和算入門(30)


『和算入門』(29)では,17世紀前半における江戸幕府の「禁書」政策とその緩和令の導入、そして、享保11(1726)年の『暦算全書』の舶載および建部賢弘と中根元圭による同書の訓点和訳の様子を中心に紹介しました。その際、イエズス会宣教師マテオ・リッチ(利瑪竇)による西洋の数理科学書の漢語訳化、李之藻によるそれら漢語訳書籍の編纂(『天学初函』)などについても触れました。また,多くは説明しませんでしたが,中国経由で渡来した西洋の三角法が和算家によって修得されていく様子も描きました。殊に、三角法との出会いは,近世日本の数学が,その研究の方向性において大きく転換することはありませんでしたが、角度を理解し,これを天文・暦学や測量・航海術の研究に応用することによって、この分野での研究に長足の進歩をもたらしたことの意義は大きいといわなければなりません。

 

また、享保11年以降に伝来する漢語訳の西洋数理科学書は、和算家のみならず、蘭学者や儒学者・国学者などによって読まれ、西洋学術の理解に大きな進歩をもたらすことになりました。特に、蘭学者たちはオランダ語の学術書の理解に漢語訳された書籍の記述や術語などを参考にしたのでした。その意味からも、また、近世思想史を語る上でも漢語訳された西洋数理科学書の研究は極めて重要な位置を占めているといえることになりましょう。そこで、『和算入門』(30)以降の数回にわたって、近世日本数学史ではあまり触れられることのない漢訳の天文暦算書について紹介し、それらが果たした役割を見ていきたいと思います。また、筆者は、様々の分野の西洋学術書がイエズス会宣教師と進歩的中国知識人の共訳として誕生しますが、それらのなかでも天文学・暦学・数学・測量学に関わる書籍を漢訳西洋暦算書(Chinese books on western calendrical calculations)と呼ぶことにしています。従って以下では、この用語を用いて話を進めていくことをお断りしおきます。

 

『天学初函』については『和算入門』(29)で取り上げましたから、ここでは、近世日本の天文・暦学者に多大な影響を与えた『西洋新法暦書』(『崇禎暦書』)から紹介していくことにします。長く近世中日交流史の研究に携わられた関西大学の大庭脩先生の著書『江戸時代における唐船持渡書の研究』(関西大学東西学術研究所、昭和42)によりますと、享保18(1733)年に『西洋暦経』一部十二套が舶載されたとする記録が残されていることを知り得ます。これが我が国に最初に伝わった『西洋新法暦書』100巻と思われるのですが、はっきりとはわかりません。『西洋新法暦書』は、中国明朝の萬暦年間に、ドイツ人宣教師湯若望(Johann Adam Schall von Bell, 1591-1666)とイタリア人宣教羅雅谷(Jacques Rho, 1593-1638)らが中国の改暦運動にあって西洋天文学の優位性を誇示するために西洋の天文・暦算書のエッセイを漢語訳化して崇禎帝(-1643)に献上した『崇禎暦書』を改名して出版した一大天文暦算学書です。天文理論としてはティコ・ブラーエ(1546-1601)による周転円のアイデアが基本となっていました。『崇禎暦書』は『新法暦書』とも呼ばれましたが、明王朝没後の清朝順治帝の順治2(1645)年に『西洋新法暦書』として刊行されました。また、この暦法に基づいて作成された暦を『時憲暦』と称しますが、17世紀後期の日本の暦算家はこの暦を盛んに研究いたしました。その一人に中根元圭がいます。

ところが、やはり大庭先生の研究によりますと、記録として正確に残るところでは、宝暦7(1757)年に『西洋新法暦書』が、宝暦9(1759)年に『崇禎暦書』が伝わったとあることが伝来の初見となります。くどくなりますが、これに含まれる『割円勾股八線之表』が享保12年に緊急舶載され、建部・中根らによる『暦算全書』の訓点和訳に用いられたことは、前回の述べたところです。ですから部分的には享保12年といえるかも知れません。

 

さて、『西洋新法暦書』に含まれる書籍群にあって『大測』二巻は日本の暦算家たちによく読まれた暦学・測量術書といえます。その筆頭格は和算家でもあり経世家でもあった本多利明(1744-1821)であったといえるでしょう。さて、『大測』の冒頭、撰者のスイス人宣教師鄧玉函(Jean Terrenz, 1576-1630)は「大測」の意義を説いています。漢文の紹介はちょっと長いので省略して、筆写による翻訳文を見て頂くことにしましょう。

 

大測は三角形の辺や角の大きさを測る方法である。凡そ、測量の計算法は皆大測に因って彼是を測るのである。中国では『九章算術』の句率と股率による比例法や句股之法、すなわちピタゴラスの定理が重用されてきたが、この方法では、曲線つまり円と直線の関係を正確に測定することは出来ない。この問題を解決する手段として三角法が有効的に機能するのである。西洋では早くから天文観測に三角法が用いられてきた。それはまず、全天の141象限とし、この象限の12に応じる半弦から計算を始めるのである。つまり、円に内接する正多角形の一辺の長さを、弧長に対応する弦とみなして計算する。その方法は正六角形の一辺を求めることから始めて、つぎに「六宗率」をもって弦の長さを求め、つづいて「三要法」によって弦の長さを求めるのである。いずれも簡易である。さらには弧度に対応する各線分の長さを「簡表」にしておけば、計算において労力を要せず捷径である。まさしく測天において必須であり、天と地の大なる者を測量するが故に大測と名づく。

 

 読んでお分かりのように、撰者の鄧玉函は中国古代の『九章算術』の巻九勾股で扱われる測量術の限界を指摘した上で、いま撰者たちが伝えようとする三角法は平面のみならず球面においても精確に対応できると誇示しています。なお、上記の現代語訳文に出てくる「六宗率」は、円に内接する正六角形、正方形、正三角形、正十角形、正五角形、正十五角形の一辺の長さ(通弦と呼ぶ)と半弦の長さを求める方法を指しています。「簡表」は三角関数表の作成法に相当します。「三要法」では三角法の三つの公式が示されます。それら公式の骨子を紹介することにしますが、原文を示した上で、原文が示す意味を現代的に表してみることにしましょう。まず、「要法一」です。

 

 要法一 前後両弦、其能等于半径。

 

この「要法一」での「両弦」とは、前弦を正弦、後弦は余弦のことを表しています。そして、これら二つの弦の値とその半径は等しいと述べていますから、これは、

 

           sin2Acos2A1              

 

といっていることになります。ついで「要法二」になります。これは、

 

 要法二 有各弧之前後両弦、求倍本弧之正弦。

 

と書かれています。この「要法二」では、弧長に対応する正弦と余弦が与えられたとき、もとの弧長の2倍の弧長に対応する正弦を求めることをいっている理解することができます。従って、これは倍角公式をいっていることに等しく、

 

           sin2A2sin A cos A.                  

 

と書けることになります。最後が「要法三」ですが、これはつぎのように書かれています。

 

 要法三 各弧之全弦上方與正半弦上、偕其矢上両方并等。

 

 この「要法三」にいう「上方」は2乗を意味しています。また、「其矢」は正弦に対応する正矢のこと指していますから、1cos Aを表していることになります。従って、「要法三」が表す公式は、

 

         sin2   

 

とする半角公式をいっていることになります。この「三要法」に続いて「二簡法」が説かれています。これも簡単に紹介しておきましょう。その「簡法一」では、

 

簡法一 両正弦之較、與六十度左右距等弧之正弦等。

 

とあって、

 

       sin Asin(60°+A)sin(60°-A)       

 

が成立することを教えています。「簡法二」はやや長い文章の解説になっています。

 

 簡法二 有両弧不等之各正弦、又有其各余弦、而求両弦相加、相減弧之各正弦。

 

これは、

       sin(A±B)=sin A cos B±cos B sin A       

 

と書けて、正弦関数の加法定理に相当することになります。

 このあとに続く公式についての詳解は冗長になるので避けることにしますが、敢えて指摘すれば、後世の暦算家が好んで使用する方べきの定理や正切定理などが取り上げられています。なお、最後の「因明篇第一」では「プトレマイオスの定理」(トレミーの定理)も紹介されています。おそらく、東アジアでのプトレマイオスの定理の紹介は『大測』が最初であると思われます。これも長い説明を要しますので、以下に原文の要所だけを紹介しておきます。図説も載っているのですが、これも省略します。

 

 平面両三角形、在圏内、同底、両形之頂相連、成一四邉形、此形内、有両對角線、則此形相對之各両邉、各相偕為両直角形、并與両對角線相 偕為直角形等、…其用、為先得五線、以求第六線。多羅某之法。

 

周知のようにプトレマイオスの定理は、四角形甲乙丙丁において、これの対角線甲丁、乙丙が引かれたとき、辺甲乙、乙丁、丙丁、甲丙および対角線甲丁、乙丙の間に

 

       甲丁×乙丙=甲丙×乙丁+甲乙×丙丁

 

とする関係が成り立つというものです。上記原文の最後に、この方法は“多羅某之法”であるとする注記が書かれています。多羅某は“Duo luomei”と発音できますから、これがトレミー(Ptolemy)ことプトレマイオス(KlaudiosPtolemaios, 100-170ca.)であることは明らかであり、原文はかれの定理を伝えていることは間違いところです。

 

             ( 以下、次号 )