小学校を中退し、世の中の役に立たないどころか人にたかって生きる宣言をした
ゆたぼんという子供の父親の「中村」氏という人がいます。
僕はこの人のことを根本的な部分で頭が悪い人だなと思っているわけですが、
よくこの人が使う単語に「同調圧力」というのがあります。
僕は常々思っていたのですが、この「同調圧力」という言葉を使う人の多くは
頭が悪いか学歴の無い人なんじゃないかなと思うことがあるんです。
今は既にCOVIDウイルスもランクが引き下げられ、マスクをつける必要がない
機会も増えていますが、未だ持って沢山の人がマスクをつけています。
未だにマスクをつけている理由はいくらでもあると思うのですが、例えば「既に
癖になってしまっている」とか「やはりまだ人混みは怖い」とか。或いは「まだ
周りの人がつけているから」というのもあると思いますが、頭の悪い人はこれを
「同調圧力」といい、さも判断力がない人のような見方をします。
そういうことを言う人のことを「頭が悪いか学歴がない」といいましたが、要するに
自分に自信の無いコンプレックスがある人が「同調圧力」を怖がるわけです。
ゆたぼんやその父親に見る学歴の無く且つそれに対してコンプレックスを持って
いる人というのは何とか学歴のない自分の正当性を表現しようとしてこの「同調
圧力」という言葉を使います。要するに「人と違うことをやっている自分は、そう
やって人に流されている人と違い”自分の意思がある”」といいたいのでしょう。
「俺は人と違って主体性がある」と思っているだけならいいんですが、こういう人
つまり学歴がないことに対してコンプレックスを持っている人などの場合、それ
だけでは足りず、人と同じ事をしている人というのは同調圧力に屈している人
であり、判断力がない、主体性がない、といった人であり、そのような人よりも
そうで無い人(つまり人と同じ事をしていないひと=自分)の方が賢いのだという
アピールをしたがるわけです。
書類上、或いは資格としての学歴が無い人でも立派な人、結果を出している人
というのは沢山います。しかしそういう人というのは自分に自信があるから
他の人のことなど気にしないものです。
みんながマスクをしている、みんながちゃんと学校に行っている、そう言うことが
出来なかった人が自分を正当化するために利用する言葉「同調圧力」。
冒頭「みんながしているからマスクをしている」という判断をする人を「同調圧力
に屈した人」という見方をするといいましたが、僕から言わせればこれは「同調
圧力に屈した」というよりは「その場の雰囲気に合わせる能力がある」だけに
思います。さすがに誰もいない住宅街でランニングをするのに「まだマスクをして
いる人がいるから一応マスクしよう」などというのであれば判断力がないと
言えるかも知れませんが、「周りに合わせる」というのは無駄な軋轢を避ける
高度な知能を有したものにしかできない術なのではないかとおもいます。
うまくまとまりませんでしたが、やたらと「同調圧力」という単語を使う人というのは
学歴がなかったり、或いは他の要素で自分に自信のないコンプレックスを持った
人が、そう言う自分を正当化するために便利な単語に思えてなりません。
いずれにしろ、人を不愉快にさせない、無駄な軋轢を生まない為に自分の意思で
取る行動を「同調圧力」としてしかとらえられない人というのは、強いコンプレックス
を持った人なんだろうなと思います。