堪らなく楽しい数学


(研究の異様性)

 

ゼロ除算について一応数学的な内容を中心に解説してきたので、以後、ゼロ除算から湧いたいろいろな想い、研究の異様性、反響の異様性、数学と人間、研究とは何か、生きるということは どのようなことかなどについて触れていきたい。

今回は 研究の異様性について、回想して置こう。

 

まず、ゼロ除算とは、四則演算で、ゼロで割れないという例外、しかも、割り算を 掛け算の逆と考えれば、不可能であることが簡単に証明されてしまうこと。しかしながら、物理法則などにゼロ除算が自然に現れて、物理法則の曖昧な点を抱えてきた。割り算を 掛け算の逆と考えれば、不可能であることは 何百年と続いてきた定説なので、ゼロ除算が数学で問題とされたことは 相当に無かったのではないだろうか。― しかしながら、天才オイラーが真剣にゼロ除算を考え、結果は無限だとしたことは、特記に値する。また、アーベルは 1/0= ∞ という記号を用いていたという。さらに、原点を中心とする単位円の 原点の鏡像は無限遠点 としているが、ゼロ除算では ゼロ点の鏡像はゼロである と述べている。― そこで、分数(割り算)の自然な拡張で ゼロ除算は ゼロに限ることが発見されて驚嘆し、2つの点から慎重に対応した。まず、歴史上知られていないか、そして数学的に論理的に正しいかである。数学では これらの2点は研究の出発点 である。そこで、慎重に、慎重に進め、世界の友人、知人たちに広く、意見を求めると共に共同研究者達とともに慎重に、慎重に検討を行った。大丈夫か、大丈夫かと反芻してきた。(発見直後の様子は 再生核研究所声明148の付記に 結構 詳しく記録して有る)。これらは、論文出版後でも1年以上にも及び、毎日、毎日、検討しないと落ち着かない奇妙な日々を送ってきた。内容は、高校生の数学を越えるものではなかったが、インドで西暦628年ゼロの発見の記録以来の事件であり、結果が、不可能や無限とみなされた1/0 が 実はゼロであるというのであるから、天(無限遠点)と地(ゼロ点)が逆転、あるいは通じているというので、びっくり仰天、散歩などで気分を変えては これは何だとの 状況の理解に努めても、1年を越えて熱病にでもかかったかのように ゼロ除算が心を占めていた。短期間では憑かれたような状態になったことは大事な研究岐路で何回かあるが、研究でこのように長期間熱中させられた数学の研究課題は無い。― この意味で研究者として、充分幸せな 世にも希なる 貴重な経験をしたと言える。

 

人の対応も異様であった。人の対応は概ね次の5つの類に分けられる。

1)    従来の 割り算は掛け算の逆で、不可能、矛盾と考えて 始めから、問題にしない人

これは 根本的な誤解で残念である。ゼロ除算は不可能であるとの信念がそれだけ深いと言える。

 

2)    数学の論理、数学としては正しいが、結果が、ゼロである事実が、上記に述べたように天地を逆転させるもので、とてもそんな結果の数学は受け入れられない。背後には、universe は連続であるというアリストテレスの世界観が 宗教のように深く根ざしていて、ゼロ除算は魔物を見るかのように異様に受け止められた。まともな数学の議論にならないで、感情の対立が諸に起きてしまうような状況が結構あった。― これは誠に奇妙なことである、簡単な算数の課題で、感情が諸に現れてしまう。ゼロ自身忌み嫌う数のようにも見える。グーグルのサイトでもそのような雰囲気が感じられるだろう。本来、科学者は感情を抑制するような訓練を受けた者ではないだろうか。

 

3)    ゼロ除算について解説されてきたことを認めているが、結果には驚いて、今後の展開に興味を抱いている人たち。異様な結果、数学から 何か新らしい結果が出るか について疑念を抱いている者が多いと言える。天地を引っくり返す数学に意味があるだろうかとの疑念を抱いている者。

 

4)    一切関心を抱かない人、意見表明しない人。それは多分、1)が多く、次には 2)3)に属する人たちが多いのではないだろうか。数学自体興味を抱かない人も 勿論いる。近年の厳しい世相で、自分の世界だけで精一杯で、他に関心を抱かない人は世に多いと言える。

 

5)    論文も解説も 素直に理解されて、共同研究者たちと 理解が一致している者、これは 結構多い。しかし、共同研究したいと言ってきても、声明185を越える研究を進展できない状況がある。

 

もちろん、共同研究者たちの認識を変えるべきことは、ゼロ除算の結果の良くない正当な理由と、ゼロ除算の新奇性に対する疑念は 世界のどこからも寄せられていない。そういう数学はダメだ、無視する者は有っても 関係である数学の論理の不備を指摘する者はいない。寄せられていない。

多くの素人に説明すると 相当の人は面白いと関心を抱くが、その理由は、歴史的な重み、経緯の問題と結果の分かり易さと驚きにあり、相当広い関心を集められると考えられる。一般の人たちに分かる数学で 新らしい結果など、現代ではほとんど無い状態ではないだろうか。

 

次の観点は、一般大衆レべルの関心事になるのではないだろうか:

足し算、引き算、掛け算は何時もできるが、割り算は、ゼロで割る事ができない例外が有った。西暦628年インドで、ゼロが発見されて以来の問題で 物理学ではゼロで割る公式が沢山あって、ゼロで割る意味が問われてきた。曖昧な部分を残してきた。しかるに、数学界では、割り算は掛け算の逆と考えて、ゼロで割ることは不可能であることを証明し、それが世界の全ての文献に述べられているように 定説となってきた。ところが、割り算の固有な意味や、割り算の自然な拡張で分数を考えると ゼロ除算は可能で、結果はゼロであることが示された。すなわち、100/0=0, 0/0=0 である。

 

この部分を書いていて、ゼロ除算の研究を行う存念について明確に述べたくなった、そこで次回、その存念を述べよう。

 

  ( 以下、次号 )