和算入門


昭和62年に平山諦と内藤淳先生によって編集された『松永良弼』(東京法令出版)を紐解きますと、35種類の数学・暦学写本が収録されています。しかし、その内の三分の一以上は成立年紀が不明になっています。大変不思議なことです。この疑問の解明はここでは保留にいたしますが、年紀の残る著作のなかで、とりわけ日本数学史研究にとって重要な位置づけをもつ著作は元文年間に集中しているようです。元文年間以前の享保年間では天文・暦学の研究に傾倒していたように思えますから、この方面の研究の必要として元文年間の仕事がなされたといえなくもありませんが、確かなことは分かりません。確実に指摘できることは、松永良弼は享保1712月に磐城国平藩主内藤政樹に召し抱えられましたから、薄給とはいえ糊口は凌げるようになっていますから、こうした身辺の変化が研究に余裕をあたえることになったのでしょう。

元文年間に果たされた松永良弼の仕事のなかで特に重要とおもわれるものを簡介することにいたします。まず、元文元年(1736)の著作に『割円十分標』がある、とされます。これは三角関数表に係わるものですが、これの凡例にはつぎの様なことが書かれています。

 

一、              十分標之作、専ら暦術の為にして、これを設ける。故に周天三百六十度を以て、円周となし、半弧背十分を以て、始めとなす。毎号に十分を加えて、九十度に到りて、止む(半円全成)。各、矢率、矢率差、弦率(乃ち、半弧弦なり)、弦率差の四格を列し、皆、術に依りこれを求む(その術、後に載す)

(中略)

 一、周三百六十五度二十五分を用るものは、経緯度四百八十之、四百八十七の如くしかも一にして、半弧背となす。(以下略)

 

 凡例の冒頭の書きぶりから、『割円十分標』は暦術研究のために作成されたものであることが分かります。そして表は、周天を360度とし、1度を100分で割ったときの10分ごとの正弦と正矢の11桁の値からできています。「四格」の意味ですが、弧背の頂点からこれに張られる弦に下ろされる垂線を矢とし、矢の長さをc、半径rを天径と称して(360 ÷ π )114.5915--- (114.5915--- ÷ 2) 57.2957---で表すとき、矢率はc = r (1cosx)、矢率差はΔc = r (cos(x1) 弦率はa = r sinx、弦率差はΔa = r (sin(x1)sinx) で求めることを指していることになります。しかし、松永は表の作成法については「その術、後に載す」と述べるだけで具体的に触れていません。その後に記されたものが『弧矢立成法』(元文元年五月)とすれば、『割円十分標』はそのための前編と見做すことができることになります。

先の全集の編者平山氏らは『割円十分標』を元文元年の作と断定していますが、『松永良弼』に収まる同書には成立年紀は書かれていません。後に戸板保佑が編集した『関算四伝書』は、現在、宮城県立図書館に収蔵されていますが、これの前伝に含まれるものも「割円十分標 源東岡算之」とはあっても「元文元年」とする年紀は見当たりません。平山氏らが元文元年成立と断定した根拠は不明ですが、上述したように『弧矢立成法』が元文元年5月にできていることからそのように判断されたのでしょう。

すこし、脇道にはずれたようですが、上記に引用したつぎの凡例も読んでおきましょう。そこでは周天を36525分とするときの計算法が述べられています。この値は中国伝来の値で古代から使用されてきたものです。研究者によっては中国度と呼ぶこともあります。ですから、凡例でいうところは中国度に基づく表の作成について触れていることになります。原文中の「経緯度四百八十之、四百八十七の如くしかも一にして」は、ここでは比を表していて、480:487すなわち360度:36525分をいっていることになります。このことから伺いますと、西洋風の三角関数表の作成に取り組んだだけでなく、伝統的な古風の三角関数表の作成も配慮していたことがわかる興味深い著作になっていると思えます。

続く、『弧矢立成法』は巻末に「元文元年五月 源良弼誌」とあります。「立成」はたちどころに成るという意味ですから、先の『割円十分標』が忽ち得られる計算法を表していることになります。冒頭に計算に用いられる数字が列挙されています。簡単にみておきましょう。

 

天周360

天径114591555902616464

半径5729577951308232

径冪13131225400046975179

円周法314159265358979323太強(18)

(以下略)

 

この値からみてもわかるように、膨大な数値を用いて正弦値、余弦表の計算が実行されたことが分かります。ここにも近世日本数学者の計算力のすごさが見て取れましょう。

松永良弼の研究のなかでもっとも高く評価される一著が『方円算経』です。これの奥書は「元文三年戊午歳八月既望 源東岡良弼著」となっていますが、この巻頭を飾る『方円算経引』の序文の最後に「元文四屠維協洽(註:己未のこと)歳陽復月吉 源翼謹記」と誌されていますので、この著作の最終的な完成は元文411月と考えるべきでしょうか。

『方円算経引』の序文では、古代中国における円周率の計算の歴史に触れながら、劉宋の祖冲之が3,1415926半強<π3,1415927半強と計算し、この値から近似分数の227355/113を得て、前者を約率、後者を密率と称しているが、これらは「其真者也」と称賛して止みません。そして、我が国では関孝和先生がその偉業を為し遂げられたが、『括要算法』で示された計算法はその後の研究者を大いに刺激することになったと賛辞を送っています。その一方で、この円周率の値を巡って、「---然るに後世多少君子、彼の邪説を聞きてこれを信じ、これに由りまた従てこれを潤色し、---」と述べて、ある君子が明の朱戴堉が得た値をみて、その値を拠り所に近世日本の数学者の研究姿勢を批判しているとしています。君子とは恐らく大儒の荻生徂徠を指しているのでしょう。このような数学者と儒者の論争は数学に対する価値観の相違から発生しているのですが、実用的な研究を重んじ儒者の立場が鮮明で、両者の違いを掘り下げていくことは研究上大変意義のあることなのですが、この小論でこの問題については深入りしないことにします。 

さて、『方円算経』の目録をみますと本書の構成はつぎのようになっています。

 

方円算経目録

首巻

  率引

  巻一

   円率

    第一 求周数冪

    第二 求周数

   弧背率

    第一 求背冪

    第二 求背数 内元率

    第三 求背数 中元率

    第四 求背数 外元率

    第五 求矢  

    第六 求弦

    第七 求積

  巻二

   方率

    第一 求角中径冪

    第二 求角中径

第三 求距面弦

   捷術

    第一 求角中径

    第二 求平中径

    第三 求距面弦

  巻三

   円充方

    第一 求角面

    第二 求距面弦

    第三 求距面矢

   弧中截斜

    第一 求距斜矢

    第二 求距斜弦

       附 捷術補

  巻尾 

立表

 

首巻の「率引」の説明は省略いたします。巻一の円率では「求周数冪」すなわちπ2と「求周数」すなわちπの求め方が説明されています。「求周数冪」の書き出しは、

 

九円径冪為原数

 

とあります。これは円の直径をdで表せば、9d2を原数とするということになります。円径が10寸ですから原数の値は900寸となります。ついで、

 

置基数一自之得一以乗原数為一差実基数三四相乗得十二以除一差実得一差

一差七十五寸

 

と書かれています。この漢文を翻刻しますと、

 

基数1を自乗して1を得て、これに原数900を乗じて一差実とし、基数34を相乗し12を得て、これを以て一差実を除して一差を得る

 

となりますが、これはつぎのような式で表すことができます。

 

9d2 × 12=一差実、3×412

 

これより一差をつぎのように導けることになります。

 

一差実/3×4=一差

 

これを書きかえますと、

 

9d2 × 123×4

 

となります。つぎに二差を求めるのですが、それは、

 

 置基数二自之得四以乗一差為二差実基数五六相乗得三十以除二差実得二差

 

と書かれています。これは、

 

22×一差=二差実、基数5×630

 

と書けて、これらをもって

 

二差実/30=二差

 

二差を得るのです。ここで、一差と二差をもちいてこれまでの計算を式にして表してみますと

 

9d2 × 12 × 223×4×5×6

 

となります。このように、項をつぎつぎとつくり、円周の自乗を求めていくのですが、それは、

 

π2=基数+一差+二差+三差+四差+-----

 

とする式になります。この式に計算で得られた数値を代入し整理すると、


9d2 (     (1)

 

が導けることになります。

つぎは「求周数」ですが、求め方は「求周数冪」と同様で、基数からはじまって、つぎつぎと各項を求めていくことだけが書かれています。結論を示せば、

        (2)

 

となります。そして、五差の汎周を求めたあと、「若し、更に親者を欲するならば、あるいは極差を求め、あるいは六差を求めるなり。予、嘗て径一の定周を推す」と述べて、以下のような小数点以下49桁の円周率の値を示しています(写真1参照)

3.1415 9265 3589 7932 3846 2643 38327950 2884 1971 6939 9375 1 微強

 

ここで松永良弼が使った「定周」という術語は関孝和が『括要算法』の円周率の計算で用いた術語と一致します。

つぎが「弧背率」になりますが、円の直径をd、矢をc、弦aとし、これらが与えられたときの弧背の長さをs、弧背に囲まれる面積Aとするときの以下のような7個の公式が示されています

 

(3)

内元率       (4)

中元率  (5)

外元率         (6)

(7)

              (8)

                      (9)

 

http://www.i-repository.net/contents/tohoku/wasan/l/b053/05/b053050025l.png?log=true&mid=undefined&d=1498270780872

写真1 『方円算経』求周数にみえる円周率の値(左丁)

 

非常に残念なことですが、松永はこれらの公式がどのようにして導けるのかの説明を一切しておりません。こうした無説明も近世日本数学の特色の一つになります。ちなみに(3) (arc sinx)2の冪級数展開であり、(4)から(6)arc sinxの冪級数展開になります。(7)1cos θの展開式、(8) sinθの展開式になりましょう。また、(3)は建部賢弘が既に発見したものでもありました。

 

                                    ( 以下、次号 )