堪らなく楽しい数学


Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。おかしな世界)

再生核研究所声明 339で 次のように述べている:

 

世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明3152016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。

      

この数体系の基礎はブラーマグプタBrahmagupta598  668?インド数学者天文学者によって、628に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな意義、影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 (しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。)ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

 

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunderof his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

 

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、あるいは軽ろんじて、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたことは 実に奇妙、実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。ゼロ除算は至るところに見られると言っても良いほどである。

1300年間も 創始者の考えを間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智への愛、良心から、熱い想いが湧いてくる。 ― 1300年も前に、創始者によって、0/0 = 0 とされてきたのに それは間違いだとして、現在も混乱しているのは、まずいのではないでしょうか?

 

そこで、心すべき要点を纏めて置きたい。

 

1)ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創始者の深い考察を、想いを理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。 ― 不思議な世界史。

 

2)予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ているものだと 真智を愛する心を大事にしていきたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。良いものとは何か、神の意思を求めていきたい。

 

3)ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、 その発見は都合が悪いので  、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。自戒したい。

 

4)この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。

 

5)いわば創始者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。

 

6)ゼロ除算の発見の折に、繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いていきたい。

 

Brahmaguptaに触れたので、0/0=0の簡単な例をあげておきたい:

 

sign x  =  x / |x| は符号関数と呼ばれる関数であるが、がゼロのとき、いちいち、それはゼロと定義してきたが、それは、定義するまでもなく、ゼロである。

放物線族y =  C x^2 は微分方程式 dy /dx = 2y / xを満たすが、原点で、0 =  0 / 0 である。

複素平面上で半径R上の円上に3点a,b,cが有れば、方程式 |a + b+ c| = |ab + bc+ ca| / R を満たす。 Rがゼロのとき、0 = 0 / 0 である。

条件付き確率では、Bが起きたという条件で、Aが起きる確率P(A|B) は P(AB) AB が同時に起きる確率を表せば、P(A|B) = P(AB) / P(B) となる公式が成り立つ。 もしBが起きる確率がゼロP(B) = 0ならば, もちろん、AB が同時に起きる確率はゼロP(AB) = 0で、そのとき、もちろん、Bが起きたという条件の下で、Aが起きる確率はゼロP(A|B)=0である。すなわち、0 = 0 / 0 が成り立つ。

次回からは、ゼロ除算から得られる新しい結果の解説を暫く続けていきたい。

 

                        ( 以下、次号 )