堪らなく楽しい数学


(無限の彼方、無限遠点の不思議、無限遠点は無限に存在するか?)

平面上をどこまでも どこまでも直線上を一方方向に行ったらどうなるだろうか。永遠とはどのようなものだろうか? そのようなことを多くの人は自然に思う、考えるのではないだろうか。これについて どこまでも どこまでも行っても行き着くことはなく、どこまでも どこまでも行くと考えるのが、 ユークリッド幾何学に現れる空間の捉え方であった。― これは砂漠の文化を反映していると哲学の先生に聞いたことがある。果てしない空間と歩みからである。― この発想には何か寂しさがあって、受け入れられないのでは? アヴェイロ大学のあの喫茶店のテーブルで 2人の教授に聞いたとき、きっぱりと、そうだと断定された瞬間が鮮やかに想い出される、その時、文化背景の深刻な違いをはっきりと認識した。― 違った人間であると直感した。

 

これに対して、立体射影で平面を球面上に写せば、どのような方向に行っても球面上の北極に対応する点として無限遠点が考えられ、全平面は 球面上の北極点を除いた点に1対1に対応して、無限遠点を北極に対応させれば、全球面と拡張された平面は 全体が1対1に対応して、ある意味で平面は完全化される。 ― これはアレクサンドルフの1点コンパクト化と呼ばれている。平面上の直線も円も立体射影で球面上では円に写り、平面上の直線と円は、立体射影で球面上では、北極を通る円に対応するか、北極を通らない円に写るかの違いに過ぎないとなる。そうすると直線と円は全体として1対1に対応して、円を1方向に行けばぐるぐる回るように、平面上をどこまでも どこまでも直線上を一方方向に行ったら 無限遠点を経由して反対方向から戻ってくることになる。- (この詳しい説明はサイトで簡単に説明されているので知識の無い方は参照して下さい。 以下に出てくる、 円の鏡像やローラン展開もそうです。) これは永劫回帰、輪廻思想を表現するものとして 実に美しく楽しい。- この思想は四季を有するアジア文化圏の世界観を表しているという。

 

上記2つの考えは、基本的な世界観で ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学(楕円型)で、後者も確立して百年以上複素解析学を支える空間として定説になってきた。

 

ところがゼロ除算が齎した空間は これらとは全く異なる空間で、しかも、新しく発見された空間が 我々の初等数学全般を支える空間であることが 沢山の具体例で明らかにされてきた。

上記立体射影をもう1度振りかえろう。その立体射影で、直線上を一方向にどんどん行けば、限りなく 球面上では 無限遠点(北極)に近づいていることが確認できる。そこで、その先、近づいた先を無限遠点として無限の記号で表してきた。どんどん球面上では北極に近づく、極限点は北極であると言える。しかしながら、ここで驚嘆すべきことがあった。近づいた先が無限遠点は良いが、実は究極の先で不連続性があって、突然、そこで 原点になっているというのが ゼロ除算の結果である。すなわち、W = 1/z に対して、 原点の値がゼロである。簡単な関数 y = 1/x で原点の値はゼロである。ゼロの近くでプラス、マイナス無限に幾らでも発散するが、原点で不連続的にゼロの値をとっている。繰り返し述べてきたようにこれが、アリストテレスの世界観に反し、ゼロ除算の理解を遅らせる、ゼロ除算が嫌われている一つの要素である。- 驚嘆すべき現象と言える。

 

どこまでも どこまでも直線上を一方方向に行ったら、限りなく無限遠点に近づく、しかしながらその先は、突然、原点に飛んでいる。戻っている。動きの全体を簡単な関数y = 1/xのグラフで理解して欲しい。

無限の先の不思議さに触れていきたい。点A を中心とするある円の、中心 A の鏡像は 世の常識と違って、実は中心 Aであることが証明された。中心Aの近くの点は無限遠点の近くに写るから、鏡像変換で中心Aだけが 飛んで変に写っていることになる。この対応は円の半径には寄らない性質であることを確認したい。すると円外の無限遠点の近くが、中心 Aによることになり、無限遠点が一つだろうかという疑念が湧いてくるのではないだろうか。中心Aごとに無限遠点が対応しているのではないだろうかとの思いがするだろう。- アレクサンドロフの1点コンパクト化とは、あらゆるコンパクト集合の外にある点を想像上で考えて1点コンパクト化と定義していて、1点は定義である。しかるに、立体射影では 原点の上に存在する北極点に対応する想像上の平面上の点として無限遠点が定義されている。いずれも1点は定義で、イチ1についての意味は与えられていない。- さらに 立体射影が 平面の座標軸の取り方によっているのは歴然である。

 

さて、我々はゼロ除算算法を導入した。すなわち、関数f(z)a点の周りでのローラン展開において 値f(a)をその展開における定数項 で定義する。負べき項が存在するとき、 z aに近づくとき、f(z) は無限に、極に、無限遠点に近づくが、z a自身のときは 値 をとる。この値は関数fによって 強力な不連続性で決まる。 - これは無限の先に存在するという意味で、関数による 無限遠点ともいえる。この値には不思議な性質があることを紹介しておこう:

 

次は 角の3等分を考えて生まれたNicomedes (BC 280BC 120)の曲線である。

 

r = a + b/cos θ);

 

a, b > 0 定数、x 軸を原線とする極座標。直線 x = bを考えるとこの関数のグラフは興味深い幾何学的な意味を有することが分かる(考えて欲しい)。もちろん、グラフはx 軸に対称で直線 x = b を漸近線にしている。aがゼロのとき、グラフは直線x = b である。しかしながらゼロ除算算法で、θが 直角(2分のパイ)のとき、x,y直交座標系で、点(0,a)を表すことになり、この点の意味付けは 難しく神秘的とも言える。直線 x = bを漸近線にしているのに、奇妙な点(0,a)が曲線(関数)の無限遠点になっている。

 

次は Diocles (BC 249?-BC180?) の疾走線と呼ばれる面白い曲線であるが表現は複雑なので、適当な座標系で (2a x) = , r = 2a(1/ (cos θ) - cos θ) などと表されると述べるが、特異点ではいずれも、関数のグラフの美しい頂点が 無限遠点になる。この発現は実に面白い。― それにしてもギリシャ文化の素晴らしさに感銘を受けてしまう。

 

今回の話題はホットでいわば最前線の研究課題とも言えるので自由に考え、かつ新しい世界を探検して欲しい。元前橋工科大学教授 奥村博氏(Ph D.)の楽しい数学は大いに楽しめるのではないでしょうか。円と直線に関するユークリッド幾何学(和算)に ゼロ除算は新しい世界を拓いている。沢山ゼロ除算の結果が幾何学的に現れていて実に楽しい。それらは、 ユークリッド以来の新しい世界である。デカルトの美しい円定理の変形、ゼロ除算の発現の様は驚嘆すべきことを述べている。いずれにせよ、無限遠点は未知の新しい世界で、謎に満ちている。

                   ( 以下、次号 )