韓国のことわざに見る韓国人の愚かさ

                                                      
僕が拝読させていただいているHPに「シンシアリーのブログ」というのがあります。

元々韓国人のシンシアリーさんという方が韓国で書かれていたモノですが、最近は

日本に移住されたようで日本に帰化申請もされているようですね。

僕は基本的に韓国人は大嫌いなので帰化申請して欲しくありません。と言うか彼らも

日本が嫌いなのになんで日本に帰化申請するのか訳が分かりませんが、この

シンシアリーさんという方は日本に帰化申請して受理されないと韓国では生きては

いけない類の方だと思います。何しろ「一般的な人間の理性と常識」をお持ちなので。

そんなシンシアリーさんのブログをちょいちょい拝見しているのですが、先日「昔は

どんなことを書いていたんだろうな」と思い古いブログを拝見したところ、韓国の古い

ことわざとして紹介されていた内容に目がとまりました。

「ソウルに行ったことある人と無い人が喧嘩すると行ったことがない人が勝つ」という

物です。元々はソウルではなく「南大門」だったらしいのですがそれはそれとしてこれは

一体どういう意味を持つのか。

もの凄くざっくりと説明すると、ソウルに行ってきた人Aが自分の町に帰ってきて

「ソウルはスゴイ町だった」というと、行ったことがない人Bが「そんなはずはない、お前

は嘘を言っている」と言って喧嘩になり、最終的には実際にそれを目で見てきたAより

行ったことがないくせにAの発言を否定して非難したBがかってしまうと言う物です。

・・・・これ、韓国の全てを表しているようで妙に納得させられる物がありました。

他にも「泣く子は餅をもう一つもらえる」などと言うものがあり韓国社会のくだらなさを

よく表している物がたくさんありますが、社会の根本はこの「ソウルに〜」という諺

なのではないでしょうか。

すなわち「事実を認める(或いは理解する)能力が決定的に欠如した民族」それが

韓国人と言うことで間違いないと思います。

世界中のまともな方にとって「実際にそこを見てきた人の言葉」と「見たこともなく

空想や人の噂だけで述べている人の言葉」だったらどっちが信憑性が高いか簡単に

理解できると思いますので、何故韓国人の場合そうならないのか不思議に思われる

と思いますが、要するに「行ったことがない嫉妬」がその根底にあるようです。詳しく

はシンシアリーさんのブログを読んでください。

さて、僕はここに少しだけ追加したいことがあります。韓国人の場合「実際に行った人も

正確な情報を提供していない」という可能性があると思うんです。

純粋に見たことだけを述べる、事実だけを述べるのではなく人が出来ない話が出来る

優越感に浸るあまりあること無いことでっち上げて話してしまうのではないかと思う

のです。だから後に別の人Cがソウルを訪れた際「Aが行っているとおりでは無かった」

となり更に混沌が生まれると。これが朝鮮人の資質であり本質なのではないかと

思うんです。

世界中の人は「差別を無くせ」などと声高に叫び差別と区別の差すら理解できなくなる

様な状況になりつつありますが、これは差別とかそう言うことではなく、朝鮮人という

のは「事実を客観的に理解する能力がない民族」なんだと言うことは「知っておく必要」

があると思います。他にも朝鮮人は約束の概念がないとか恥の概念がないなどと言う

ことを知っておくことは至極重要で、「約束は守るもの」と言う前提を持った人が

「約束を守るのはバカ」という概念や常識を持った人と関わるというのは非常に

危険です。ですから防衛のためにも朝鮮人がどういう人種かというのは世界中の人が

よく学び、理解する必要があるのではないかと思います。