和算入門(16)を掲載するにあたり、2015年11月号を休稿にしたことを読者の皆様に先ず以てお詫びいたします。理由は、あまり言い訳をしない方がいいのですが、偏に忙しかったことです。頭の中には原稿を書かねばという思いはあったのですが、ついぞ書く時間が取れませんでした。挙げ句の果てに風邪を拗らせ重病化し、流石に入院は避けましたが、講義を休講にする事態に陥りました。いまはほとんど恢復しましたが、それでもまだ調子が出ません。どうぞ皆様も健康にはくれぐれも配慮なされるようお願いする次第です。
さて、前号では関孝和先生門下の京都の和算家に対する反駁として『研幾算法』を取り上げましたが、本号もその延長として建部賢弘の『発微算法演段諺解』を紹介したいと思います。
貞享2年(1685)11月吉日、建部賢弘を著者、京都三条通菱屋町林傳左衛門、江戸本石町十間棚ふ屋五郎兵衛の書肆として『発微算法演段諺解』4巻が発刊されました。本書の刊行の目的は、関孝和への数学批判に対する反論と併せて、傍書法と演段術の普及させることにあったようです。出版に際しては、著者の建部賢弘が序文を書くことは当然として、先生の関孝和や兄の建部賢之・賢明らも跋文を寄せました。また、同書には『発微算法』で用いられた数学アイデアを理解するための解説も凡例として纏められています。これら序文や跋文は、いずれも、関先生や建部先生の数学を伺い知る記述になっているばかりでなく、関門派を取り巻く数学研究状況や『発微算法』の出版事情が推測できる貴重な情報を含んでいます。それら文章を引用しながら当時の状況を考えて見ることにしましょう。
まず、『発微算法演段諺解』元巻の冒頭(写真1参照)には建部賢弘による漢字片仮名混じりの序文が付いています。この序文を読むと、『発微算法』が再板された事情や関孝和の数学を批判する人たちの数学音痴振りが描かれています。やや冗長になりますが以下に全文を引用してみましょう。なお、( )の片仮名読みは原著者の建部先生が、平仮名読みは読者への便宜として筆者が記したことをお断りいたします。
発微算法演段諺解 元巻
序
発微算法ハ孝和先生古今算法記一十五問ニ答術ヲ施(ホドコ)ス所ノ書ナリ。延宝甲寅ノ歳、梓(あずさ)ニ鏤(ちりば)メテ世ニ行ハル。後チ庚申ノ歳、書肆ニ火有テ、板氓(ぼう)ヒンタリ。嘗テ思フニ近世都鄙(ひな)ノ算者、彼ノ術ノ幽微ヲ知ラズ。或ハ無術ヲ潤色セルカト疑ヒテ、類問ヲ仮託シテコレヲ窺ヒ、或ハ術意誤レリト評シテ、却ツテ其ノ愚ヲ顕ハス。予、不敏(ふびん)ナリトイヘドモ先生ニ学ンデ、粗(ほぼ)得ル所有リ。茲(ここ)ニオイテ世人、区々ノ惑ヒヲ釋(トカ)ント欲シテ発微算法ニ悉(ことごと)ク演段ヲ述シ本書ニ附シテ総テ四巻トナス。抑(そもそも)、此ノ演段ハ和漢ノ算者未ダ発明セザルナリ。誠ニ師ノ新意ノ妙旨、古今ニ冠絶セリト謂ツヘシ。尚、一貫ノ神術コレ有リトイヘドモ庸学等ヲ躐(こゆ)ルノ弊アラン事ヲ恐ル々カ故ニ、今(イマ)姑(シハラク)コレヲ閣(サシオク)。此ノ書ニ載ル所、心ヲ潜(ヒソメテ)、コレヲ味ハバ、漸ク差(たが)ハザルニ庶(チカカ)ランカ。貞享二年歳次乙丑季夏序
源姓建部賢弘 「源」印 「賢弘之印」印
さて、序文の冒頭部分ですが、『発微算法』は「延宝甲寅ノ歳、梓ニ鏤メテ世ニ行ハル」と書かれています。和算入門(13)で『発微算法』に記した関先生の序文を紹介しましたが、その序文の年紀は「延宝二年歳甲寅幾望」となっていました。これは延宝2年12月14日のことになります。一般に書籍を出版した場合、すべてがそうだと断定する積もりはありませんが、巻末に発行年と書肆の名前が書かれました。実は、『発微算法』では「本屋嘉兵衛」とする書肆名は載りましたが、刊行年は記されませんでした。ことによれば、延宝二年以降には印行されたのではないかという疑いも生じてくるのですが、建部先生が斯様に書いたことで延宝2年の刊行であることは動かないようです。
しかし、その後の顛末については何かを隠している、あるいはあまり触れたくない、というような書きぶりになっています。それは「後チ庚申ノ歳、書肆ニ火有テ、板氓ヒンタリ」とする件です。「庚申」の歳は延宝8年(1680)を指していると思われます。そして、つぎの「氓」の意味は難しいのですが、一般には「民」のことを指すようです。しかし、国文学での用例を調べてみますとこれを「亡びる」の意味で使っていることがあります。そうしますと、民が云々ではなく、板が亡びると解釈することができて、文意に通じるようになります。すなわち、この年に書肆の本屋嘉兵衛が火災に遭い、板すなわち『発微算法』の版木が焼失した、ということなのです。
この版木焼失の一件につづいて、建部先生は、近頃の江戸・京都あるいは「鄙」の地方で活動する数学者たちは、関先生の数学の幽微さをまったく理解できていない。それどころか正しい術式が得られていないのに解けたと装っているとして、類問を設けてあれこれと評論を加えたり、さらには術意が誤っているなどと指摘したりすることが却って算学者の馬脚を顕すことになっている、と難詰しています。
そのために、不敏な私ではあるけれども、関先生の数学を学んだもの務めとして世の人の惑いを解消するために解説書『発微算法演段諺解』4巻を著し公刊することにした、というのです。
つまり、建部先生の序文での言いようでは、延宝8年に本屋が火災にあって『発微算法』の版木が失われて、算学者にその内容が知られなくなったこと、そして、世間に蔓延するいわれの批判に対する反論として、また、関先生の数学の正しさを伝えることが本書出版の目的だということになります。この主張には一貫性があって、『発微算法演段諺解』元巻では、建部先生の序文を追って、関先生の『発微算法』の「序」と「古今算法記一十五問之答術」がつづいています。言うなれば『発微算法』の復刻版となりましょうか。そして、亨巻、利巻、貞巻の3巻は15問の演段術による解説になっています。また、貞巻の巻末には『発微算法演段諺解』に校正を加えた兄の建部賢之と賢明による跋文、およびこれの印行を許可した関孝和先生の跋文も付いています。
ところが面白いことに、元巻の第五問の術文の余白に囲みで術文を訂正して「寄寅位内先板刊誤有之故而今訂之」といっているのです。先に出した本書第五問の術文の寅位の式が間違っていたから訂正するというのです。初版本の『発微算法』の第5問では「列三併先云数九段與二又云数九十一段一得内減二子位二百五十五段一餘寄二寅位一」となっているのですが、建部先生はこれを「列二又云数九十一段内併減三先云数九段與二子位二百五十五段一餘寄二寅位一」と正したのです。これらの式はつぎのように書き換えられます。
先の式は、(9先云数+91又云数)-255子位---寅位
建部先生は、(255子位+9先云数)-91又云数---寅位
『発微算法』は何処かで式の括り方を間違えたのかも知れません。建部先生はそれを指摘したのでした。それはそれとして問題は「先の板刊に誤りこれあり」と記したことです。これは近年分かったことですが、『発微算法』には異板本があるということです。電気通信大学の佐藤賢一先生が発見したことなのですが、驚くべきは、江戸時代から現代に至るまで誰もそのことを指摘していないことです。写真2と写真3はいずれも『発微算法』第7問の術文ですが、写真2は初版本の『発微算法』で、写真3は異板本の『発微算法』になります。誌面をよく見てみると、写真3の術文の3行目から文言が変わっていることに気がつきます。これは、初版本に間違いがあって訂正されたことを意味しています。間違いは第7問だけではありませんでした。第15問でも脱文がありました。その他、漢字(記号)の間違いや、漢文の読み方の順序などにも小首を傾げるような箇所もありました。第7問に関しては当初52次方程式を解けばよいとしていましたが、異板本では36次方程式に修正されています。これにともなって巻末の注意書きも訂正されました。
勿論、関先生や建部先生は『発微算法』に異板本があることは一切触れていません。異板本の出版は極秘裏(?)に行われた感があります。ですから、『発微算法演段諺解』で「先の板」といわれても、どちらを指しているのかは定かではないのです。第5問の間違いは異板本でも指摘されませんでしたから。関先生や建部先生には古傷に触れたくないというような思いがあったのかも知れません。いずれにしても『発微算法演段諺解』に載せられた『発微算法』はしっかりと修正ができた内容になっていますから、ここまで述べてきたような事情は後世の人には気づかない歴史事実になってしまったのです。
しかし、『発微算法演段諺解』が刊行されて人々の手に広く行き届くようになると、建部先生が意図した所期の目的は達成できるようになりました。京都の数学者柴田(宮城)清行の門人たちが、貞享3年(1686)に『改算記綱目』を刊行しますが、これに序文を与えた柴田清行は関の演段術のすばらしさを公然と認めたのでした。元録8年(1695)の『和漢算法』では関の創意となる傍書法を使って『古今算法記』の遺題15問を解いています。元録4年(1691)、田中由真の門下生であった中根元圭が『七乗冪演式』を著し消去法について解説しますが、これの跋文においても関孝和の数学を称揚する言説が登場しています。このように京都の数学者たちから賛意が届くようになりますと関孝和の数学に対する批判はやがて収束していくことになりました。関孝和の数学の勝利というべきでしょうか。『発微算法演段諺解』には関孝和の数学の普及という側面だけでなく、関流数学の優位性の確立にとって重要な役割を果たしたという歴史的評価を忘れてはならないのです。
( 以下、次号 )
写真1『発微算法演段諺解』序
写真2 『発微算法』初版本
写真3 『発微算法』異板本