つい最近、必要があって『神壁算法』を再調査していて面白いことに気づかされました。直接的には和算の表記法、間接的には関流・最上流論争に繋がるのですが、その調査結果を報告したいと思います。
再三触れますように、『神壁算法』は藤田貞資が寛政元年(1789)に諸国で奉納された算額を集めて刊行したものでした。これの上巻に「所懸于東都浅草観世音堂者一事」と標して二問の問題が載せられています(写真1参照)。
写真1 『神壁算法』に載る浅草観世音堂の問題
奉納算額は、寛政3(1791)年9月、関流神谷定令門人の早川金太郎信安と永井孝之助豊久が考案した初等幾何の問題が取り上げられていました。いま、この小稿で話題にしようとする問題は後者の永井豊久が提出したものです。まず、原文のまま紹介しましょう。
写真2 算額の問題図
今有如図円内隔斜容四円、其乙円径四寸、丙円
径三寸、丁円径一寸、問甲円径幾何。
答曰甲円径六寸
術曰置乙円径乗丁円径平方開之以除丙円径内減
一箇余以除丙円径得甲円径合問。
問題、答えおよび術文を現代語に訳せばつぎのようになりましょう。
問題
いま、図のように円内に二本の斜線を隔てて4つの円を入れることにする。このとき、甲円と丙円は互いに接し、かつ外円に内接する。また、この2つの円に接する2本の外接線と外円との間に乙円と丁円を入れるが、これらも外円と外接線に接するものとする。乙円の直径が4寸、丙円の直径が3寸、丁円の直径が1寸のとき、甲円の直径は幾らか。
答 甲円の直径は6寸
術文
乙円の直径に丁円の直径を掛け、これを平方に開き、この値を以て丙円の直径を割り、この商から1を減じて、余りを以て丙円の直径を割れば甲円の直径が求まる。
以上が現代語訳になりますが、術文を組み立てて見ますとつぎのように表せます。
これで甲円径は求まりますが、図形を見ているとちょっとおかしいことに気がつきます。それは、条件で与えられた乙円径の大きさと丙円径の大きさが異なっていることです。このことは後の人たちもあまり気にしていなかったようで、大きさの違いは放置されたままになりました。
さて、では当時の人たちはどのようにしてこの問題を解いたのでしょうか。ここからがまた、興味深い話題になります。
『神壁算法』はたくさんの問題を収録していましたから、数学愛好者にとっては格好の研究材料になりました。従って多数の千差万別の解義書が残されています。それらは、解法を自明の理だからといわんばかりに簡略にしたもの、いちいち式の展開まで書き連ねた長文のものなど多様な研究ノートになっています。
これはとても偶然といってよいのですが、東北大学附属図書館林文庫に収蔵される『神壁算法解』(林文庫2413)を調べてみることにしました。この解義書の著者は長沼安定のようです。長沼は通称を宗右衛門、名を安順、号を朧山、蘭齋と号し、植村重遠と岩井重遠について学んだと伝わっています。測量術は浦野五左衛門幸盈より伝授されたようです。著作に『釣円錐得内外背解』(嘉永2年)、『順天堂算譜解』(嘉永2~3年)、『円理通釣物解』(嘉永3年)などが有ることが知られています。これら著作から窺うと幕末の華といわれる「円理」の問題を好んで研究した実力者のように見えます。さきの『神壁算法解』には奥付はありません。しかし、稿本中に「安政三(注:1856年)辰五月八日以改算記中稿」とする注記がありますので、江戸時代も終わりの頃の著作と考えられますが、確かなことは分かりません。
長沼安定の『神壁算法』上巻附録に載る「所懸于東都浅草観世音堂者一事」第2問の解法を検討することにしましょう。以下は、長沼の解法の翻訳になります。訳文では円径の文字は省略されています。なお、式中の赤字は著者によるものであることをお断りいたします。
図1
上の図1より
大-2丁-丙=天
また、
大-丙=人
人を自乗し、これより天自乗を減じれば
(大-丙)2-(大-2丁-丙)
=4大丁-4丁2-4丙丁
=地2 (1)
(1)の丙を甲に換えて
4大丁-4丁2-4甲丁
=月2 (2)
また、
4甲丙=(地+月)2
=地2+月2+2地月
だから、(1)と(2) を代入して、(2地月)2を減じて4で割れば
2地月=4甲丙-(8大丁-8丁2-4丙丁-4甲丁)
=甲丙-2大丁+2丁2+丙丁+甲丁 (3)
(3) を自乗すれば、
4地2月2=甲2丙2-4甲丙大丁+4丁2甲丙+2丁丙2甲+2甲2丙丁+4大2丁2 -8丁3大-4大丁2丙-4大丁2甲+4丁4+4丙丁3+4甲丁3+丙2丁2+2丙甲丁2+甲2丁2
(4)
ここで(4) の左辺を開けば、
4地2月2=4大2丁2-4丁2丙大-8丁3大+4丁3丙+4丁4-4大丁2甲
+4甲丙丁2+4甲丁3 (5)
(4)と(5) を相消して、
甲2丙2-4甲丙丁大+2甲丙2丁+2甲2丙丁+丁2丙2+2丁2丙甲+丁2甲2=0 (6)
(6) から大円径を求める式を作れば、
甲2丙2+(甲+丙)2丁2+2(甲+丙)甲丙丁-4甲丙丁(大)=0 (7)
(7) の丁を乙で変換すれば
甲2丙2+(甲+丙)2乙2+2(甲+丙)甲丙乙-4甲丙乙(大)=0 (8)
ここで、(7) に乙を乗じ、(8) に丁を乗じて相消せば
甲2丙2乙+(甲+丙)2丁2乙-甲2丙2丁-(甲+丙)2乙2丁=0 (9)
(9) を整理し(乙-丁)を省けば、
-(甲+丙)2丁乙+甲2丙2=0 (10)
これを開いて、甲円径を求める式を得る。
-甲2乙丁-2甲丙乙丁-丙2乙丁+甲2丙2=0 (11)
長沼の解法は式(11) を得て終わっていて、これから問題にあるような術文が作られるというのです。もっとも術文を作るにはちょっとした工夫が必要なのですが、当時の人たちはそのことは苦にならなかったようです。あまり、上手はやり方ではないかも知れませんが、術文にたどり着いておきましょう。式(10) は甲、乙、丙、丁の4円の関係式になっています。これを使えば甲円径を求める式が導けます。さて、(10) を乙丁を以て除し、左右に分けて平方に開けば、
-(甲+丙)√乙√丁+甲丙=0
甲√乙√丁+丙√乙√丁-甲丙=0
(甲√乙√丁-甲丙)+丙√乙√丁=0
移行して、割り整理すれば
甲(√乙√丁-丙)=-丙√乙√丁
甲=-丙√乙√丁/ (√乙√丁-丙)
=-丙√乙√丁/ (√乙√丁{(丙/√乙√丁-1) }
=丙/{ (丙/√乙丁)-1} (12)
図2
これで甲円径が求まりますので、あとは(12)式を漢文で表現するだけになります。
さきに興味深いことがあると書きました。それは上記の式中に朱字で印をした箇所です。それは上図2に対応します。図2では、例えば甲や大、丁の下に一が書かれます。第2項では丁の下に二、第6項では丁三とあります。これらの漢数字は指数を表しているのです。和算では指数を自乗、再自乗、三乗、四乗、---- と書き表しますが、それはn2、n3、n4、--- のことになります。自乗と書かず冪(巾) と書くこともありますが、上図2の術文では、乗や冪(巾) を省略して、甲一(甲2)、大一(大2)、丁二(丁3)、丁三(丁4)、と書いているのです。現在と違って、次数は一次低いのですが、表記法は同じといえます。江戸時代も終わりになると、こうした和算家も登場してくるのです。あるいは西洋の記法を知っていたのかも知れません。
最後に関流・最上流論争に関連した話をしてこの稿を締めくくることにします。会田安明に『増刻神壁算法評林』(林集書1093) と題する著作があります。これは寛政9年の年紀を持ちますが、いうまでもなく藤田貞資の『神壁算法』に載る問題を評論したものになります。では、会田はこの小稿で紹介した「所懸于東都浅草観世音堂者一事」の問題をどのように論評したのでしょうか。写真3が当該箇所になりますが、会田はつぎのようにいっています
評曰此術ヲ見レバ文義三十五字ナリ。予ガ術文義二十八字ナリ。乃シ術意ハ全ク相同ジ。
術曰乙丁径相乗開平方以除丙径内減一箇余以除丙径得甲径合問
算額の術文は35文字だが、自分の術文は28文字に纏めることができるというのですが、要は、円径などの語句を削って術文を短くしただけのものです。円径の大きさのことも触れません。なにかトホトな感じの評林に思えますが、如何でしょうか。
写真3
( 以下、次号 )