前回の『和算入門(49)-安島直円の仕事(1)』では、安島直円の円理研究について紹介しましたが、少し言葉足らずのところがあったようですので、この場を借りて若干の補足をさせて頂きます。
これまでも「用語円理」の解説のなかで触れてきましたが、当初、円理の意味は円周率の計算を中心に、さらには円弧背の長さを求める際に使われてきたものでした。その計算法は、円に内接する正多角形を等分割して円周率を求めようとするもの、あるいは円弧背に張られる弦に対して円弧の頂点から下される垂線(矢)を勾とした直角三角形を描き、さらにこの直角三角形の弦を矢に下ろして同様に分割操作を繰り返し、微少な直角三角形を得て、そこから弧背の長さに迫ろうとするものでした。これらはいずれも弧背の長さを等分割する方法であったと言えましょう。しかし、安島のそれは従前の計算法とは異なって、円弧に張られる弦を等分割することで弧背の長さを求めようとしたもので、旧法に比して画期的な計算法であったと主張できるのです。そしてこのアイデアは寛政6年(1794)校の『円柱穿空円術』においても活用されることになりました。ただ、そこでの評価として「十字環問題」が安島の方法ですべて解決できたかのような記述をしましたが、実際にはつぎの和田寧の登場を俟って完全を期することになります。ここに、若干の訂正をさせて頂きます。
さて、前稿への補足はこれ位にしておき、安島によるその他の研究を紹介しておきたいと思います。( )による番号は前稿から続くものになります。
(3)対数の計算で逆対数表をつくったこと。
清朝の雍正元年(1723) に『律暦淵源』100巻が出版されました。『律暦淵源』は『暦象考成』(上編16巻、下編10巻、表16巻)、『律呂精義』(上編2巻、下編2巻、続編1巻)、『数理精蘊』(上編5巻、下編40巻、表8巻)の三部で構成される大著でしたが、『暦象考成』には三角法に基づく西洋の天文暦学研究の成果が、『律呂精義』では音楽理論が、そして『数理精蘊』では西洋の数学がそれぞれ論じられていました。なかでも『数理精蘊』の冒頭にマテオ・リッチがクリストファー・クラビウスの注解によるElementaをもとにして漢語訳した『幾何原本』が収まっていたことは特筆すべきことでしょう。この『数理精蘊』に対数の作表法と表が載せられていました。安島は対数の概念をこれから学んだと思われますが、同書の作表法が煩雑であることから独自に逆対数表を作成したようです。こうした安島の研究成果は寛政11年(1799)校の『不朽算法』や『真假数表』(年紀不明)に残されています。
因みに、『律暦淵源』は宝暦11年(1761) に我が国に伝わったことが分かっています。これ以前の渡来も考えられますが、いまのところその痕跡は見つかっていません。これ以後、安島以外の和算家でも対数を論じるものが出てきますが、なかでも文化12年(1815)刊行の坂部広胖の『算法點竄指南録』や文化7年(1810)の序文をもつ本多利明の『大測表』などが著しい事例と言えます。彼らは対数表を使って計算すれば、面倒な乗除算が加減算に代えられて簡便だと主張していますが、それはそのまま安島直円の業績に通じるものでした。
(4)累円術と傍斜術の研究
安島直円は環円問題などの研究にも力を注ぎました。この問題に関わる安島の研究書を挙げてみましょう。天明2年9月重訂の年紀をもつ写本『環円無有奇術』は、一つの円に幾つかの円が環状に外接するか、内接している場合の各円の直径を求める方法を探ることにあるのですが、肝心なことは直径が整数になる通術を得ることでした。『円内容累円術』(天明4年(1782)2月訂書) は外円と内円の間に環状に円が互いに接するように容れた場合の関係式を求めるのですが、ここでの研究は環状に容る円が対象形になっている場合を扱っています。寛政3年(1791) 6月訂書の年紀をもつ写本『円内容累円術後編』は、『円内容累円術』が環状に容れられる円が左右対称であったのに対して、一般の場合について論じています。一々の紹介は煩雑になりますから、その他累円術に係わる安島の重要な論文を列挙して紹介に代えたいと思います。『廉術変換』は天明4年3月に著されています。また、傍斜術との関連論では『五円括術并無有奇』(年紀不明)『六円無有奇術』(天明6年6月考訂、寛政3年9月重訂)、『円内容七円術』(年紀不明)などが知られています。
資料1 『四円傍斜之解』第一(右図、東北大学附属図書館蔵)
最後に傍斜術の論文を1本紹介しておきましょう。年紀不明の写本に『四円傍斜之解』があります。上記の資料1がそれになりますが、この写本の最初に登場する第一では、大円と小円の隙間に挟まれるように甲円と乙円が互いに接触しながら、大円と小円にも接する図が描かれています。このような図にあって大円と小円の間に共通接線が引かれるのですが、この接線を安島は傍斜と呼んでいます。この大円と小円の共通接線と各円との関係を研究することが傍斜術なのです。問題はつぎのように与えられています。
大径若干、小径若干、甲径若干、乙径若干、求斜
資料1の左側が図解になりますが、長い計算から導かれた結論を抜き出しますとつぎのようになります。但し、煩雑になることから計算過程および結論では「径」の字は省略されています。
(大-小)2甲2乙2-2(甲+乙)(大+小)甲乙斜2-4大小甲乙斜2+(甲+乙)2斜4
= 0 (1)
資料2 『四円傍斜之術』第二(左図)
資料2の左図第二の場合は、大円と小円が交わってできる隙間に甲円と乙円が互いに外接しながら、大円と小円に内接している場合になっていて、共通外接線が大円と小円の間に引かれています。問題の設定は第一のときと同じです。結論は、
(大-小)2甲2乙2+2(甲+乙)(大+小)甲乙斜2-4大小甲乙斜2+(甲+乙)2斜4
= 0 (2)
(1)式と(2)式は全く同じ形式で書かれており、僅かに第二項の符合が異なるだけです。
資料3 『四円傍斜之解』第三(左図)
資料3は第三の場合ですが、甲円と乙円が小円と大円の隙間に収まっている場合になっています。これも結論を書けばつぎのようになります。
(大+小)2甲2乙2+2(甲+乙)(大-小)甲乙天2-4甲乙大小天2+(甲+乙)2天4
= 0 (3)
この(3)式も(1)(2)と同形ですが、第二項の大小の関係が負で表され
ている違いを見るだけです。言い忘れました、式(3) で使われている「天」はそれまでの斜と全く同じ意味です。原文で使われている用語をそのままに残しました。この写本の題名は『四円傍斜之術』ですから、第四の場合が論じられるのですが、それは第三の場合と本質的に同じですから省略することにします。
安島直円による傍斜術の研究はその後の研究に大きな影響を与えました。阿部知翁による『未済算法』などはまさに傍斜術の賜と呼べる研究書でしょう。阿部を含めた後世の和算家たちは環円間に生じる美しい曲率関係式を見いだしていったのでした。
( 以下、次号 )