『精要算法』上中下3巻は、天明元年(1781)に刊行されますが、その冒頭には天才数学者安島直円の名前が挙がっていました。それは、
南筑 久留米藩 藤田権平定資 著
羽州 新庄藩 安島万蔵直円 訂
とする訂者としての登場でした。安島は藤田のために跋文も寄せましたが、この跋文のなかで、近時の数学研究の在り方を憂慮しながら、『精要算法』刊行の意義を次のように説いています。
精要算法跋
久留島先生曰、凡、数学は問を設るを難しとす。術を施すは是に次ぐ。今、暦術を以て問と為すこと算題の得がたきより起れりと。信なる哉。近世算題を見るに徒に和を増し、乗を累子(注:子は「し」もしくは「ね」と読むか)、題中に数乗の開方商を錯へて、容易に術を施しがたからしむ。是、所謂、算題の得がたきを困して、巧をなす者なり。是を名けて煩題と云。題意謬りなしといえども、労して功なし。或は題辞足らず、或は題辞余りありて、大に損益すべき者あり。是題辞に各定数あることを知らずして、謬りをなす者なり。是を名けて病題と云。如此の類、皆、術を施し、数を試ざるが故なり。自ら謬ることを知らざるのみにあらず。更に初学の工夫を費さしむ。又、世を惑わすのみあらず、己れも亦大に惑へる者なり。予が友藤田子、これを憂へ、これを慮て、彼売買、貸借等の算題より此方、円容術等の雑題に至るまで、理の深遠にして、術の簡なる者百余条、自ら題を設け、術を施して初学をして売買、貸借の類といえども、方円容術の類と同じく、算題となすべきことを知らしめんがため書数編を著す。書成て、予をして校訂せしむ。其書たるを見るに、繁を芟り、要を括りて、関夫子の深意奧妙悉く術中に含めり。初学ひとたび是を観て、引て、伸之類して、長之せば、題を設けて煩ならず。従て術を施し得は、自ら其妙に至らんか。因てこれが後へに書す。于時安永八年己亥秋八月
安島直円伯規 撰
跋文の冒頭で安島は、先人久留島義太の発言を援用しながら、数学の難しさは問題を解くことよりも、問を設けることにある、と指摘しています。このような指摘は大変奥く深く、現代の研究の在り方にも通じる見方ではないでしょうか。そして、この発言の直後に、近年、暦術の問題が取り上げられているが、その原因は算題が容易に得られないところにあると指摘していることも見逃せないところでしょう。暦術と数学の関係性の一端が窺える記述といえます。そして、これらの指摘に続けて、近世数学の憂うべき状況は煩題、病題が著しく出回っていることだ、と断じます。これら煩題や病題の出現は関孝和が存命のころにも見られた現象ですが、18世紀後半に至ってもまだ問題の誤りに気づかない数学者がたくさんいたのでしょう。ある意味似たような学問環境は何時の時代、どこにでも出現するのでしょうか。ですから、そういった学問の閉塞状況を打破(あるいは一新)するために『精要算法』の出版が企画されたのだ、と安島はこれの出版意義を強調するのでした。その上で、ここにおいて藤田が取り上げた問題は、日用の売買貸借に始まって、現下の数学者が好んで研究するようになった容術-方形や円形の組み合わせ問題-などの雑題も含めて、「理の深遠にして、術の簡なる」ものを選りすぐっているというのです。当時の数学者が好んで研究するようになっていた幾何図形問題、すなわち容術問題を雑題と評したことは、本書の凡例で論じられた「数学三用論」から判断すれば「無用の用」に属するという考えに基づいてのことかも知れません。そして、この算術書では問題文や術文の「繁」(煩雑さ)を省き、解法の「要」(要点)を簡潔に括り、「関夫子の深意奧妙悉く術中に含めり」といっていますので、書名の『精要算法』は、ますます関の『括要算法』を意識したものといえることになります。
さて、『精要算法』の上中巻は、安島が公言するように売買や貸借問題がたくさん列挙されています。上巻の第1問は「相場割」問題になります。問題を見ておきましょう。
相場割
いま、商人米を買い置くあり。南の人に金一両につき三斗高くこれを売り、金十七両二分益あり。その南の人、また東の人にその相場より金一両につき二斗高くこれを売り、金二十両の益ありといふなり。買い置き相場ならびに米石数何ほどと問ふ。
答曰 買い置き相場金一両につき一石二斗
総石数六十三石
上巻はすべて「相場割」問題で構成されていますが、最後の方に所謂「虫食い算」も登場してきます。天元術を使った代数方程式の解き方も示されていますので、手順を踏んで解答していけば、段々と理解が進んでいく編集になっていることがよくわかります。
中巻の目的は「利息割」の問題に慣れることにあります。
利息割
元銀五貫二百二十匁、此の利銭百十九貫六百二十四文。又、元金百両、此の利銭百三十二貫九百十六文。金一両につき銀何ほどと問ふ。但し、利割同じ。
答曰 金一両につき銀五十八匁
中巻は上記の「利息割」に始まり、同種の問題がたくさん取り上げられますが、途中に天元術による解法が見えることは上巻と同様で、ある量の銀をある人数に配分する「配分銀」問題も「雑題」に属するものとして扱われています。この『精要算法』中巻の諸問題に対して、『明治前日本数学史』の著者藤原松三郎は次のような評価を与えています。藤原の指摘をそのまま引用してみましょう(同書第4巻、pp.408-409)。
中巻の最後の問題は、貞資の招差新術の問題である。その他自約の問題あり、変数術の問題あり、一見すれば普通の問題のごとくして、その実招差約術翦管等関流の高き数学を要する問題をも交えて、その答術および解義を分り易く仮名交り文で述べている。精要算法が算書の形式を一変せしめたといはれる所以である。
こうした『明治前日本数学史』の評価を鑑みますと、藤田貞資は、新たな数学分野の開拓という面での貢献は少なかったかも知れませんが、関流数学を市井の人々が関心を抱く問題に溶け込ませ、身近な数学にしたという観点からは讃えられるべきでしょう。
さて、下巻はまさに「無用の用」と呼ぶべき容術問題が主題となっています。すべての紹介は避け、ここでは2問ほど紹介することに留めたいと思います。
第1問は「弦千寸以下、勾股弦無奇(俗に不尽なしと謂う)」という問題です。これはx2+y2=z2の整数解をzが1000寸以下の場合を求めよというのですが、藤田はx=3,5,8,---,372、y=4,12,15,---,925、z=5,13,17,---、997と計算して、各辺の長さが1000寸以下の数を158組出しています。こうした数値計算は近世日本の数学者がもっとも得意としたところで、その真骨頂が表れているといってよいと思われます。
第27問は以前紹介したことにある多面体に関わる問題です(写真1の第2図)。まず、問題の全体を見ておきましょう。
写真1 『精要算法』下巻27問
今有如図球面画四円象(四円各等、其周各相切)、只云円外覔積(俗謂皮積)五百九十五歩三分六厘。問球径幾何。
答曰 球径三十五寸〇〇
〇〇有奇
術曰置三箇平方開之倍之加三箇得数乗外覔積以円積法除之得数平方開之折半之得球径合問。
この問題は、一つの球面上に、半径の等しい円四個を図のように互いに接しながら描き、三個の円で囲まれる面積(覔積あるいは皮積)の和が595.36歩であるとき、球の直径を求めよというものです。答は球径35寸有奇ですが、術文は次のようになっています。
球径=
上式では、s=覔積=595.36歩、π/4=円積法(率)=0.7853981633974有奇の値を取っています。
この問題の条件は、球面上に描かれる四つの等円が互いに接していることにあるのですが、その際、球面上で接する三つの円が描く形は弧三角形になっているところが勘所になります。これが制約条件なのです。そして、この問題の場合は、球内に正四面体が内接していると考えることで、球面上に描ける等円が四個になることも分かってきます。後にこの問題を発展させたのが上州沢渡村にいた劍持章行でした。
以前にも触れたことがあったと思いますが、実は、藤田貞資は梅文鼎の遺著『暦算全書』を読んでいて、正多面体が五個の限られることを知っていたのでした。
( 以下、次号 )