堪らなく楽しい数学


分数を、掛け算の、積の方程式の解で捉え、その解が何時でも唯一つ存在するように方程式を変形、拡張して、その解として一般化分数を定義して、ゼロ除算を導入した。 しからば、拡張されたゼロ除算が 真に どのような意味を有するかは、不明である。ゼロ除算は一般化されたある意味での割り算の定義で、従来の割り算のような意味を その拡張の過程から、有するであろうと考えるのは 当然であるが、その真の意味は不明であり、いろいろな性質を調べることによって、ゼロ除算の意味を追究して行くことになる(再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案)。

 

しかるに、2月2日ゼロ除算を発見して、議論を始めて2ヶ月足らず、世では、それは何だと驚嘆して、戸惑っている最中、道脇裕、道脇愛羽父・娘(6歳)から 既に2月23日、3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算0/0=0,100/0は除算の固有の意味から 自明であると述べていた。しかし、それらの文書は、一見すると矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。ところが下記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである (再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?

2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。))

 

原理は日本語の表現にあるという、掛け算(乗算)は 足し算で定義され、割り算(除算)は 引き算で定義されるという。割り算を考えるのに 掛け算の考えは不要であるという。

実際、2 x3 は 2+2+2=6と繰り返して加法を用いて(乗せて)計算され、定義もできる。割り算は、問題になっているので、少し詳しく触れよう。

 

解説は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:

100-2-2-2-,...,-2.

ここで、2 を何回引けるか(除けるか)と考え、いまは 50回引いてゼロになるから分数は50であると考える。100を2つに分ければ50である。

次に 3/2 を考えよう。まず、

3 - 2 = 1

で、余り1である。そこで、余り110倍して、 同様に

10-2-2-2-2-2=0

であるから、10/2=5 となり

3/2 =1+0.5=1.5

とする。3を2つに分ければ、1.5である。

これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。a がゼロでなければ、分数b/aは 現代数学の定義と同じ定義になる。

 

そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、

 

100 - 0 = 100,

 

であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。(ここに、絶妙に面白い状況がある、0をどんどん引いても変わらないから、無限回引けると解釈すると、無限とも解釈でき、ゼロ除算は 0と無限の不思議な関係を長く尾を引いている。)

同様に0割る0は ゼロであること 0/0=0が簡単に分かる。

 

道脇裕: 繰り返し減算方式(道脇方式)の重要な点は、割り算の原理そのものから割り算を厳格に定義したモノであり、その結果、除算(割り算)は、乗算の逆演算としてではなく除算は除算固有に定義されるという事実です。行列においては、一般に逆行列が存在する訳ではないことと同様に、乗算においては、一般に逆演算(対応する除算)が存在する訳ではないことを示しており、歴史的に、除算というものが乗算の逆演算として定義されてきたからこそ見落とされ続けてきた問題がゼロ除算であったという事実です。まして、10個のリンゴを0人で分けた際に取り分が 個になることは、物理的にもあり得ないといえる。)

 

上記が千年以上も掛かったゼロ除算の解明であり、 ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたゼロ除算の簡単な解決であると 世の人は、受け入れられるであろうか?

上記ゼロ除算の解釈は、ゼロ除算は ほとんど自明であると述べている。 しかるにチコノフ正則化法に於ける除算の拡張において、パラメータsが どんなsでも ゼロ除算はゼロであることを言っており、それは、ゼロ除算の自明さを言っているようであり、両者の面白い自明さの一致を述べている。

 

ところで、 除算を引き算の繰り返しで計算する方法自身は、除算の有効な計算法がなかったので、実際は日本ばかりではなく、中世ヨーロッパでも計算は引き算の繰り返しで計算していたばかりか、現在でも計算機で計算する方法になっている(吉田洋一;零の発見、岩波新書、34-43)。

以上で、ゼロ除算の自然な導入と 割り算の固有な意味による、ゼロ除算100/0=0, 0/0=0 の導入を見てきた。 ここで、全く異なる驚嘆すべき位置づけが 山形大学の高橋眞映 名誉教授によって与えられた。その驚嘆すべき導入、位置づけについて、次回触れたい。

 (以下、次号)