和算入門(4)


 前回の(3)では『塵劫記』の問題を僅かに紹介しましたが、今回は「好み」について取り上げます。『塵劫記』は寛永4(1627)の初板出版後、大変な好評を博したようで、寛永8年、寛永9年、寛永11年、寛永18年と相次いで改訂本が出ました。いずれも巻数や紙面サイズなどの装丁面だけでなく問題数や問題内容にも手が加えられました。寛永11年板と寛永18年板では色刷り本も作られました。では、なぜこのような編集を著者は強いられたのかと問えば、それは横行する海賊版に対する対抗策だったのです。現在では、著作物は著作権法によって保護されていますが、著作権意識が薄い時代では当然のごとく類似本が出回ったのです。そのうえ『塵劫記』の幾ばくかを学んで算術教師を名乗るような輩も出現したようでした。吉田は寛永18年板の5巻の序文でその様子を次の様に語っています。

 

世に算勘の達者、数人有といへ共、此道に不入して、其勘者の位を、よのつねの人、見分かたし。只はやけれハ上手といふ。是ひが事也。

 

吉田はここで、世の中に勘者(算術家)の達人と称する人がいるが、ただ、算盤の運算が早ければよい言うものではない、しかし、世間一般の人にはそのことがよく分かっていない、と憤慨しているのです。ではどうすれば見分けが付くのか。そこで、光由は次の様な方策をとったのです。

 

故に、其勘者の位を、大かた諸人の見わけんかために、今此巻の法を除てこれを出す処十二ケ所有。勘者ハ此さんの法を、注して、世に、傳へし。

 

と。すなわち、5巻末に問題文のみの問題12問をつけたから、実力があるならこれを解いてみなさい、と世の勘者に挑戦状を叩きつけたのでした。このような解答なしの問題を当時「好み」(遺題)と呼びました。今で言う教科書の章末問題となりましょうか。

 

 写真 東北大学附属図書館蔵:藤原集書1より 

 

 

上の写真の問題は第1問「勾股積」です。直角三角形の問題で、直角を挟む2辺を乾=a、坤=b、斜辺を東=cとします。いま、c+a=81間、c+b=72間が与えられた時、次の4つを求めなさい。

 

(1)  c方長さなにほどそ

(2)  aの方ひろさ問

(3)  bの方ひろさ問

(4)  此坪数なにほどそと問

 

  これが、近世日本の数学を飛躍的に発展させることになる「好み」の最初の問題でした。記念碑ですね。     

 

  (以下、次号)