堪らなく楽しい数学


ひと通り、ゼロ除算 について述べてきたが、面白い状況に 直接関与されてきた、道脇親子さんたちの 除算の意味から、ゼロ除算は当たり前であることの発見、高橋眞映教授の重要な ゼロ除算の一意性、山根氏の 面白い 衝突におけるゼロ除算の解釈について、3者を顕彰する意味でも、それらの背景について 3回にわたって述べて置きたい。今回は道脇親子さんの創造性を取り上げたい。 ここでは創造性の実態、不思議な面に触れて、創造性の奇妙な観点をしっかりと捉えて置きたい。

 

道脇裕・愛羽 父・娘 さんたちの意見は 割り算を 除算の固有の意味から考えると、自明であると結論づけたものであるが、この文脈を追記すると:

そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、

100 – 0 = 100,

であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数(商)は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。

 

さらに、

 

ところで、 除算を引き算の繰り返しで計算する方法自身は、除算の有効な計算法がなかったので、実際は日本ばかりではなく、中世ヨーロッパでも計算は引き算の繰り返しで計算していたばかりか、現在でも計算機で計算する方法になっている(吉田洋一;零の発見、岩波新書、34-43)。

さらに、道脇裕氏が、2014.12.14日付け文書で、上記除算の意味を複素数の場合にも拡張して ゼロ除算z/0=0を導いているのは、新しい結果であると考えられる。

吉田洋一氏は、上記著書で、除算の方法を詳しく書かれているにも関わらず、ゼロ除算はゼロであるとの 結果に至っていない。ゼロ除算を考えていない。道脇氏が見破ったゼロ除算が出ていない。 吉田氏が書かれているように、中世ヨーロッパ、アジアでも、計算機内の計算法でも広範に、使われている方法からの 小さな、小さな発想が出ていない。世界は広く、四則演算を習い、使用している人は それこそ厖大な人口なのに みな道脇氏の発想が出ていないということは 何を意味するであろうか。 もちろん、数学や物理学の天才たちを回想しても 驚くべきことである。 しかも、 物理学には、ゼロ除算が自然に現れる公式が沢山存在して、ゼロ除算は 物理学の 不明な、曖昧な点であったという事実さえ存在していた。世間でもどうしてゼロで割れないかの疑問は 繰り返し問われてきていた、問われている。

 

この小さな、小さな発想の1歩が出なかった理由は、除算は乗算の逆であって、ゼロ除算は不可能であるという、数学の定説が ゆり動く事がなかったという、厳然とした事実ではないだろうか? 数学的に不可能であることが証明されていることは、あたかも 絶対的な真理のように響いてきたのではないだろうか。― しかしながら、人類は非ユークリッド幾何学の出現で、数学的な真実は変わりうることを学んでいるはずである。 実際、平行線が無数に存在したり、全然、存在しない幾何学が現れ、現在それらが活用されている。― 人間とは思い込んだら、思い込ませられたら、変えられない、恰も与えられたプログラムで ひたすらに進む計算機のような弱点を有していると 自戒することは 大事ではないだろうか。― これは 賢い者とそうでない者の違いであるとも言える。 賢い人は 思い込みを直せるが、 そうでない人は 思い込みを直せない。

 

道脇愛羽さん(当時6歳)は 四則演算の定義、基本だけを知っていて、数学者や多くの人々が 割り算は掛け算の逆 と学び、思い込んだのに対して そうは学ばず、自由な発想の持ち主であるがゆえに得られた感覚とも言える。しかしながら、無限が好きだとか、一般角の三等分の方法を考えるなど、驚嘆すべき 数覚の持ち主のように感じられる。― 実際、そこでは無限等比級数の収束性を幾何学的に、直感的に、自明なものと捉えている。― 道脇裕氏は、自由人で、相当な整数論を若くして独力で展開するなど多彩な才能の持ち主であるが、除算の理解にも深く、複素数でも除算の考えができるなど、全く新しい結果を得ていると考える。数学の定説など ものともしない、世界を観ているのが良く分かる。それらの故にこの偉大な1歩を踏み出すことができたと考えられる。道脇氏は NejiLaw Inc. の代表者で、数理的な考えで 緩まないネジの開発者 としても知られている。

 

この1歩は ゼロ除算の長い歴史、事実を振り返れば 歴然であるように 偉大であり、小学校以上の割り算の考えを改め、ゼロ除算を 世界の常識にすべきであると考える。

我々は、この発見の契機から、人間の創造性について沢山の事を学べるのではないだろうか。

まことに奇妙なことは、このような議論を1年以上も国際的に相当広く議論してきているのに、上記の道脇氏たちの解釈は 未だ どこからも既知であったとは報告されず、道脇氏の解釈は分かり易いとの意見が広まっている。

 

次回は ゼロ除算に於ける 高橋の一意性定理 について述べたい。

 ( 以下、次号 )