和算入門(33)


『霊台儀象志』の輸入とその受容について触れておりますが、今回もその続編となります。

前号では同書の第116図を紹介し、これに振り子の振動や物体の自由落下に係わる実験の図が載ることを見てきました。続く第117図には、つぎの図が載せられています(2)

 

霊臺儀志象0001

 

2 『儀象志図』第117

 

図の意味するところは見てお分かりの通りですが、誤解を恐れずに少しく触れておきましょう。まず、左上に描かれる図は黒雲と雷光なのでしょう。あるいは天上界からの神の声かも知れません。中央手前の武器は弩弓(ボウガン)でしょうか。中国や西洋では早くから知られた威力のある戦具の一つです。矢が放たれて、弧を描きながら落下する様子が描かれています。その右側奥にあるのは大砲でしょうか。これも砲弾が発射されて、矢と同様に弧を描きながら飛んでいっています。砲口に分度器が付いているようですが、これは発射角が45度を指しているのでしょうか。図からは然と分かりません。それ以上に、興味深いことは弧を描きながら飛んでいく、矢と砲丸が同一軸上に頂点を取っていることです。すなわち、二つの物体の描く曲線は異なっているのですが、実は、本質的には同じであることを示唆している図となっています。

前回(33)で『霊台儀象志』巻四の「垂線球儀」の序文を紹介いたしました。そこには「天下運動の疾きは、空際の雷の如く、諸類に响く。弓発する所の矢、銃激する所の弾、皆、以て測してこれを推すべし」とする文章がありましたが、第117図は、その序文が意味するところを視覚的に表したものといえるかも知れません。

先にも若干触れましたが、『霊台儀象志』を積極的に研究した近世日本の暦算家は高橋至時・景保父子と間重富でした。高橋至時(1764-1804)は、通称を作左衛門、字は子春、号を東岡、梅軒と称します。父は大坂定番同心でしたので、作左衛門も父の名跡を継いで同心になりますが、幼少から算学に関心を抱いていたことから、天明6(1786)頃、宅間流四世松岡能一に師事して算学の修行に励みました。また、天明7年には暦学を修めるため麻田剛立(1734-1799)の塾にも入門して研鑽を積みました。同じ頃、麻田塾に入門した門人に間重富(1756-1816)がいました。間は、大坂きっての質屋「十一屋」のあとを継ぎ「十五楼主人」と称されるようになりますが、豊かな財力にものを言わせて、様々な天文観測機器の製作に力を注ぎ、天文暦学研究の発展に貢献したことで知られています。号を長涯といいました。

寛政7(1795)、至時は重富とともに『宝暦暦』改正のために江戸出府を命じられますが、その命に従い、同年4月に出府し、11月には幕府天文方に就任しました。この至時のもとに弟子入りしたのが、後に全国の沿海を測量し精密な日本全図『大日本沿海輿地全図』を作成した伊能忠敬であったことはあまりにも有名な話です。

高橋景保(1785-1829)は、天明5年、至時の長男として生まれますが、父没後の文化元年(1804)に江戸幕府天文方に就任します。景保も大変能力の高かった暦算家でしたが、不幸にも文政11(1828)のシーボルト事件に連座して、伝馬町屋敷に投獄され、翌12年に獄死してしまいました。これらのことについては、この入門では深入りしないことにいたします。

高橋至時の『霊台儀象志』の研究は、享和2(1802)に成立したと思われる稿本『天学秘决集』で窺い知ることができます。この写本の奥書には「東岡子 誌」とあり、また、文中では「右故梅軒先生享和辛酉之年之草」などと残されていますから、これが高橋至時の研究を反映した著作であることは間違いありません。ただし、後に、父と間重富の仕事を整理して一冊にして現在に伝えたのは子の景保であったろうと思われます。

さて、この写本の前半では『暦象考成後編』に載る楕円についての議論が詳細に読み取れます。そして後半に至りますと、「第四 長涯翁解垂球法授余如左」の見出しのもとでつぎのような議論がおこなわれています(3)。なお引用文中の「 」は添え字、( )は割書になります。

 

垂球ノ短及ビ長径「往」来ハ、皆因於平方、蓋自然数也。先一寸之糸ニ、設ハ一銭目ノ玉ヲツケ、手ニテコレヲ振テ、往来十偏トナシテ、逐長キ垂球ノ行ヲ求メント欲ス。

垂線ニ一寸ヲ加(原垂泉()ヲ倍スルナリ)シハ、亦垂球ニ一銭目ヲ加フ(原球ヲ倍スルナリ)、又原垂線(一寸)ヲ三倍スレハ、亦原球三倍目ノ玉ヲ付、逐テ如此。

各同比ナリ。其法如左。設ハ三倍垂球之行ヲ求ム。置三個開方三除之得、0個五七七三三、即一寸之垂球十偏之内之往来数ナリ。---

余聞之、假以銭為球、試之果シテ合于此法。

 

引用文冒頭の一行目は、糸の長さをl、振動数をnとするとき、

 

    l  =  n

 

が成り立つことを伝え、図3の左頁中央に見える図は、それぞれ糸の長さを変えたときの振動数を糸の上端部に記しています。

     

3 『天学秘訣集』の振り子と振動と糸長の関係

 

そして面白いことは、「余聞之、假以銭為球、試之果シテ合于此法」と記すことです。余が誰であるのか判然としませんが、間違いなく高橋至時と思いますけれども、長涯こと間重富の実験を聞いて、球を銭に替えて試してみたところ、その結果がここに記す数値と一致したというのです。それほど難しい実験ではありませんが、実際に追試験をして確認したという態度は大変重要といえましょう。因みに「自然数」という用語が文頭で登場しますが、この用語を最初に使った和算家は、私が知る限りでは、京都の暦算家で『暦算全書』の訓点和訳をおこない、三角法を我が国で最初に理解した中根元圭であったと思います。

ついで第五として、つぎのような物体の放射実験のことが記されています。

 

儀象志曰、上ニ向ヒテ物ヲ投ケ、或ハ矢ヲ放ツニ、昇降共ニ奇数ヲ兼ス。蓋シ、甲ヨリ発シテ乙ニ至ル(甲乙七間)ノ球行(時刻ヲ云)ト、又乙ヨリ丙ニ至ル(乙丙五間)ノ球行、又丙ヨリ丁ニ至ル(丙丁三間)ノ球行、又丁ヨリ戊ニ至(丁戊一間)ノ球行皆同ジ。---勢大ニシテ落ルコト速ナリ、是又奇数ナリ。直ニ昇降スルモノ、斜ニ昇降スルモノ相同シ。

 

第四では、振り子の振動実験は間重富に係わる研究と断っていましたが、第五にはそのことは書かれていません。つぎの第六との関係で推測すれば、これに関する記述は高橋至時であったろうと推測できます。読んでお分かりの通り、「もの」(あるいは矢)を真上に放り投げたときの運動の様子を数値でもって具体的に説明しています。すなわち、「もの」の上昇運動は時間と共にその運動量は減衰していき、運動が頂点に達すると「もの」の運動は落下へ転じ、その下降運動は上昇運動と対称をなすといっています。そのことは垂直放射運動の場合でも、斜方放射運動の場合でも同様だと指摘しています。こうした放射運動に関する概要が「儀象志」で述べられていることも公言して憚っていません。そして、第六では、

 

長涯翁如図、正横ニ矢ヲ発ツモ、亦落ルニ於テハ奇数ナリ。設ハ、人、山上甲ニアリ、真横ニ矢ヲ発ツ。然ルニ、次第ニ勢ヒ尽キテ、乙ニ至テ初テ甲ト比スルニ落コト一間、丁ニ至リテ四間、巳ニ至リテ九間、辛ニ至リテ十六間、落甲乙、乙丁、丁巳、巳辛皆同数也。

各其較ヲ設ルニ奇数ヲ得ル。故ニ、丙ヨリ戊ニ至ル、戊ヨリ庚ニ至ル、庚ヨリ壬ニ至ル各球行、皆甲ヨリ丙ニ至ル球行ト同シ。---

 如右皆自乗数ヲ以テ次第ニ落ル故ニ、法皆平方ニカカル。猶追テ考フベシ。

 

と述べて、斜方放射運動を水平方向に放射した場合を図と数値とともに示しています。その時の得られる図が「長涯翁如図」であるといっていますから、間重富によって描かれた図ということになりましょう。これは、実に、物理の教科書などで見るおなじみの実験図(4)であって、見事な落下曲線を描いています。

 

 

4 矢が水平放射されたときの落下の図

 

 最後の一行に「如右皆自乗数ヲ以テ次第ニ落ル」とあります。これはとても重要な指摘であって、物体の落下位置は時間t(時間の自乗法則)に対応することを表しています。現代的には、

 

      Y = -gt2

 

とする二次方程式で書けることになります。ですから、間の図とは、まさに第3象限において、時間に対応する矢の位置をプロットしたことになり、今日の座標と同等の概念図になっていることが指摘できるのです。この事実は、近世日本科学史だけでなく、数学史においても注視すべき記述であったといえましょう。勿論、高橋や間の研究は『霊台儀象志』に記述に触発されてのことですが、彼らの研究は『霊台儀象志』の研究に触発されて、その先へ一歩を進めたという意味で評価すべきだと思います。ただ、非常に残念なことは、こうした物理実験の結果とその精神が彼らの周辺で閉じられてしまい、和算家などの数学者に広範に伝播しなかったことだといえます。

 紙幅を大幅に超えましたので、以下に若干ことがらを補足として筆を置くことに致します。高橋至時には別に『海中舟道考』と題する写本がありますが、これも『霊台儀象志』に載る大洋航海法の研究から生まれたものです。この写本では『霊台儀象志』が紹介する等角航路法を詳論に検討したうえで、等角航行する船の航路は最終的に地球上の極点に収斂することを指摘しています。併せて、大洋中の船の経度航行距離を三角法で計算する方法も詳解に述べています。その際、等角航行する船が描く軌跡について『大成算経』に載る畹背(スパイラル曲線)と同じであると指摘して止みません。面白い事実です。

間重富には別に『垂球精義』と題する稿本がありますが、これは、文化2(1805)の成立と思われます。主題は、振り子の振動数の探索から始めて、その周期比が惑星間距離に比例するという壮大なものになっています。この写本についてはなお研究の余地が残りますし、一読に値する内容があると思われます。他方、こうした先賢の研究を整理した高橋景保の著作として『天学雑録』(文化8)があることも指摘しておきましょう。

 

 

           ( 以下、次号 )