堪らなく楽しい数学


(ゼロ除算の誤解と理解の遅れについて)

 

6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて述べて置きたい。

 

まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張する1/0 = 0/0 = z/0 となる、関数y = 1/x の原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。

まずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。しかしながら、ゼロ除算については ゼロで割る場面で計算機障害を起こすことから、計算機科学者の間で問題になっており、物理学ではアリストテレス以来、繰り返し問題にされ、それはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。

現在でも、アインシュタインの特殊相対性の理論は0/0 = 1を述べていると主張している者もいる。虚数iの導入の成功にならって、0/0, 1/0 は想像上の数だと考えている人たちもいる。多くの人は、1/0 はゼロに近づく数列を考えて、極限値の考えから、プラス、マイナス無限大であると考えるだろう。

一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐにゼロで割ることの不可能性が証明されてしまうということである。それでできる筈がない、考えられる筈がないと考えてしまう。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算とは無関係に、引き算の繰り返し、すなわち、除算で定義されると考えた。それで、適切な良い理解に達したと言える。

ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。

また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0 = 0/0 = z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0 = 0/0 = z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。― 20年以上も考え、本も出版したり、50ぺージ以上の論文を書いた者がいるが、それらは全然間違いであると伝えている。

 

次に関数 y = 1/x の原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs384 - 32237の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響が大きく、天動説のように聖書にも反映していて、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは, x がどんどん小さくなれば、値がどんどん大きくなるから、自然であるが、それがx = 0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。確かに、解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。

ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。

数値で考える場合と関数で考える場合は違うということである。これは、関数の場合、考え方によっていろいろな値が考えられるので、その場合の扱いに注意が必要である。具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y = x/(x 1) において x = 1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0 = 0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/ (x 1) からx = 1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起していることが分かった。

ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた。ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:

再生核研究所声明3122016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

再生核研究所声明3252016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて

 

               ( 以下、次号 )