堪らなく楽しい数学


(ゼロ除算と心、総合的な印象)

ゼロ除算についての全体的な印象を述べて置こう。 まず、ゼロで割る問題 ゼロ除算1/0 = 0/0 = 0は、気づいてみれば 実は当たり前だった。これは初期から述べてきたように、有名なMoore-Penrose 一般逆であり、チコノフ正則化法による最も基本的な方程式 ax = b の一般化された意味での解であり、ゼロ除算を含む体の構造(山田体)が確立され、高橋の一意性定理で我々の考え以外にゼロ除算は有り得ず、道脇方式の除算の考えにも合っているばかりか、美観や自然観からも自明、当たり前である。ゼロ除算は数学的に確定している。

さらに、この新しい数学が我々の一般的な数学であることを見るために、ユークリッド幾何学、線形代数、微積分学、解析幾何学、微分方程式、複素解析、確率統計学など数学の初歩から600件を超える知見を探して、現代数学には間違いを含む、初歩的な欠陥があり、我々の空間の認識は ユークリッド以来間違っていると述べ、著書素案原稿114ページを広く配布、助言と意見を求めている。日本数学会や国際会議でも発表、論文なども十分に公刊していると言える。- ただ研究発表は 研究が初期的段階にあることもあって、権威ある形になっていないのは問題であるが、真実を求めようとすれば、内容は学部低学年レベルであるから、ゼロ除算の真相は 多くの人びとに容易に理解できると考えられる。しかし、現実には既に発見後3年を経過して4年目を迎えようとしている状況を考えると、理解が進まないのは誠に奇妙な状況と言える。その後も、どんどん変な書き物や解説が出ている状況がある。

ユークリッド以来、アリストテレス以来の事件であることを考えれば、無理もない状況とも言える。さらに神秘的なゼロ除算の重い歴史が回想される。今でも混乱が続いていて おかしな議論が止まない。

ゼロ除算については 数学界は世界史上でも汚点を残してきたと考えられるが、 真実が現れたのに その真偽を明らかにすることにも 時間を掛けすぎているように見える。数学は人間を超えて存在し、その論理的な展開には必然性があり、ゼロ除算の将来は 約束された豊かな新世界を拓いており、これは既に歴然で すっかり当たり前である。何事でも基礎、基本が優先され、尊重されるべきことは当然である。 - 人の生きる意義は 真智への愛、神の意志を求めることにあることを 想起して置きたい。

アリストテレス以来、空や無、非存在に対する恐怖心の感性が 人間の心の奥に潜んでいるようである。ゼロに対する畏敬の念は 誤解して、無神にも通じているようで ゼロ除算は嫌われる面を持っているようであるが ゼロの世界は 全ての母なる豊かな全体に通じていると明るく捉えている。 ( - 世の過程 は ゼロから始まってゼロに帰している。) 数学的には ゼロ除算は 美しく統一的に初等数学を完全化させてくれると言える。現代数学には初歩的な欠陥があると言える。

数学に初歩的な欠陥があるのに 何故、支障が起きなかったのかと言う素朴な疑問が湧いてくるかも知れない。計算機がゼロ除算に会って実害が出ていることを除いて、それは、不可能であると言って避けていた世界が見えていなかったことを意味し、実は我々の知らない広い世界が存在していて それは世界をより完全に見えるようになることを意味する。未知の大きな世界が存在していたということである。

ゼロ除算は tan = 0 など、高校レベルの基本的な性質を沢山導き、ユークリッド以来の空間の認識を変える基本的な数学で、しかも理論も高校生レベルで理解できるものであり、目も眩むほどに雄大に、深く進化している高級な現代数学に比べると極めて異例の数学だと言える。その影響の大きさを考えると、想像もできないほどに大きいと言える。天動説から地動説への変化を思わせる世界史上の事件であると考えられる。 次の言葉は既に歴史的な事実である考えられる:

典型的な反響は 次の物理学者の言葉に現れている:

Here is how I see the problem with prohibition on division by zero, which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out2017.10.14.8:55)。

                            ( 以下、次号 )