和算入門


江戸時代も終わりの頃になると、近世日本の数学はいよいよ高見を究めることになりました。安島直円による二重綴術の考案、さらには和田寧による円理表の創出はその起爆剤になったのでした。この時期になると術語円理は、前代の円周率のことや円弧背の求長法に留まらず、穿去問題(貫通体問題)、転距軌跡問題(サイクロイド曲線問題)や秤平術問題(重心問題)などを指すようになりました。

 術語円理が、書籍の表題として登場するのは、管見の限りでは、上州玉村の齊藤宜長・宜義による『算法円理鑑』が最初であったと思われます。これは天保5(1834)年を初版としますが、その後、天保8年には江戸の書肆岡田屋からも発売され、全国に流通するようになりました。齊藤父子の仕事に触発されてと言えましょう、以後、円理を書名に冠する算術書が刊行されるようになります。齊藤一門では、天保8年に『算法円理起原表』(円理表)、天保11年には『算法円理新々』などを出版しています。一方、齊藤宜長と同じ小野栄重の門下生であった剣持章行は天保8年に『算法円理冰釋』を出します。これが齊藤一派以外による円理を表題にもつ最初の刊本かも知れません。以後、正空覚道の『円理規矩算法』(天保10年刊)、藤岡有貞の『算法円理通』(弘化3年刊)、佐藤解記の『算法円理三台』(弘化3年刊)と続き、さらには、萩原禎助の『算法円理私論』(慶応2年刊)、同『円理算要』(明治11年刊)と継承されていきました。

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史料1 『算法円理鑑』(東北大学図書館蔵)の序文

 

ところで、『算法円理鑑』の著者の齊藤たちはどのような意味で円理を使っていたのでしょうか。宜義が書いた序文にはつぎのような解説が載っています(史料1参照)。序文を翻刻してみましょう。

 

        

 夫れ円理は八題有り。原、截、書、穿、受、廻、鉤、転、是れなり。原は象形を質して、円象玉類の諸形は、これを原題と謂う。原題の如く原形これを截分するは、これを截題と謂う。原形を異形に書くは、これを書題と謂う。原形を異形に穿つは、これを穿題と謂う。照形は其の光、別形に受くは、これを受題と謂う。糸を周らす内容形に及び筆文を挟みこれを廻すは、これを廻題と謂う。糸を以て垂形に鉤すは、これを鉤題と謂う。形を列し其の周に形を附し、又、其の周に形を附しこれを転距するは、これを転題と謂う。

 

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史料2 『算法円理鑑』の原題

 

序文の劈頭に登場する原題 (7) は、史料2で見るようにトーラス環問題が第1問を飾っています。勿論、環の径は一様ではありません。そのような変形ドーナツ形の体積を求める問題になっています。原題は全部で7問取り上げられていますが、いずれも古今から難問とされた物ばかりで、関流数学書の『求積』の最後を飾る十字環問題も含まれています。截題 (3) は、等脚台形を対角線に沿って截断した時に生じる截断面の周を求める問題などが扱われています。衆知のように、楕円の周長を求めることになりますが、これも『求積』で論じられた問題でした。書題(2)は、例題として球面上に三角形もしくは四角形を画く問題が提出されていますので、球面三角法の問題に相当しましょう。穿題(8) は、この時期急速に流行し研究された貫通体の問題になります。これまでは円柱を穿つことに関心が寄せられていましたが、ここでは穿つ方も穿かれる方もいろいろな形になり、問題が複雑化しています。受題(1)は、史料3で示したように、太陽の光を受けた月影が大平盤に投影された問題になっています。大平盤は地表面と言うことになるのでしょう。この月影の面積と周長を求めよと言うのです。大変スケールの大きい問題と言えましょう。廻題(1)は、多角形の周に糸を張り、この糸に筆を掛けて糸を緩ませることなく回転させて描ける図形の周長を求める問題になっています。鉤題(1)は、後に秤平術とか鉤垂術と呼ばれることになる重心問題が登場しています。

 

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史料3 『算法円理鑑』の受題

 

 

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史料4 『算法円理鑑』の転題

 

さて、最後の転題 (3) は、史料4で明らかなように、転距軌跡の問題になります。これは総じてサイクロイド曲線あるいは外内擺線問題と呼べますが、『算法円理鑑』はこうした運動曲線を論じた、ある意味最新の問題を掲載する斬新な算術書だったと言えるのです。ですから、著者の齊藤宜義は「上州の鬼才」と呼ばれる異名を取るようになりました。

このように『算法円理鑑』から見れば円理とは従来からあった求積問題をも含めて、当時の難問の総てが円理問題であり、その根幹には二重積分による算法だけでなく、楕円の周長の計算法などが含まれていたことになります。

 齊藤宜義による外擺線問題をめぐって面白い話が伝わっています。明治時代の和算研究の大家遠藤利貞は、実は、擺線問題の研究の先取権は和田寧にあったと遺著『増修日本数学史』(pp.536-537) で述べています。当該記事を引用しておきましょう。

 

和田寧、嘗て転距軌跡の算理を発明せり。秘して未だこれを人に示さず。この時、門人齊藤宜長、その術理を学び得て、竊かにこれを己れが自発の創術を衒うて、その子宜義の名を以て一書を発行せんとす。

寧、これを聞き、すなわち急に門弟奥山直祇をして、一題を筆して以て、江戸芝愛宕神社に奉額せしめたり。看る者、その新発術にして、且術理の妙を歎ぜざる者なし。これより四方の算家競うて、これを研究すること、恰も一の学科の如し。これを以て、転距軌跡の問題速かに四方に弘まる。

 

  

史料5 『諸国神社算題』(東北大学図書館蔵)

 

遠藤利貞が指摘した和田寧の門人奥山直祇による愛宕神社奉納の算額は史料5に見る通りです。奉納年は天保5年正月になっており、『算法円理鑑』の出版と同じ年の出来事として記録されています。齊藤宜義の父宜長は和田寧に入門して円理を修めたと言われていますから、遠藤のような指摘があっても不思議ではありません。ただ、奥山の問題の最後にある付言は意味深長です。ちょっと読んでおきましょう。

 

 先生曰く、右問題の如くは其の類少なし。名つけて曰く転距題と。蓋し、輪数大小随意に増加するに至て、以て左右にこれを転する等は、予いまだこれを試す者多からず。学ばずべからざるなり。

 

冒頭の先生とは和田寧を指していることは言うまでもありません。そして、このような転距題の研究は類例が少ないのは事実ですが、皆無と断言していません。その意味では、齊藤宜長が和田の下にいて、師の研究を掠めたと考えることもできますが、一方で和田塾において互いが切磋琢磨していれば、齊藤たちにその先取権が生じてもおかしくありません。どちらに先取権があるかはさておき、以降、サイクロイド問題の研究が急速に進展し、問題が複雑化していくのも時代としての特徴になりました。

 ただ、近世日本におけるサイクロイド曲線の研究は彼らを濫觴としないことも指摘しておかなければなりません。

 

                          ( 以下、次号 )