堪らなく楽しい数学


(ゼロ除算の意義)

ゼロ除算の結果については 相当具体的に述べてきた。そこで、評価、反響の視点から、ゼロ除算の意義を簡潔に表現したい。

数学では、ゼロで割る問題である。 ゼロでは割れないは 世の常識で、人は不可能であることを 人生で初めて知るのではないだろうか と述べている者もいる。ゼロで割れない、不可能性を そこから人間は学ぶという。

ところが発見されたゼロ除算は、自然な意味で、拡張された意味で、ゼロ除算は可能であることを述べている。ここに2つの問題が起きた。数学者は既に拡張された意味については理解できるが、相当な専門家でもこの意味を数年経っても理解できない状況が広く認められる。ゼロ除算は確定であると述べているのに、今でもいろいろな議論をしたり、間違った論文を書いている者もいる有様である。さらに驚嘆すべきは 結果の意外性である。連続性の考えから、あるいは美しい複素解析学から、例えば典型的な場合、1/0 は無限だろう、無限だとの考えが100年を越えて存在する。既に結果は確定されていると 世界の数学界でも定説とされている。ところが発見された結果が1/0=0だというのだから、驚嘆してしまう。歴史などを調べていくと、1300年も前のゼロの発見にも関し、さらにアリストテレスの世界観や、ユークリッド幾何学にも抵触する。天才数学者たちのいろいろな関与やアインシュタインの相対性の理論やニュートンの万有引力の法則など多くの公式にも関与している。そこで、迂闊には議論できないような状況が2年以上も続いたと言える。異常に慎重に、慎重に研究を進めたのは当然である。実際、研究どころか、ゼロ除算の意味を知るべく、初等数学を繰り返し、繰り返し意義を求めて反芻して来た。それで、相当広い分野から500件を超える知見を得て、ゼロ除算の位置づけを行い、本年の賀状で、ゼロ除算の全貌が見えたと述べた。

ゼロ除算の発見は、超古典的な数学の事実に反する新しい世界観を示している。直線は原点を通り、無限遠点は無限ではなく、ゼロで表される。円の中心の円に関する鏡像は無限遠点ではなく、円の中心自身である。tan   はゼロの値を取っている。― ここは一般的に解析関数は孤立特異点で有限確定値を取る ― ゼロ除算算法の発見。これらはすでに相当な範囲で、初等数学は変更されるべきであること、補充されるべきことを述べている。特に微分方程式論は相当な変更が必要であり、現在の理論は不備であると言える。

y軸の勾配はゼロであるから、変更の大きさは相当な範囲に及ぶ。高校の教材から、三角関数、比の考え、直線の考え、微分の考えが変わるとなれば、学術、学術書の変更は甚大なものと言える。ところが数学の変更のみならば それはそれで良いとしても、問題は世界や空間の認識の変更を求めているから、ゼロ除算の影響は世界史的な事件であると言わざるを得ない。

ゼロ除算、ゼロ除算算法の意義として次のようにも述べられる。解析関数の孤立特異点での研究は、 精確には孤立特異点での孤立特異点を除いた近傍での研究で、孤立特異点その点での研究は、全くなされていない。ゼロで割ることが許されず、考えて来なかったからである。そこで、孤立特異点の状況を、周りから近づいた極限値で考え、極と述べられてきた。 これは自然な発想であったが、実は孤立特異点で 固有な値を取っていた。近づいた極限値ではなくて有限確定値をとっていたというのである。それでゼロ除算は、全く新しい世界、新天地である。考えたことのない世界である。― ここで、我々は、なぜゼロ除算の理解が遅れているかの理由を知ることができる。 全く、新しい世界、数学であるからである。だから、我々には、関係ない数学であると即断し易い。

 

 

                 ( 以下、次号 )