和算入門


今回は『暦象考成』と『暦象考成後編』について紹介しましょう。


清朝の雍正元年(1723)、『律暦淵源』100巻が出版されました。『律暦淵源』は清聖祖康煕帝 (1654-1722) の強い意向を受けて” “” “の淵源を極めることを目的に編纂されたもので、18世紀の清朝における天文学、数学そして楽律の百科全書と呼べる様相をもっていました。これの編集にあたったのが梅文鼎の孫の梅(1681-1763) 何国宗(?-1766) でした。編纂作業は康煕帝最晩年の1721年に終わりますが、『律暦淵源』が出版された時、皇帝はこの世を去っていました。

百科全書といえる『律暦淵源』はつぎの三部門から構成されていました。

 

  『御製暦象考成』 上編十六巻 下編十巻 表十六巻

  『御製律呂精義』 上編二巻 下編二巻 続編一巻

  『御製数理精蘊』 上編五巻 下編四十巻 表八巻

 

これら三部門のうち、近世日本の暦算家が頻繁に参照したのが『御製暦象考成』(以下単に『暦象考成』と記す) でした。『御製律呂精義』と『御製数理精蘊』の影響については今後の研究課題となります。

実は、『暦象考成』はフランス天文学の新しい観測結果が取り入れた最新の天文暦学書でした。上編・下編および三角関数表を併せて42巻からなりますが、上編の巻二と巻三はそれまでの中国における三角法の解説書に較べて、球面三角法の基本を順序立て説明し、しかも応用例を豊富に取り入れていましたから、球面天文学の優れた入門書と呼べるものでした。確かに、『崇禎暦書』に含まれる『測量全義』でも球面三角法の基本公式は紹介されていましたし、天文・暦学の初心者には難解と思われる総較法や次形法も取り上げられていました。また、球面三角法の初歩から高度な内容を備えた教科書と言う点では、梅文鼎の『平三角法擧要』や『弧三角法擧要』も十分価値あるものでした。しかし、基本からの丁寧な解説とそれに従う豊富な例題という点では『暦象考成』に及びませんでした。日本の暦算家が『暦象考成』の三角法の研究に傾倒した理由も、それら中国暦算書の微妙な編集方針の違いを敏感に感じ取ったところにあったと見てよいと思われます。

 最初に『暦象考成』に載る球面三角法の全体を俯瞰しておきましょう。

 

 御製暦象考成上編巻二

弧三角形上

弧三角形総論

弧三角形綱領

弧三角形凡例

正弧三角形論

正弧三角形図説

正弧三角形八線勾股比例図説

正弧三角形用次形図説

正弧三角形邊角相求法

正弧三角形設例七則

 

 目次から分かるように『暦象考成』上編巻二の中心議題は球面三角法の基本形である「正弧三角形」すなわち直角球面三角形の意義とその応用法を明らかにすることでした。そのために冒頭の「弧三角形総論」において、編者たちはつぎのように振り返っています。中国での暦学、言い換えれば三角法の歩みが分かる文章ですから、原文と共に筆者の訳文を紹介することにします。

 

弧三角形総論

 弧三角形者、球面弧線所成也、古暦家有黄赤相準之率、大約就渾儀度之、僅得大槩、未能形諸算術、惟元郭守敬、以弧矢命算、黄赤相求、始有定率、観古為密、但其法用三乗方、取數甚難、自西人利瑪竇、湯若望等、翻譯暦書、始有曲線三角形之法、三弧度相交成三角形、其三弧三角、各有相應之八線、弧與弧相交、即線與線相遇、而勾股比例生焉、於是乎有黄道可以知赤道、有赤道可以知黄道、有経可知緯有緯可以知経、暦象之法、至此而備、勾股之用、至此而極矣。

 

弧三角形総論

球面三角形は、球面上に生じる弧線によって形作られるが、これは古代の暦家が考案した黄経率や赤経率に準じ、その大凡は渾天儀の度数に当てみれば分かる。しかし、それは僅かに三角法の概略を得たに過ぎず、未だ球面三角法の計算方法をよく理解していないのである。元の暦算家郭守敬(1231-1316) が撰修した『授時暦』(元朝17(1280) に完成)は、それまでの中国の暦と比較してきわめて優れた精度を誇っていた。『授時暦』の優秀さは、観測に慎重を期しただけでなく、計算における新工夫があった。それらは、太陽の盈縮の算定ならびに月行遅疾の計算に招差法を用いたこと、赤道および黄白道の変換に球面三角法に類似する方法が採用されたところにある。しかし、補間法の一種である招差法においては、

f (x)daxbx2cx3

 の3次の整関数において与えられた条件から係数a(平差)b(定差)c(立差)d(直差)を決定するにあたって極めて複雑な計算を強いられた。しかし、西人利瑪竇や湯若望等が翻訳した暦書に載る球面三角法を用いれば、赤道座標や黄道座標の変換は簡単にできるようになる。

 

ここにおいて編者は、マテオ・リッチや湯若望たちイエズス会宣教師がもたらした球面三角法による西洋暦法が、中国の古代の暦法と較べて、非常に優れていることを説くとともに、球面三角法が赤道座標や黄道座標の決定とって極めて有効であることを強調したのでした。

 総論に続く「弧三角形綱領」では、球面三角法の基本概念である直角、鋭角、鈍角など角の大きさ、弧線の長さと角の関係などが定義されます。「弧三角形凡例」では、球面三角形の内角の和が540度以下であること、球面三角比に平面三角比を応用すること、球面三角形の相似形や合同形、中垂線、次形法、総較法、垂弧法など球面三角形の基本原理が13の凡例として示されます。繁雑になりますので、事例を紹介することは避けたいと思います。

そして「正弧三角形論」では、経線と緯線が直交する場合に直角球面三角形が形成されること、またその具体的事例説明を「正弧三角形図説」において、更に「正弧三角形八線勾股比例図説」では三角比が応用できることの図形的説明を示しています。「正弧三角形用次形法図説」では球面図形を用いて次形法の骨子が解説されています。そして「正弧三角形邊角相求法」では、直角球面三角法が赤道座標と黄道座標に変換されることを論じますが、直角球面三角形の要素である一辺と某角を求めようとする場合、辺と角を「錯綜変換」すれば30則の公式が導かれると言っています。その30則とは、黄赤交角八線比例法 九、黄道交極圏角比例法 九、次形法 十二」になるのですが、具体的な計算例は「正弧三角形設例七則」で解説されることになります。その正弧三角形とは、球面三角形の交角の一つが直角である場合を指しており、「正弧三角形設例七則」は直角球面三角法の実例を解説していることになります。30則と言いましたが、実際には設例第一則から第七則で21問が取り上げられています。以下に問題と式を紹介することにしますが、全てを見ることは紙幅を過ぎますので、簡略にして示したいと思います。

 

1

 

 

「正弧三角形設例第一則」

(1) 乙丙の距緯度を求める方法

 黄赤交角2330分、黄道の弧度が45度の時、距緯度、赤道度、ならびに黄道が極圏に交わる角を求めよ。  

 いま、上の図1において、甲を黄赤交角(A)、丙を直角(C)、甲乙を黄道度 (c)として、乙丙の距緯度(a)を求めると、比例により、

   sin a : sin A = sin c : sin C.

 を得る。sin C =1(r)であるから、

    sin a = sin A sin c.

(2) 甲丙の赤道度を求める方法

(1) と同様に、図1において、甲丙が求める赤道度(b)であるから、比例により

            tan b = cos A tan c.

(3) 乙の黄道交極圏角を求める方法

(1) と同様に、図1において、乙が求める黄道交極圏角(B)であるから、比例により

            tan B = cotan Acosc.

以下、例題で使われる式のみを列挙しておきましょう。

(4)   tan a = tan A sin b.

(5)   tan c = tan bcosA.

(6)   cosB = sin Acosb .

(7)   sin c = sin asin A .

(8)   sin b = tan atan A .

(9)   sin B = cosAcosa .

(10)            cosA = tan ctan b .

(11)            cosa = cosccosb .

(12)            sin B = sin bsin c .

(13)            sin A = sin asin c .

(14)            cosb = cosccosa .

(15)            sin Bsin b sin A sin a.

(16)            tan A = tan asin b .

(17)            cosc = cosa cosb .

(18)            tan B = tan bsin a . 

(19)            cosc = cosAtan B .

(20)            cosb = cosBsin A .

(21)            cosa = cosAsin B .

 

いまから見れば、基本式だけを覚えておけばよいと思いますが、初めて球面三角法に接触した東アジアの暦算家にとっては、こうした丁寧な解説と具体的な実例は有難かったに違いありません。そうして球面三角法の理解が一段と進んだように思われます。この点に『暦象考成』が日本の暦算家によって歓迎された理由の一つがあったのかもしれません。

『暦象考成』上編巻三は弧三角形の場合になります。まず、同書巻三の目次をみておきましょう。

 

御製暦象考成上編巻三

弧三角形下 

斜弧三角形論

斜弧三角形邊角比例法

斜弧三角形作垂弧法

斜弧三角形総較法次形法附

斜弧三角形設例八則

 

『暦象考成』上編巻三は、「斜弧」すなわち直角を持たない球面三角形の原理とその用法の解説を目的として編集されていることが上記の目次から理解できます。ここで興味が引かれる三角法は垂弧法と総較法になりましょう。垂弧法は与えられた弧三角形の頂点から対辺に垂弧を下ろして ( 内垂弧と外垂弧 )、二つの直角球面三角形を得て、交角や辺の長さを求めようとするものです。また、総較法は極三角形といえる方法で角や辺の長さを求めるやり方です。ここでの紹介は省略することにいたします。

乾隆7(1742)、ドイツ人宣教師のケーグラー(Ignatius Kögler1680-1746、中国名戴進賢) は『暦象考成後編』を編纂して、中国に新たな西洋の天文学理論を紹介しました。『暦象考成後編』は、それまでの『暦象考成』が円運動の組み合わせによって太陽・月および惑星の運行を説明していたのに対して、ケプラー(Johannes Kepler15711630) の楕円軌道論に基づいて日食の計算に必要な太陽と月の運動を説明したものでしたが、その天文学理論は飛躍的に難解なものになっていました。

ここでも『暦象考成後編』の構成を目次から確認しておきましょう。

 

『暦象考成後編』

巻一 日躔数理

日躔総論

歳實

黄赤距緯

清蒙気差

地半径差

圓面積為平行

求両心差及圓與平圓之比例

圓大小径之中率

圓角度與面積相求

求均数

 巻二 月躔数理

 巻三 交食数理

 巻四 日躔歩法

                月離歩法

 巻五 月食歩法

 巻六 日食歩法

 巻七 日躔表

 巻八 月離表上

 巻九 月離表下

 巻十 交食表

       

楕円のことは「用圓面積為平行」「求両心差及圓與平圓之比例」「圓大小径之中率」圓角度與面積相求」で詳解されます。

 

 

 

Scan10002

2

 

 図2は「用圓面積為平行」からですが、楕円の二つの焦点に針を立て、これに紐を掛けて鉛筆で緩まないように引き回せば、楕円が書ける、と言っています。このときの焦点のことを「心」と呼んでいます。

「求両心差及圓與平圓之比例」では、二本の動径の長さと楕円の長径の和が一定であることを指摘しています。「圓大小径之中率」では、正方形に内接する円とこの正方形を長方形に変形した時に内接する楕円を得て、それぞれの面積比から楕円の面積の公式を導いています。いわゆるアルキメデスの方法になりますね。圓角度與面積相求」は楕円周上にある惑星の位置計算になりますが、心に地球があって、楕円周上に太陽が有る問題が例題になっています。依然、地球中心説が展開されていますが、これは当時の政情と天文学事情と大いに関係しています。

ケプラーの楕円軌道論を載せる『暦象考成後編』がいつ頃わが国に渡来したか、その時期を確定することは難しいのですが、江戸幕府の書物奉行を勤めた青木昆陽(1698-1769) の記録から大凡を窺うことができます。青木は、明和5(1768) に著した「続昆陽漫録補」において「同書後編ニ歳実ノコトヲ説クコト詳カナリ」と述べています。「同書後編」は間違いなく『暦象考成後編』のことです。ですから、明和5年以前の渡来と見ることができます。

坂部廣胖は『暦象考成後編』の圓角度與面積相求」から問題を作り、それを『算法點竄指南録』に載せました。それだけでなく和算家たちは楕円の性質の研究や周長の計算に手を染め始めました。最上流の会田安明は『算法側円集』(寛政10(1799)) 巻之六の「側圓規」において平板状の器具を用いた楕円の書き方を紹介しました。また、同書の最終問題では楕円の周長計算も試みています。一方、上州安中の和算家小野栄重(1763-1831) は『側円規矩例弁解』( 文政12(1828) ) において、また、越中新湊の和算家石黒信由(1760-1836) も『側圓周規法』( 文化12(1815) ) を著して、楕円の画法や焦点について研究するようになりました。いずれも『暦象考成後編』の記述に触発されてのことといえましょう。

 最後になりますが、『暦象考成後編』を読んでいると、漢字表記された西洋の天文学者に出会います。例えば、「日躔総論」では、つぎのような下線に示す人物が登場しています。原文のまま引用しますが、推理してみてください。

 

西法自多祿畝以至第谷、則立為本天高卑、本輪均輪諸説、用三角形推算、其術尤精、上編言之備近世西人刻白爾噶西尼等、更相推考、又本天為楕円。

 

「歳實」では最新の天文データとともにつぎのような人物が登場しています。

 

第谷定歳實為三百六十五日二四二一八七五

奈端等屢測歳實、又謂第谷所減太過、酌定歳實三百六十五日二四二三三四四二0一四一五 

 

奈端ですが、これは□□(1642-1727)のことなのですが、恐らく東アジアで最初に紹介された記事がこれだと思います。しかし、当時の人々に奈端がどんな天文学者であったかは分からなかったのではないでしょうか

 

 

           ( 以下、次号 )