嫌いな物は嫌いなんです。

                                                    
もし今僕がホモの人に「あなたはホモは好きですか?」と聞かれたら、間違いなく

「嫌いです」と答えると思います。

また「あなたは激辛料理が好きでですか?」と聞かれたとしても、僕は「嫌いです」

と答えます。

好きか嫌いかというのは嗜好であったり、或いは感情などの問題であるため、「嫌い」

な物があっても仕方がないと思います。そしてそれを「好きか嫌いか」という選択しで

質問された場合、嫌いな物であれば「嫌い」と答えることに何ら問題は無いと思うの

です。しかし上記した内では激辛料理を嫌いと言ってもそれを問題視する人はそれ

程多くありませんが、「ホモが嫌い」というと結構問題になることがあるし、或いは

その発言を攻撃してくる人もいます。そのほかの事例でも何かを嫌っている人に

対して様々な抗議活動を行う人がおりますが、全く持って自分勝手だなと思います。

例えばホモが嫌いだからといってホモの人を意味もなく攻撃するなどと言うことが

あってはいけないと思いますし、辛いモノが嫌いだからと言って「辛いモノ廃絶運動」

などをするというのは愚か極まることです。

だからホモが嫌いな人はホモの人と関わらないようにすればよいし、辛いモノが

嫌いな人は辛いものを食べなければいい。

だけど「ホモが嫌いだ」と言っている人に対して抗議活動をしている人というのは

僕から見て「お前等ホモを好きになれ」と言っているようにしか思えません。

そりゃ無理ってモノですよ。

僕はホモの人がその感覚を持って僕に接してこない限り、その人を差別することは

おろか、嫌悪感を持ったり何か先入観を持って見ることは一切ありません。

ただ単純に「あぁ、そう言う思考(嗜好)の人なんだ」と思うだけです。

或いは僕と同じ趣味を持つホモの人がいた場合、趣味の範囲においてはその人と

接することに何ら違和感や嫌悪はありません。

ただその人が僕を恋、若しくは性の対象として接してきた場合は激しい嫌悪を感じ

るとおもいます。

しかるに、ホモ(或いはレズでも芸でもいいですが)では無い人に対してそれを理解

しろというのは、そうでは無い人が「ホモはおかしいあなたは考えを改めよ」と

言うのと何ら変わらないと思うのです。

嫌いなモノや事を強制されるのは誰だって嫌なことです。

だから僕は基本的に「分かり合えないのであれば関わらない」事が重要だと思い

ますし、もし関わり合わなければならない状況(例えば同僚に等にホモの人がいた

場合など)があるならば、ホモでは無い人はホモの人に対してそうで無い人と全く

同じように接すること、そしてホモの人はホモで無い人に対しては相手が不快に

ならないように配慮した言動を心がけるべきだと思います。

こうかくと「そうやって自分を偽ることこそがホモ(もしくはレズやゲイ)にとって苦痛

なんだ」と言われるかも知れません。

でもそんなことは関係ありません。自分はスーツを着るのが大嫌いだったとしても

スーツを着なければいけない場においてはスーツを着るのがマナーであるのと一緒。

そこにG、Tシャツ、サンダルで乗り込むのは失礼なことだと思います。

この場合は「もしその場にいたいのであれば嫌いでも何でもスーツを着る」か、「どうし

てもスーツを着るのがいやだからその場に行かない」というのがマナーではないで

しょうか?僕はLGBの人というのはそういったマナーも何も無視して自分の主張だけ

しているように思えてなりません。

ただ、性同一性障害の人だけは別だと思います。これだけはそうで無い人が性同一

性障害について学び、たとえば外見が男性の人が女性的な言動をしたり、その逆の

場合があったとしてもそれを受け入れ理解する必要があるのではないかと思います。