和算入門


 前回の「和算入門(32)」で、漢語訳された西洋の天文学者名を最後に紹介し、読者に名前の解明を問いかけました。お分かりになったでしょうか。答えは、「多祿畝」はプトレマイオス(Claudius Ptolemaeus, 83-168 ca.) ことトレミー (英名Ptolemy)、「第谷」はティコ・ブラーヘ (Tycho Brahe, 1546-1601) 「刻白爾」はコペルニクス(Nicolaus Copernicus, 1473-1543) 「噶西尼」はカッシーニ (Giovanni Domenico Cassini, 1625- 1712) になります。そして「奈端」とはニュートン(Isaac Newton, 1642-1727) のことです。いずれも古代から近代における天文学や自然学の発展に貢献した重要な人物であることは承知されていましょう。なお、「刻白爾」は、のち日本ではケプラー(Johannes Kepler, 1571-1630) と呼ばれたこともあり、コペルニクストと混同されました。

 さて、今回取り上げる漢訳西洋暦算書は『霊台儀象志』になります。この暦算書は、康煕13(1674)、ベルギー人宣教師フェルビースト(Ferdinand Verbiest, 1623-1688、漢名南懐仁) を主編者、ドイツ人宣教師アダム・シャール(Johann Adam Schall von Bell, 1592-1666,漢名湯若望) らを協力者として出版された西洋の天文学理論と天文観測機器の使用法および天文台の造営法に関する著作でした。まさに、天文・暦学とそれに関連する観測技術の専門書と指摘してよいのですが、詳細に見ていきますと、自然の運動の解明に係わる興味深い話題が挿入されていることにも気がつきます。一例をあげますと、振り子の振動や物体の落下運動などの記述が目を惹きつけます。また、大洋航海法論も魅力的です。実は、自然科学史あるいは数学史上の興味深い、言葉を換えれば西洋の最新の学術果記が紹介されているにも係わらず、これまでの日本と中国の研究者は『霊台儀象志』に関心を寄せることはありませんでした。こうした関心の希薄さに聊かの警鐘の意味もあって、この小論でこの書籍を紹介しておこうと思い至った次第です。やや手前味噌になりますが、筆者はこれら研究内容の一部分を九州大学での数学史のシンポジウムや中国内蒙古師範大学での国際集会で発表しました。また、笠谷和比古編『一八世紀日本の文化状況と国際環境』(思文閣出版、2011) においても日本人暦算家による研究状況を紹介してあります。ただ、不完全であることは否めません。従って、近い将来に全容の報告できることを希望するところです。

 

 やや脱線しました、本題に戻りましょう。江戸時代に中国から長崎に渡ってきた書籍の多くは、長崎の書物改役や書籍問屋などによって渡来年、舶載船名、書籍名、冊数などが記録されております。書籍問屋の帳簿には書籍の販売価格も記録されていて、それはそれで面白いのですが、そのことは兎も角として、記録に依れば『霊台儀象志』は寛延元年(1748) に「一部三套、附図二本」が伝わったと記録されています。中国での『霊台儀象志』の出版は1674年でしたから、70年ほどあとに我が国に舶載されたことになり、ちょっと遅い気もします。しかし、それ以前の長崎の輸入記録にありませんし、舶載年以前に日本の知識人や暦算家が同書について言及しておりませんので、寛延元年が取り敢えず初来日になると思われます。ところで、この年に伝わった『霊台儀象志』は「一部三套、附図二本」とありました。実は、この天文暦学・技術書の本文の理解はなかなか難しいのですが、これの附録とされた二冊の大形版の「附図」と併せ見ていくとなるほどと納得できることが多くあります。この大形版の「附図」二冊をともなった『霊台儀象志』は国立公文書館内閣文庫に収蔵されておりますが、図版は大変精巧で美しく、勿論、白黒ですけれども、中国の絵師達が精魂込めて書き上げようとした気概が感じられるものに仕上がっています。後に、「附図」をもたない『霊台儀象志』が幾つか輸入されていますが、その理由を考えてみますと、精微な図版の出版が技術的に大変であったこと、また、図編版が高価な値段になったことなどが関係しているように思えます。因みに、群馬県館林市立図書館の秋元文庫にも『霊台儀象志』が二本収蔵されていますが、これは明治以降の収集に依るものと思われます。

 先にも触れましたが、江戸時代に『霊台儀象志』を手にした暦算家は大変少なかったように思われます。その原因は、輸入本が稀少であったことに由来すると推測していますが、それは書籍の値段と関係していたようにも思えます。しかし、稀少な読者にとっては極めて刺激的な漢訳西洋暦算書になったことは間違いありません。

『霊台儀象志』の周辺についての議論は以上で一応の区切りとして、内容に触れていくことにいたしましょう。まず、『霊台儀象志』の巻四を紹介します。同巻を開きますと「垂線球儀」と題する章に目が及びます。「垂線球儀」とは端的にいえば振り子時計のことを指すのですが、編者たちは冒頭で振り子時計の研究現況についてつぎのように述べています。冒頭原文の漢文は理解が難しく、結果、読み下し文がうまくできていないのですが、恥を承知でとりあえず以下に示してご教示を俟ちたいと思います。

 

垂線球儀

垂球儀は何を昉かすか。蓋し、近今数十年以来、遠西の暦学名家、特に新意を創して、曲に其の測験の法を盡くすものなり。故に、凡そ時刻の分秒繊微にして、天行は毫末の差数、靡くは是にしかずして、悉く可なり。惟、これやすからず。天下運動の疾きは、空際の雷の如く、諸類に响く。弓発する所の矢、銃激する所の弾、皆、以て測してこれを推すべし。その器、諸儀と較して、最も簡にして、その用をなして、すなわち甚だ便なり。

 

この扉の文章が主張するところは、垂線球儀の研究は近年西洋の天文学者の間で急速に進み、いまや万物の運動の解明に欠かせないものになっており、改良された垂線球儀はそれまでの計測器に比較して簡便有益である、と要約できると思います。編者フェルビーストたちには、おそらく、ホイヘンス(Christiaan Huygens,1629-1695)の『とけい座』(Horologium, 1658) もしくは『振り子時計または振り子の運動を時計への応用に関する幾何学的証明』(HorologiumOscillatorium:sive de motupendulorumadhorologiaaptato demonstrations geometricae, 1673) などの新書に対する意識があったと思われます。あるいはガリレオの『二つの新しい科学に関する数学的証明と対話』(Discorsi e DimostrazioniMatematicheIntorno a Due Nuove Scienze,1638) やニュートンの『自然哲学の数学的原理』(PhilosophiæNaturalis Principia Mathematica,1687) なども視野に入っていたかも知れません。

 この序文に続けて「測法三題」が続きます。要約して示しましょう。

 

第一題:日月の全径を測る(115図を見よ)

この第一題は、暦理を推測することにおいて甚だしい関係を有する。けだし、およそ二曜の大小、および交食の分秒、地影の広狭と太陽太陰距地の遠近、---今、垂線球をもって測り、これを定めるべし。

第二題

天上の何なる二つの星にかかわらず、相距てる赤道経度を測る。(以下略)

第三題

およそ重物、隕墜するところの丈尺、並びにその位置のすべて時刻の分秒、再加の比例あり。---また、長さ八寸の垂線球あれば、その一往一来、則ち十微に相応する。物の重さが八両あるものを設けて、高き所より墜下すれば、則ち五十微の間に、一丈下行する。---今依比例之数、列表左如

 

 また、第三題にはつぎのような表が付きますが、原文のままでは分かりづらいので、現代的に翻刻しておきます。なお、単位時間における物体の落下についてですが、振り子の1往復=10微、1秒=60微、1丈=10(清代1尺=32cm) と見做してください。


振り子の振動 (単行)

時間

物体の単位時間における落下距離

物体の落下距離

不平分数

5

50

1

1

1

10

140

3

4

3

15

230

5

9

5

20

320

7

16

7

25

410

9

25

9

 

 

このあとに「第三題」に対応する「用法」が出されますが、これも要約して見ておきましょう。

 

第一題:およそ垂球の一来一往の単行、その相応の時刻分秒、皆等しい。---単行、---双行。

解曰、もし、測分秒之赤道大儀、或いは細微沙漏、水時計、或いは本人の脈息の数を用いる場合は、これを対比する。垂球の往来の数、必ずその大弧の往来と小弧の往来を観る。時刻の分秒を論ずれば、皆相等しい。また、大弧の往来は疾く、小弧の往来は遅い。疾遅は不同、その経過する時刻の秒、大弧小弧、皆相同じ。---此の両夜中、就その往来の弧、大小おのおの不同有れば、次夜これを記すところの数、必ず前一夜記するところの数と相同じ。このごとく三夜連測---

第二題:二つの垂線球あり、垂線の長短不等を除いて、そのほかは相等し。その短者の尺寸と長者の尺寸、長者の往来の方数、短者の相等しい時刻の往来の方数に比するがごとし。

第三題:()

 

「用法」の第一題は、天上で運行する星々の計測法を教えています。読んで頂ければお分かり頂けると思います。第二題は振り子の糸の長さと振動が比例することを教えているのですが、このことを理解するためにつぎのような例題が載せてあります。

 

例題〕いま、糸の長さが異なる二つの垂線球甲と乙がある。甲球の糸の長さが1尺(l1)、乙球の糸の長さが2(l2) のとき、甲球の往来数(振動数)(n1) 85次であれば、乙球の往来数(振動数)(n2) は必ず60次となる。

 

上記の例題はつぎのように書けます。すなわち、l1:l2n12 : n22. また、「法法三題」での第三題の原文の紹介は省略しましたが、ここでの例題をつぎのようにいっています。

 

〔例題〕いま、甲、乙の二つの垂線球がある。糸の長さをのぞけば、その外は同じである。このとき、甲球の往来数をもって、乙球の往来数を求めるには、 

 

    

 

こうした振り子の振動に関する法則の紹介と併せて、『霊台儀象志図』の116(1) ではつぎのような実験図が載せられました。図1に見えるイラスト図は、振り子の振動図、弓矢の垂直放射実験、塔上からの物体の落下実験、斜面上の物体の落下実験を表しています。

これらの更なる詳解は次回に譲りたいと思いますが、日本人暦算家のなかでこうした記述と実験に大きな関心を抱いたのが、大坂の暦算家で、宅間流の和算家であった高橋至時と間重富でした。

 

霊臺儀志象

1 『霊台儀象志図』の第116

 

 

  ( 以下、次号 )