和算入門(7)


円周率を正しく求めたいとする欲求は古今東西の数学者が等しく抱いていました。近世日本の数学者も同様の願望を持っていました。既に紹介した吉田光由の『塵劫記』では、円周率として3.16を使っていました。では、なぜ3.16なのかについて吉田は何も語っていません。

一方、今村知商の『竪亥録』(1639年刊)や柴村藤左衛門の『格致算書』(1657年刊)などでは3.162を使っています。この値に関して、今村の弟子の安藤有益は『竪亥録仮名抄』(1662年刊)のなかで、「たとへば径を自因しての歩数と周囲を自因しての歩数は十双倍なる故に歩数七リ九毛令五忽也」とする解説を与えています。この文章は10×2=周2という意味ですので、√10×径=周と書くことができます。したがって、円周率は10の平方根である、と述べていることになります。しかし、なぜ√10になるのかの説明はありません。

 

この√10の値と円弧背を求める近似式をめぐって、詳論は避けますが、同志社大学の林隆夫教授は、これらは古代インド数学の成果が日本に伝播したのではないか、とする大変面白い仮説を提唱されています。詳しくは『インドの数学-ゼロの発見』(中公新書、1993)を参照してください。

 

寛文3(1663)3月、村松茂清は『算法算爼』(以下『算爼』と記す)と題する算術書を江戸の書肆西村又右衛門開版として板行しました。村松は、九太夫を名乗る水戸の算学者平賀保秀の門人で、赤穂藩浅野内匠頭に仕える藩士でした。村松の算学塾には沢山の門人が集っていたようです。

 

画像 写真1 『算爼』4巻「圓率」

 

さて、『算爼』は5巻からなりますが、1巻と2巻は平仮名文で書かれ、3巻以降は片仮名書きで、これに中国の伝統に倣った漢文が混じっていました。これの4巻「圓率」の條は円周率の計算に係わる問題です。冒頭で村松は(写真1参照)

 

 方一尺ヲ以テ八角ニ截リ、又、十六角ニ截リ、三十二角ニ作リ、六十四角ニ作リ、百二 十八角ニ作リ、二百五十六角ニ作リ、五百十二角ニ作リ、千二十四角ニ作リ、二千四十八角ニ作リ、四千九十六角ニ作リ、八千百九十二角ニ作リ、一万六千三百八十四角ニ作リ、三万二千七百六十八角ニ截ル。図ノ如シ。

 

と述べています。要は、円周率を求めるにあたって、正4角形に内接する正8角形から初めて、これの辺をつぎつぎと2分割していき、32768角形にいたる辺長を求めればよい、といっているのです。つまり、正多角形の1辺の長さを求めて、これに辺数を掛ければ、円周率が求まると考えたのでした。このための計算には三平方の定理が使われました。その計算結果は『算爼』に全て載っていますが、それらはつぎのようになります。ただし、ここでは正多角形の1辺の長さの記載については省略することにします。

 

    内接正2n角形            内接正2n角形の周長

 内接正238角形      2.0614 6745 8920 7181 7384

 内接正2416角形         3.1214 4515 2258 0523 7021 3

内接正2532角形         3.1365 4849 0545 9393 4985 3

 内接正2664角形         3.1403 3115 6954 753

内接正27128角形        3.1412 7725 0932 7729 1340 16

 内接正28256角形        3.1415 1380 1144 3011 2844 8

内接正29512角形        3.1415 7294 0367 0914 3516 2

 内接正2101024角形       3.1415 8772 5277 1597 6659

内接正2112048角形       3.1415 9142 1511 1867 3329 6

 内接正2124096角形       3.1415 9234 5570 1046 7614 71

内接正2138192角形       3.14159257 6584 8605 1686 81

 内接正21416384角形      3.14159263 4338 5529 8

内接正21532768角形      3.141592648777698869248

 

 写真2 正215角形の値と識語

 

上の数値を見て驚きますが、村松が20桁以上の計算を実行していますことが分かります。近世日本数学者の計算力に感服というところでしょうか。因みに、四日市大学環境情報学部の小川束教授がこれらの数値を検算しておりますが、下線部のある数値は間違っていると指摘しています。最初の2は明らかな誤植でしょう。末位の間違いは最初の計算で切り上げた数値誤差から来るのでしょうか。最後の76が正しいようです。そして、正215角形の値は、小数第7位まで円周率の真値に合っていることが分かります。最後に村松はつぎのように主張します。

 

 圓術ハ和漢トモニ品々ノ説ヲヲシ、故ニ邪正有之。東漢ノ蔡氏ト云人、始テ径一ナル時ハ周三ノ法ヲ作ル。是古法ノ率トナツケテ、古人ヒサシク此法ヲ用ユ。晋ノ孟氏、魏ノ劉徽ハ径一ニシテ周三一四ト云。宋ノ胡氏ハ径一ナレハ周三一四三二餘ヲ用ユ也。爰ニ宋ノ祖冲之ト云人、圓率ヲアラタメ径一ナレハ周三一四二八五七餘ニ究メシヨリコノカタ、世々此法ヲ用ユ。然トモ冲之ノ術、本源何ノ理ヲ以テ作ルトハシラサレトモ、此図ニチカシ。 一毛六糸ハ捨テ三一四ヲソムクコトナカレ。

 

先にも指摘したように、村松の値は小数第7位まで合っています。内接正2124096角形以降の値を観察すれば、3.141592から数字が動いていないことも分かります。しかし、村松はその値を採用しなかったのです。その根拠は、古代中国人の成果に照らしてどうであるのか、という尚古主義に従ったのでした。その上で、9の値を四捨五入して3.1416とし、16を切り捨てて、3.14とすると断言したのです。惜しいかな村松茂清といえますが、日本人として本格的に円周率の計算に挑んだ勇気は賞賛ものでしょう。

 

   (以下、次号)