと

断言しちゃいます。

と言うわけで最後にひとつ。人に暴言を吐いたり人を不愉快にさせる愚かな人に

お願いです。あなたにむかついた、本当に喧嘩が強い人にぶっ飛ばされても

文句言わないでください。もしそうなったら静かに反省し、次は勝てるように

体を鍛えるか今後は丁寧に人に接するか、どちらかにした方がいいですよ。

でもなぁ・・・・こういう人たちって本当のバカだしまるで根性無いからムリかな。

そもそも「根性」ってのが何か分かんないだろうなぁ・・・・・・。





番長制度崩壊の弊害