和算入門(18)


前号の和算入門(17)では、『括要算法』の序文に見える弟子たちの思いや周辺の反応などについてあれこれ邪推しましたが、今回は数学を概観することにいたします。

『括要算法』は、元巻、亨巻、利巻、貞巻の四巻からなっています。各巻で扱われる数学の話題は当然として異なるのですが、『括要算法』の冒頭の目録によりますと、元巻は垜積総術並演段、垜積術、衰垜術について触れるといっています。本稿では、この元巻の垜積術について簡単に紹介することにいたしましょう。簡単といっても実は大変難しいのですが。

 

『括要算法』の元巻は先の目録につづいて、第1丁では「垜積総術」と題する見出しのあとに「累裁招差之法」(るいさいしょうさの法)が登場しています。累裁招差之法とは、関数

 

y=a1x+a2x2+・・・+anxn

 

において、変数xn個の値x1x2x3、・・・、xnに対するyの値y1y2y3、・・・、ynが与えられたとき、係数a1a2、・・・、anを決定する方法をいいます。『括要算法』では、x1x2x3、・・・ を限数、y1y2y3、・・・を元積、nを段数、係数a1a2a3a4a5、・・・をそれぞれ定差、平差、立差、三乗差、四乗差、・・・と呼んでいます。いうまでもなく、問題の主旨は、これらの差を求めることにありますから「差を招く」の法、すなわち招差法と命じられる所以になったようです。もっとも招差法は中国の古い暦法にすでに登場していましたから、関先生のオリジナルな研究ということにはなりません。江戸時代の初めに招差法の概念をつたえる『授時暦』や『授時暦議』、あるいは『天文大成管窺輯要』などの暦書が中国から伝わっていました。ただし、これらの暦書がいつ我が国に伝わったかは不明ですが、寛文から延宝年間にかけて大坂摂津にいた暦学者小川正意などが盛んに研究していたようです。関先生もこれら暦書を熱心に勉強して招差法を理解したものと思われます。ただ、関先生の暦学研究については研究の余地がなお残されており慎重な議論が求められますけれども、『天文大成管窺輯要』の巻三を読んでいたことは確実で、それが写本『関訂書』として今日に伝わっています。

なお、「累裁」とは「重なったものを裁く、断ち切る」の意味なのでしょう。

 

さて、累裁招差之法がどのような数学であるのかについて、関先生はその冒頭で「夫れ之積の各数参差(しんさ)たる者、これを斉しくするに累裁招差之法を以てこれを求む」と説明しています。文意として、問題の主旨を伝えたいとする心情は分かるのですが、それでも最初の語句の「之積」は意味が通じません。実は、「之積」は「元積」とすることが正しいのですが、『括要算法』のどの板本をみても訂正された気配はないのです。不思議なことです。関先生が間違ったのか、それとも『括要算法』を編集した荒木村英や大高由昌が間違いに気がつかなかったのか定かではありません。しかし、のちの和算家は漢字の間違いを理解していたようで、このことについて特段のクレームをつけた人もいなかったようです。ただ、市井に流布する『括要算法』のなかには、京都の暦算家の中根元圭がこの字は間違っていると指摘しているとする頭注が書かれているものがあります。それによれば「中根元珪曰く、之字、まさに元字になすべし」と書かれていて、中根元圭が正しく訂正していたことがわかります。詳細な指摘は煩雑になるため避けますが『括要算法』にはそこそこ誤字・脱字があるのです。これはある意味『発微算法』と同じ傾向を持っていると指摘できます。関先生は、漢字の間違いなどにはあまり頓着しなかったのかも知れません。なお、「参差」とは「長短、高低が入り交じり不揃いのさま」の意味のようですから、不整を斉しくする方法が招差法であったと思えます。

 

つづく垜積術は、「垜」が「つみかさなったもの」を表しますから、それら方垜につみ重なったものの和を求める方法が「垜積術」であり、その解法が「垜積術解」ということになりましょう。すなわち、下記の式

 

Sp = 1p + 2p + 3p + ··· +np

 

において、Spを方垜積といい、p=123···にしたがって圭垜、平方垜、立方垜、··· と称し、圭垜積(S1)、平方垜積(S2)、立方垜積(S3)、三乗方垜積(S4)、四乗方垜積(S5)、五乗方垜積(S6)、六乗方垜積(S7)、七乗方垜積(S8)、八乗方垜積(S9)、九乗方垜積(S10)、十乗方垜積(S11)を求める問題が排列されています(写真1参照)。問題についで、それらの解法として演段と式図(写真2参照)も掲載されています。なお、原文ではnのことを底子と称していますが、上から積み重なった垜積の底辺(末項)を表す用語として意味がよく分る言葉だと思います。

 

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写真1 垜積術解

 

圭垜の問題を原文のまま取り上げてみましょう。

 今有圭垜。底子三箇。問積幾何。

  答曰 積六箇。

 術曰。置底子、加一箇、以底子相乗、得数以二約之、得積合問。

圭垜とはp1のときにあたりますから、

 

S1 = 1 + 2 + 3 + ··· + n =  (n+1) n ÷ 2

 

の和を求めることになります。答につづく「術曰」以下の文言は、現代的に書けば上の式の右辺と一致いたします。底子n3ですから、答の積は6になります。平方垜の例もみておきましょう。

 今有平方垜。底子三箇。問積幾何。

  答曰 積一十四箇。

 術曰。置底子、倍之、加三箇、以底子相乗、得数加一箇、以底子相乗、得数以六約之、得積合問。

 平方垜はp2のときの和を求めることになりますので、術文を式に直しますと、

 

S2 = 12 + 22 + 32 + ···+ n2 = {(2n+3) n + 1} n ÷ 6

 

右辺のn3を代入すると、答の積は14となり、正しく求められていることが分かります。

 

以下、立方垜積(S3)、三乗方垜積(S4)、四乗方垜積(S5)、五乗方垜積(S6)、六乗方垜積(S7)、七乗方垜積(S8)、八乗方垜積(S9)、九乗方垜積(S10)、十乗方垜積(S11)まで求めていますので、それらを式にして以下に表示しておきましょう。

 

S3=13+23+33+···+n3= {(n+ 2) n+1} n2÷ 4

S4=14+24+34+···+n4= [{(6n+ 15) n+10} n2–1] n ÷ 30

S5 =15 +25 +35 +···+n5= [{(2n+ 6) n+ 5} n2– 1] n2 ÷ 12

S6=16 +26 +36 +···+n6= ([{(6n+ 21) n+ 21} n2– 7] n2 + 1) n ÷ 42

S7=17 +27 +37 +···+n7= ([{(3n+ 12) n+ 14} n2– 7] n2 + 2) n2÷ 24

S8=18 +28 +38 +···+n8= {([{(10n+ 45) n+ 60} n2– 42] n2 + 20) n2–3}n÷ 90

S9=19 +29 +39 +···+n9= {([{(2n+ 10) n+ 15} n2– 14] n2 + 10) n2–3}n2÷ 20

S10=110 +210 +310 +···+n10= [{([{(6n+ 33) n+ 55} n2– 66] n2 + 66) n2– 33}n2+ 5] n÷ 66

S11=111 +211 +311 +···+n11= {([{(2n+ 12) n+ 22} n2– 33] n2 + 44) n2+10} n2÷ 24

 

大変複雑な式を求めていたことが分かりますが、和算家はこのような努力を惜しまなかったのです。なお、S11の右辺の下線部は違っていて、後世の和算家は「内減三十三箇、余以底子冪相乗」と訂正すべきだ、と指摘しています。

そして、S1からS11までの右辺を展開したものが写真2の式図になります。式図は係数のみが算木で表されていますが、斜線があるものはマイナスを意味します。〇はその項が空位であることを表しています。また、表の最下部に見える用語「法」は割ることを示しています。  次数は表の上から下へと高くなっていることもわかります。

 

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写真2  垜積公式の展開式図

                                                                        

問題につづく演段では、上式の係数について考察しています。圭垜演段では、「基数を置き、これを自乗し得る数一箇と相消し式を得る」といいますが、これは、

 

 

       (1 + x)2 = 1 +2x + x2

 

を得て、この式と一箇と相消して、

 

        0 +2x + x2

 

としたことに表しています。そして、この式の次数の高い項の係数から一級、二級、···と命名するといっています。これにつづけて「圭垜原法二を置き、内一級数一箇を減じ、余り一を実となす。二級数二箇を以て法となし、実法の如く而も一にして二分の一を得る。加となす。これ逐乗二級の取数なり」といいます。これは、

 

       (21)÷2 = 1 / 2

 

と計算したことになりますが、このときの商の1/2を「二級の取数」と呼んでいます。このようにして二級、三級、四級、···の取数を決定していくのですが、その結果を表にあらわしたものが写真3に見える式図になります。

 

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写真3 方垜演段の式図

 

 写真3の式図の左側に書かれる取数(漢字で書かれていますが)1/2, 1/6, -1/30,1/42, -1/30, 5/66, ····  が数学史上有名なベルヌーイ数と一致することになります。関孝和の遺稿『括要算法』は1712年の刊行であり、Bernoulliの遺稿Ars Conjectandiの出版が1713年であったことに鑑みれば、これは関-ベルヌーイ数と呼ぶべきだと日本の数学史家が主張することも頷けるところでしょう。

方垜術につづく衰垜術については紹介を割愛いたします。

 

なお、関孝和先生の累裁招差法と垜積術の詳細について深入りしませんでしたが、先行研究の『明治前日本数学史』、『関孝和全集』を参照されるか、あるいは近著『関孝和の数学』(竹之内脩、共立出版、2008)、『関孝和論序説』(上野健爾他、岩波書店、2008)をお読み頂ければ幸甚に存じます。

 

               ( 以下、次号 )