堪らなく楽しい数学


 (ゼロ除算の反響と存念)

前回は、ゼロ除算の位置づけ、意義の観点から、評価について言及した。ゼロ除算発見4周年を迎える前3カ月に3回に亘って、ゼロ除算の反響、無限遠点の不思議 およびゼロ除算と心、について新鮮な感覚で述べてゆこう。

日本数学会での講演も3年間、春、秋の数学会で連続的に6回講演してきたが、学会ではもちろん慎重に対応し 十分に講演内容を明らかにして臨んだ。数学会のプログラムは印刷物で5000を越える部数を作成し、アブストラクトなども公開されているから 発見の先取性も保証されているという。学会講演が重要視されるのは当然である。内容は基礎的、初歩的で誰でも関心を抱く性質を基本的に有していると考えられ いろいろな分科会で講演している。講演の冒頭、世にも稀なる事件が起きたと心情を述べてきたが、それは誠にそうである。

アヴェイロ大学にいるときに100/0の意味を問われて、解答の折りに偶然発見したものであるが、最初から異様な雰囲気であった。あまりにも基本的で しかも驚くべき結果であるので、状況の理解が出来ず、広く世界に状況を聞いたものである。如何に驚き、慎重に対応したかは再生核研究所声明などに詳しく記録されている。最初から、これは世界史上の事件に係わり、将来ゼロ除算物語ができると感じていたからである。― 無限遠点がゼロで表され、 ユークリッド以来の空間の認識が変更される。アリストテレスの世界観の変更が要求される。そこで、自分自身永く迂闊には話せない心情が有った。そこで、典型的な反響は、まず、ゼロ除算の結果を聞いて、

数学的にそんな筈はなく、全然問題にならないと発想する人が多い。

- この6月、大きな微分方程式の国際会議

https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017

に招待され、全体講演を行うまでに認知、評価されているが、講演の後、感情を露にして、現代数学を壊するもので全然認められないと発言された人が居たが、それは、典型的で率直な反響の例である。― とんでもないという発想である。感情を露に始めから拒否する者は結構多く、いろいろな人の表情が想い出される。まるで悪魔を見たような表情である。- これらを記録するとゼロ除算物語の面白い場面になるだろう。- これらの反響はどうしてかと 繰り返し反芻して、想いを巡らしてきている。

まず、ゼロでは割れないは 生まれながらの定説で、偉大なる数学史の永い間の定説である。多くの天才たちが関与してきて、絶対に揺るぐことのない真実だと 真面目な数学者ほど そのような言わば信仰は深いと考えられる。それで、ゼロ除算は初めからダメ、興味も関心もないと断定される。3年経っても私の考えは変わらないと 相当な数学者が断定しているのには驚かされる。ゼロ除算について 世界には 相当おかしなことを考えている人が多く、また変な説が現れたか、無視の態度を取る者が多い原因の大きな要素ではないだろうか。ここに述べたのは、ゼロ除算の新しい発見、論拠を知らずに 初めから関与したくない者の態度を述べている。- 兎に角事情を知らず、ゼロ除算はダメ、興味も関心もない - である。

それらの原因には、ゼロ、空や無に対するいやな感じと、連続性、飛びに対する受け入れられない感覚があると言える。数学依然の感覚の問題である。

ところがゼロ除算の内容を知っても ゼロ除算はダメだと考える数学者も多い。ここにも2通りの人がいる。数学を誤解して、矛盾に会って、受け入れられない者 と 相当正確に数学の内容を知っても受け入れられない者である。前者は矛盾であるから、正確な理解を求めるのは当然であるが、この観点でも世にも珍しい事件である。3年を超えて理論を詳しく解説しているのに、数学としてどうしても理解できない専門家がいる。- こうなると数学の論理で説得でない事情さえ現れている。- ゼロ除算は初期から、当たり前、自明であると述べてきているが、このような場合には、先に進めず、理解されるまで待つ他はない。論理などは難しいものはなく、せいぜい高校生程度の論理であるが、上記のような予断で論理を真面目に考えない理由であろう。先入観が理解を妨げていると言える。

(ここには、相当に研究してきてしまって、最早自らの説を変えられない存念で自説にしがみついている者も複数存在すると感じられる - 何十年も考え、本や論文を発表しているのに それらは間違いであると指摘されていることになる。生涯をかけてきてしまった研究者さえいるようである。)

数学は、相当理解しているにも関わらず、ゼロ除算の数学はダメだ、それは齋藤の世界で、そのような数学はできないと発想している 真面目で有能な数学者も結構いる。この背景についても思いを巡らしている。どうしてだろう。あるドイツの方に国際会議の開催される町までバスで一緒になり 話したときの反響が極めて印象的である。関数 W= 1/z の原点での値はゼロであるなどと述べたとき、異様な表情をされて それは アリストテレスの世界観に反するので、受け入れられない、それが正しくとも そのような数学は受け入れられない、議論を打ち切りたいと 感情むき出しにしたものである。彼は極めて有能で紳士的な数学者である。20年以上も前にオーベルバッハでの国際会議で 一緒で お互いの勇姿(?)― お互いに不等式に関する高級国際会議の想い出を共有している。国際会議場や晩餐会、観光などで沢山写真を撮ってくれた。それ以来、ずっとアリストテレスを意識することとなったが、数学が分かっても新しい数学を受けいれられないのは、その心は、連続性が崩れている新しい現象のためと考えられる。無限の先が 突然、原点に飛んでいる現象が奇怪に感じられるためである。 ― しかし この点で、関数y=1/xの原点の値がゼロであることは、図を見て、原点が関数のグラフの中心になるので、それは良い、美しいと発想する者も多い。

そこで、我々の世界、数学はどうなっているか と問い、初等数学全般を見直すことにした。はじめは 新しい数学は変な小さな例外的な世界を記述するかも知れないという気持ちもあったが、円の鏡像に関する古典的な結果の間違いやxy直交座標系でy軸の勾配がゼロであることを発見してから、どんどんゼロ除算が我々の世界に現れていて、我々の世界ではゼロ除算、関数にゼロ除算を適用したゼロ除算算法が無ければ、我々の数学は不完全で、従来数学の盲点が露になってきた。現代数学には間違いを含む欠陥があると主張している。そこで、この重要な内容の理解を求めて、114ページに全体的な解説を纏めて、下記のような文を付けて内外の数学者たちに広く意見を求めている:

Dear the leading mathematicians and colleagues:

 Apparently, the common sense on the division by zero with a long and mysterious history is wrong and our basic idea on the space around the point at infinity is also wrong since Euclid. On the gradient or on derivatives we have a great missing since $\tan (\pi/2) = 0$. Our mathematics is also wrong in elementary mathematics on the division by zero.

I wrote a simple draft on our division by zero. The contents are elementary and have wide connections to various fields beyond mathematics. I expect you write some philosophy, papers and essays on the division by zero from the attached source.

____________

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces

Hi roshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh

International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1

-16.  

http://www.scirp.org/journal/alamt 

http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007 
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html 
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

http://okmr.yamatoblog.net/division%20by%20zero/announcement%20326-%20the%20divi

http://okmr.yamatoblog.net/

Relations of 0 and infinity

Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…

https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017

国内の方には次の文も加えている:

我々の初等数学には 間違いと欠陥がある。 学部程度の数学は 相当に変更されるべきである。しかしながら、ゼロ除算の真実を知れば、人間は 人間の愚かさ、人間が如何に予断と偏見、思い込みに囚われた存在であるかを知ることが出来るだろう。この意味で、ゼロ除算は 人間開放に寄与するだろう。世界、社会が混乱を続けているのは、人間の無智の故であると言える。

  三角関数や2次曲線論でも理解は不完全で、無限の彼方の概念は、ユークリッド以来 捉えられていないと言える。(2017.8.23.06:30 昨夜 風呂でそのような想いが、新鮮な感覚で湧いて来た。)

ゼロ除算の優秀性、位置づけ : 要するに孤立特異点以外は すべて従来数学である。 ゼロ除算は、孤立特異点 そのもので、新しいことが言えるとなっている。従来、考えなかったこと、できなかったこと ができるようになったのであるから、ゼロ除算の優秀性は歴然である。 優秀性の大きさは、新しい発見の影響の大きさによる(2017.8.24.05:40) 

思えば、我々は未だ微分係数、勾配、傾きの概念さえ、正しく理解されていないと言える。 目覚めた時そのような考えが独りでに湧いた。

典型的な反響は 次の物理学者の言葉に現れている:

Here is how I see the problem with prohibition on division by zero, which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out2017.10.14.8:55)。

現代数学には間違いがあり、欠陥がある、我々の空間の認識は間違っていると述べているので、相当の数学者は興味と関心を持たざるを得ないのではないだろうか。

しかしながら、それでも興味や関心を持たない人がいるが、それは あまりにも忙しく 他に興味や関心を抱く余裕がない状況に置かれているからではないだろうか。生活に追われたり、自分の専門にはまっている場合が多いのではないだろうか。数学などは 抽象的な世界とも言えるので、そんなことに関わっては居られないという心情、状況があるのではないだろうか。― もちろん、意欲が無ければ論外である。興味、関心が無ければ始まらない。― もう十分に生きてきてしまった、もはや新しい世界には興味も、関心もない、歩んできた道をひたすらに進みたい心情も良く分かる。

しかしながら、1300年以上に亘って、算術の創始者が0/00であると定義していたものを それは間違いであると言ってきた世界の数学界は 相当おかしく、世界の数学界の恥ではないだろうか。またこのような状況に対しては研究者として 良心の呵責を感じてしまう。

                         ( 以下、次号 )