『発微算法』の第1問はつぎのような問題になります(写真1)。問題と術文を簡単に紹介しましょう。
写真1 『発微算法』第1問
問題 図のように大円の内側に中円1箇と小円2箇を互いに接するように内接させます。いま、中円1箇と小円2箇の面積を除く外余積が120歩、小円の直径が中円の直径より5寸短いとするとき、大、中、小円の直径をそれぞれ求めなさい。
答曰 左術によって小円径を求める
術文 省略
問題文を現代的記号に変えて表してみましょう。いま、大円径=x、中円径 = y、小円径 = zとおけば、中円径と小円径の差 = y - z = a、外余積 = π/4(x2-y2-z2) = bと書けることになります。π/4は円積率と呼ばれますが、これは円の面積を直径で求めたことに関係します。
さて、これらの記号を用いて、関先生が術文で言っていることを書き換えてみますと次のようになります。
術に曰く。いま、天元一 = zとする。
z+a = y、y2 これを甲位におく。
(甲位+2z2)π/4 これを乙位におく。
(4×b×円径率+乙位)π/4 = x2 これを丙位におく。
z×甲位×π/4 これを丁位におく。
これより、
((4y-z)×丙位-丁位)2 = (4y+2z)2×y2×(π/4)2×x2 左
また、
(4y+2z)2×甲位×乙位×π/4 右
ここで、左 = 右とすれば開方式を得て、このzに関する6次方程式を解けば小円径が求まる。これより大円径と中円径も求まる。
この第一問の術文は正しいのですが、ちょっと読んだだけでは何を言っているのかまったくわかりません。『発微算法』では、答を得るための方程式の作り方は述べているのですが、なぜそのような式が導けるのかの説明を与えていないのです。それどころか問題によってはその過程すら省略したのでした。現代では考えられないような記述でした。
もう一問紹介しましょう。第14問はつぎのような問題になります(写真2)。
写真2 『発微算法』第14問
問題 いま、二つの平錐がくっついた形がある。ただ云う。平錐をなす六つの辺には次のような関係がある。
甲3-乙3 =271坪
乙3-丙3 =217坪
丙3-丁3 =60.08坪
丁3-戊3 =326.2坪
戊3-巳3 =61坪
このとき、甲、乙、丙、丁、戊、巳、それぞれの長さを求めよ。
答て曰く。甲を得る術は1458次方程式である。各式において不要な項を消去することは手間が掛かり、また、文も煩雑になるので略することにする。それら術の起こるところを大まかに言えば次のようになる。
天元一を甲とする。これによって乙、丙、丁、戊、巳、それぞれの3乗数を得る。これより、
巳の3乗数を消去する方程式は、18次方程式になる。
戊の3乗数を消去する方程式は、54次方程式になる。
丁の3乗数を消去する方程式は、162次方程式になる。
丙の3乗数を消去する方程式は、486次方程式になる。
ここで、術を起こして乙の3乗数を消去するために二つの式をつくり、それらを等しいとおいて相消せば、開方式1458次方程式を得て、これを解けば甲が求まる。「これ則ち、循々誘入の意、蓋し難問を解くの奥妙なり。もっとも学者まさに努むべきの要」
読んでお分かりのように、答て曰くでは、甲の開方式を得るために補助の未知数を消去する方程式の次数は書かれるのですが、その経過はまったく省かれています。しかも、ここで用いられた消去法が難問を解くための奥妙、といわれても雲を掴むような話になりましょう。それは兎も角、最後の一文には、関先生の達成感と自負心が強く表れていると見ることができます。また、先生の数少ない肉声といってよいでしょう。なお、第14問を検討された東京大学名誉教授の小松彦三郎先生は、関先生が導いた甲に関する1458次方程式は正しいことを報告されています。
写真3 『算法入門』
しかし、こうした『発微算法』の解答法は、解き方がよくわからない、言葉を換えれば、関先生の解法が理解できない数学者からの批判を招くことになりました。天和元年(1681)、京都の佐治一平門人松田正則は『算法入門』(写真3)を著しましたが、これにおいて関孝和先生の解法を激しく非難いたしました。この数学書の上巻は『数学乗除往来』(池田昌意、延宝2年刊)の遺題49問の解法、下巻は『発微算法』批判と自問自答9問および「自好9問」からなっています。そのなかで松田は、発微算法一十五術の内、第六問、第八問、第九問の三問は正術であるが、そのほかの十二問は誤りと指摘し、加えて「この趣き、改めること全く数学を励むにあらず」という酷評も与えました。
佐治一平や松田正則らは、京都の数学者として高名であった田中由真の門下生でした。門下のことは『算法入門』で認めています。かれらの先生である田中由真も『古今算法記』の遺題に挑戦したようで、その解答集に『算法明解』があります。さきほどの第14問についでですが、田中もこの式を作ることは昔から難しいと言われていることを認めた上で、解法の一端を挙げるとして、甲式に至る過程を詳述しようとします。しかし、巳に関する18次方程式を導いたところで、以下は省略して、乙に至って1458次方程式を得て、甲斜を求めることができる、と述べるに留まりました。要は、巳の式を導く過程をみればあとは歴然判明とするという態度なのです。これは関先生の態度と似ていることになります。それは兎も角、巳の方程式を導くために数丁の頁を要していますから、いちいち書いていくことは大変であったことは間違いありません。ちょっと余談ですが、田中由真は『発微算法』の初版本を所持していました。関西大学図書館に収蔵される一冊の末尾に朱書きの署名と花押が書かれています。本文の余白にも墨書きが残されています。この事実から『発微算法』は出版当初から京都学派(?)の注目を集めていたことがわかります。
ともかく『発微算法』が批判の対象になったのですから、関先生としては黙って見過ごす訳にはいきません。特に弟子たちの胸中は穏やかではありませんでした。
( 以下、次号 )