和算入門(8)では澤口一之のことや用語円理などを中心に紹介しましたが、今回は『古今算法記』について触れることにします。まず、この算術書を紐解いて目を惹かれることは、算木による計算式が随所に登場することでしょう。算木は、赤黒の二色で正数と負数を区別し、その本数と並べ方で数の大きさを表しました。墨付き写本や印刷本では算木式の左上から斜線を引き、負数であることを示しました。『古今算法記』第二巻の「開平方の次第」、「帯縦開平」「相応開平」「開立方」の計算は算木式で実施しています。第三巻の「方程正負」でも算木による式が出ています。第一問目を取り上げてみましょう。問題文と計算は現代語に書き換えておきます。
問題 米3石と麦2石を併せた代銀は151匁となる。また、米1石と麦5石を併せた代銀は137匁であるという。この時の米と麦1石の値段を計算しなさい。
答曰 米1石につき37匁、麦1石につき20匁
そして、「術曰依図布算」(写真1:算木で式が書かれています)を書き換えますと、
3米+2麦=151匁 (1)
1米+5麦=137匁 (2)
になります。ここで(2)式に3を掛けると、
3米+15麦=411匁 (3)
を得ます。そこで(1)式と(3)式を「同減異加」すれば、「米ハくみおちて空と成」ってしまいます。
13麦=260匁
となる。したがって、麦=20匁となるのです。
写真1 『古今算法記』第三巻
これから、米の1石の代銀も求まります。
算木を使って方程式を表したり、計算したりすることは、近世初頭の日本に伝わった古代中国の数学書の『算学啓蒙』から学びました。また、「天元一」という用語も同書から学びました。この用語の意味を簡単に説明すれば、これから求めようとするものを未知数xと置く、ということになるのですが、算盤上に算木を縦置きするのですから、あえて書けば 0 + x という表現になりましょうか。x の手前にある0 は定数項が空である意味になります。
さて、第4巻からは「算法根源記一百五十好之難問」と題して、寛文9年(1669)に佐藤正興が『算法根源記』に附録とした問題「好み」の解答集になっています。
ここに「天元一」が登場しますが、澤口はその意味を正しく理解していたようです。また、「飜狂」という厳しい言葉も見えています。第16問を取り上げましょう(写真2)。これも現代語に訳しておきます。
写真2 『古今算法記』第四巻
問題 いま、円のなかに正方形が描かれているが、円の面積から正方形の面積を減じた外余の面積は12歩2分78である。ただし、正方形の1辺(a)の長さを平方に開いた値と円の直径(2r)の長さを比べると、直径のほうが4寸長い。これを只云数とする。このとき円の直径と正方形の1辺の長さを求めよ。
答曰 円径6寸 方面4寸
と書いた後、次のようにこの問題を糾弾するのでした。やや冗長ではありますが厭わず澤口の意見を聞くことにしましょう。
本書のような問題には飜狂になるものがある。よって、問題の数値を替えて術を施してみることにしよう。そのために、まず、もとの問題で用いられた数値をもってその狂を表しておこう。
術に曰、天元の一を立てて円径とする。円径より只云数(2r-4)を減じた余りをとする。これを三たび自乗して、a2に加えて円の面積から方形の面積を減じた外余の積とする。左に寄せる。円径の値をおき、これを自乗し、さらに0.7855(円積法)をもってこれに乗じ、左に寄せたる式と相消せば、開方の式を得て、三乗の方の飜法にこれを開けば、円径を得ることができる。
本書に曰、いま平円の内に平方の空がある。外余の面積は47,6255歩。只云数は
(2r-7)=。円径と方面の長さを求めよ。
答曰 円径9寸 方面4寸
又曰 円径7.8242133余寸 方面0.67932764余寸
このように、好む寸尺が二様に出てくる。ゆえに飜狂の好みという。
澤口一之が後段で指摘したことを現代的に書いてみますと、
πr2-a2=47.6255 (4)
(ただし、π/4=0.7855)
=2r-7 (5)
となって、(5)式の両辺を自乗して(4)に代入し、aを消去すれば、rに関する4次方程式を導くことになります。したがって、これを解けば答の円径9寸と7.8242133余寸の2通りを得るのです。澤口はなにもいっておりませんが、残りの2つの解は虚数を含んだものが出てきます。これは無視なのでしょう。想像ですが、関孝和も『古今算法記』を熱心に研究していましたから、このような澤口の議論は大いに刺激になったことと思われます。
そして、『古今算法記』の第七巻には「澤口一之作之 自問一十五好」(写真3)が付けられました。澤口は『算法根源記』の好み150問を解いた上で(若干異論がありますが、それは次号で触れましょう)、新たな問題を自作と称して15問出題したのでした。そして、同巻末では、
右一十五好ノ法ヲ問フ。答術ヲ出サザル所以ハ、前書ノ例ニ準ズ。後学ノ勘哲ヲ俟ツノミ。
と括ったのでした。
澤口一之が出題した難問に挑んだ一人が、関孝和でした。それは延宝2年12月のことになります。
( 以下、次号 )