1.はじめに
読者の皆さんお久し振りです。コロナ禍のなか如何お過ごしでしょうか。筆者も感染予防を心がけながら息災に過ごしております。この間、執筆の時間がなかった訳ではないのですが、PCに向かう心の余裕が生まれず投稿を遅滞させていたことを深くお詫びいたします。
この「和算入門補遺」は時々の話題を拾っているように見えますが、本来は「和算入門」にあって古代や近世初頭の数学について紹介することを怠った反省から、それらを補う積もりで始めたものでした。
実は、この11月の中旬から数週間ほど上海交通大学が主催するonlineによる国際会議 (The 1st Interdisciplinary East Asia Forum on Scientific & Technological Exchange via the Maritime Silk Road, 2020 12.5-6, Shanghai Jiao Tong University) に参加するため日本の古い文献を調べておりました。古い文献とは古本『節用集』と呼ばれるものです。『節用集』は、一口で言えば室町時代後期に編まれた国語辞書のことですが、ここにはいろは順にしてこの時代の日常語を天地、時節、草木、財宝、言語、数量などに分類して漢字とその読み方が収録され、部分的には若干の補足説明が与えられているのです。補足説明はいまの辞書に言う語釈に相当します。しかし、すべての用語につけられている訳ではありません。その点は誤解のないようにお願いします。また、筆者は『節用集』の頭に古本と付けました。その意味合いは、江戸時代に入ると『節用集』は国語辞書としての役割だけでなく、目的用途別に編集されたものや大衆性を加味した百科辞書のような大部なものも出回るようになりますので、そうした江戸時代の『節用集』と区別するために室町時代のそれらには古本の冠を付けることが慣例になっていることに倣ったものです。ここまで書けば、筆者の辞書調査の狙いがどの辺にあるのかお気づきになったと思います。そうです、和算以前の室町時代にどのような算術用語が庶民の間に拡がっていたか、そのことを古い国語辞書から探って見ることが調査の目的だったのです。
2.古本『節用集』の調査から
今回筆者が調査した古本『節用集』は僅か4種類です。それもインターネットで閲覧できるものに限られていますから、この時代の全ての日常語が調べられた訳ではありません。しかし、限られた調査でも幾つかの面白い事項が見つかりましたので報告することにします。
筆者が見た古本『節用集』はつぎの通りです。国立国会図書館では古本『節用集』(請求番号WA16-22)と古本『節用集』(請求番号WA6-71)を見ました。同図書館の書誌情報では前者は室町時代末期の筆写本で、伊勢本の系統に属し、筆者は不明。後者は室町時代末期の刊本で、伊勢本の系統に属し、林宗二によって出版された木活字本とされています。林宗二は室町時代後期の奈良の商人で歌学者でもありました。家業の饅頭屋の傍ら三条西実隆、清原宣賢ら当時の第一級の学者に和漢の学を学び、連歌師の牡丹花肖柏より古今伝授を受けたと伝わります[1]。更に、奈良女子大学が収蔵する古本『節用集』(目録番号176)を見ました。これは室町中期の写本で、天正20年(1592年)本の系統に属するとされています。書写者は不明[2]。京都大学附属図書館蔵の古本『節用集』(請求記号4-85/セ/3貴)も調査しました[3]。京大本の古本『節用集』は室町時代末期の永禄年間(1558~1570)の書写本とされ、「足利時代の写本にして正に節用集古抄本中の一として珍重すべきものなり」とする評価を採るものですが[4]、数学史的に見て大変興味深い情報が書き残されていました。このことは後に詳述したいと思います。これら以外の史料もこの原稿を書き進めていく上で参照しました。それらも追って紹介していくことにしましょう。
3.古本『節用集』に見える算術用語
古本『節用集』はいろは順に記載されていますから、最初は「伊(い)」或いは「以(い)」と言うことになります。色々な用語が収録されているのですが、ここで筆者の目は「一倍」のところで止まりました。国会本『節用集』(請求番号WA16-22)では「一倍増義」とあります。この言葉はその他の『節用集』にも採録されていますが、補注にあたる「増義(増す義)」が書かれていないものもあります。一方、別本『節用集』(請求番号WA6-71)の「末(ま)」の項を見ますと「増同倍」があり、「増」は「倍と同じ」と説明されていました。いまも「人一倍頑張る」などと日常会話で使いますが、算術的には「一倍」は2倍に相当する用語になります。『塵劫記』(1627年刊)に「日に日に一倍の事」とする問題が載っています。これは初項を1、公比を2とする等比数列の一般項を求める問題なのです。『節用集』の用例では二倍と明確に書いていないのですが「増える」にそのことを含めていたように思えます。「一倍」の使用は室町時代以前から続いていたのでしょうが、これは古代中国数学の残滓と言うことができます。
「能(の)」では「除(のぞく)」があります。近世日本数学では、勿論、現代でもそうですが「除」は割り算を意味する用語として用いられます。しかし、これには補足説明がありませんから算術用語ではなく日常用語として収録されていると思われます。算術用語ではないのですが『節用集』(請求番号WA6-71)では「末(ま)」の項に「丸(まろし)同圓」とありました。古代の数学では「圓」は現代の日本人が使う「円」と同じで「丸」を表していました。勿論、近世の日本人も「圓」を円の意味で用いました。また、員も圓の略字として使っています。室町時代の人々も「丸」すなわち「円」を「圓」と表記していたことになります。
「計(け)」には「計筭(けさん)」とする用語がでてきます。「けいさん」ではなく「けさん」とする振り仮名がついています。『節用集』(請求番号WA16-22)ではこれの補注として「文鎮」とありました。『広辞苑』を開きますと「「けいさん」(卦算・圭算):(易の算木に似るところから)文鎮(ぶんちん)、けさん」とする語釈が出ていました。なるほど、同じ計算の文字でも違う意味があるのですね。するとこの時代の「計算」については注意して読まなければならないことになります。
「曽(そ)」の項では算盤(そろばん)の出現を期待したのですが、残念、見当たりませんでした。類似語も探しましたが載っていません。このことは、後述する京都大学附属図書館本を除いて、筆者が見た限りの古本『節用集』での収録はありませんでした。
ちょっと長くなりますので端折ります。「不(ふ)」には「不足(ふそく)」、「安(あ)」では「剰(あまさへ)」が載ります。剩は「あまり」の意味で使われるのですが、『節用集』では「あまさへ」と読ませていました。
『節用集』(請求番号WA16-22)の「佐・左(さ)」では「財物」の項、別本では「雑事」の項に「筭(さん)」が出てきます。これらの『節用集』に補足説明はありませんが、京大本『節用集』の「数量」の項には「小木、而して四方上下九[丸]刀これを削る者。九々八十一の極数(きょくすう)を表(へう)する者なり」(読み下しは筆者)とする注記がありました。ちょっとした驚きでした。中国の伝統数学では、算盤が普及する以前にあって主要な計算器具として籌筭が用いられました。日本ではこれを筭木と呼びました。ここでの詳論は控えますが、実は「筭」と「算」には明瞭な使い分けがあったのです[5]。京大本『節用集』では「筭」を小木の計算器具であり、九々の極数を表すものと解説したのでした。このような説明を見ますと著者或いは補注を与えた人物は算術の心得があった人かも知れません。また「筭」に関して国立国会図書館蔵の『雑字類書』(写本、室町中期、請求記号WA16-21)を開いてみますと「筭置(さんをき、かずう)、筭用(さんよう、もちいる)、筭術(さんじゅつ、しわざ)、筭計(さんけい、はかり)、筭勘(さんかん、かんがへ)、筭合(さんごう、あわす)、筭失(さんしつ、うしなう)、筭道(さんたう、みち)」などとする熟語が出てきました。ここでは一々の解説を与えませんが「筭」を使った熟語が意外に多いことに気づかされます。
さらに『節用集』(請求番号WA16-22)の「言語」の項には「筭用或散用 (さんよう)」がありました。刊行本では「雑事」の項にあって「筭用(さんよう)」「筭勘(さんかん)」とあるだけです。京大本も区分は言語の項ですが「筭用(さんよう)」「筭失」「筭勘(さんかん)」と列記した上で、「散用(さんよう)」は『節用集』(請求番号WA16-22)とは明らかに違って別記されていました。「
「筭用」と「散用」にはどのような区別があるのでしょう。『広辞苑』では「さんよう」は「「算用・散用」とあって、「数を計算すること。勘定」「支払い。清算」「みつもり。目算」とする語釈が与えられていました。「筭用」が計算の意味で使われることは理解できますが、現代の我々からすると「散用」はピント来ません。ただ、いまも「散財をする」と言いますし、古文では「筭を散らす」「筭を乱す」とする用例もありますので、「筭」=「散」は発音が同じですから、いわゆる借音として用いたのでしょうか。また、中世の文書で収支決算書を表す用語に「算用状・散用状」もあるそうです。これらのことは国語研究者にとっては当たり前のことのようですが、数学史の研究者でこの用例を知っていた方はどれほどいられるのでしょうか。興味深いものがありますし、こうした事例からも研究領域を越えた共同研究の必要性を感じるところです。
また、江戸時代初期の算術書に『筭用記』と題するものがあります。これには「筭」の漢字が充てられていますから、厳密に言えば算木による計算の書の意味になりましょう。しかし、実際は算盤を用いて計算をする問題集になっていすから、この頃の算術家に「筭」を算木とする明確な意識はなかったように思えてきます。それ以上に「筭」は算盤と見做す指向が強かったのではないでしょうか。そして「筭」が算木による計算と認識されることは天元術の普及を俟たなければならなかったと言えましょう。
また、「筭勘(さんかん)」も載ります。古くは「陰陽道に通じ占い考えること」や「数の勘定」を指した用語ですが、もう少し踏み込んで「数の根本を考える」と言う意味合いもあったように感じられます。「幾(き)」では「雑事」の項に「規矩(きく)規矩法度」と出てきます。近世日本数学史にあっては「規(き)」は「ぶんまわし」すなわちコンパス、「矩(かね)」は曲尺(まがりがね)・差し金(さしがね)を意味し、総じて測量術を表す用語として専ら使われました。勿論、これら「規矩」は立派な大工道具でもありました。近世以前ではきっちりと物事を測ることから「法度」つまり「おきて・法律」などの意味として使われていたことになります。なお、「規矩」の起源も遥かに遠い古代の中国にあり、伏羲と女媧に依るとする伝説が残されています。
4.京大本『節用集』に記載された「八筭之目録」と「引双盤之詞」
史料1 古本『節用集』(京都大学附属図書館蔵:請求記号4-85/セ/3貴)
さて、京都大学附属図書館の古本『節用集』は室町時代末期の永禄年間(1558~1570)の書本とされておりますが、これを最後まで捲っていき大いに驚かされました。史料1に見るように、ここには「八筭之表」と「引双盤之詞」の「割声」の表が載せられていたのです。この事実は、この写本の成立が永禄年間という時代に鑑みれば、近世以前の数学史史料としては極めて貴重と言わなければなりません。これらの「割声」は辞書としての本文中に記載されたものではありません。巻末に付く付録のようにして収録されていました。この京大本に記載される「筭」に関連して「九々八十一」が「極数の表」として説明されていたことは先に触れましたが、このような「割声」の存在は室町時代後期にあって算術に心得のある人が九々と併せて覚えよう、あるいは活用しようとしていたことを窺わせる史的価値があると言えます。
さて、史料1から「割声」を書き出したものが史料2の表になります。原文では「割声」の漢字に片仮名で振り仮名を振ってありますが、これは皆さんが読みやすいように平仮名に直しておきました。
史料2 八筭之目録と引双盤之詞の表
八筭之目録 |
|
引双盤之詞 |
二一 天作五 |
逢六進之一十 |
見一無當作九一 |
逢二進之一十 |
七一 加下三 |
帰一倍一 |
三一 三十一 |
七二 加下六 |
見二無當作九二 |
三二 六十二 |
七三 四十二 |
帰一倍二 |
逢三進之一十 |
七四 五十五 |
見三無當作九三 |
四一 二十二 |
七五 七十一 |
帰一倍三 |
四二 天作五 |
七六 八十四 |
見四無當作九四 |
四三 七十二 |
逢七進之一十 |
帰一倍四 |
逢四進之一十 |
八一 加下二 |
見五無當作九五 |
五一 倍作二 |
八二 加下四 |
帰一倍五 |
五二 倍作四 |
八三 加下六 |
見六無當作九六 |
五三 倍作六 |
八四 天作五 |
帰一倍六 |
五四 倍作八 |
八五 六十二 |
見七無當作九七 |
逢五進之一十 |
八六 七十四 |
帰一倍七 |
六一 加下四 |
八七 八十六 |
見八無當作九八 |
六二 三十二 |
逢八進之一十 |
帰一倍八 |
六三 天作五 |
九帰加下一倍 |
見九無當作九九 |
六四 六十四 |
逢九進之一十 |
帰一倍九 |
六五 八十二 |
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見ての通り、「割声」の表は「八筭之目録」と「引双盤之詞」からなっています。「八筭之目録」は「二一天作五」(にいちてんさく(の)ご)から始まりますが、この句は近世日本数学史もしくは日本算盤史を象徴する大変有名なフレーズで、10÷2の商が5であることを表しているのです。算盤の計算を素早くするために割算の商を覚えやすく成句にして表化したものが「割声」ですから、この成句を唱えながら算盤の上梁(天)に商「五」を作ればよいことになります。「八筭」は除数が一桁の場合の割算の表ですから、続く「三一 三十一」は10÷3=3余り1を表していることになります。後は表に倣ってください。
振り仮名についてみておきましょう。「五一倍作二」では「倍作」に「ほいさう」とあります。「ばいさく」と読みたいのですが、これについて龍谷大学所蔵の日本人が出版した最も古い1600年頃の算術書『筭用記』を調べて見ますと、「倍双」の用語が使われていました[6]。「倍作」を「倍双」と書いているのですが、振り仮名はありません。そこで、寛永4年(1627)に京都の吉田光由が版行した『塵劫記』を調べてみますと、「五割図」の解説で「五一倍双二」とする割声にあって、「倍双」に「ばいさう」とする振り仮名を与えていることが分かりました[7]。すると古本『節用集』は「ばいさう」とするべきところを「ほいさう」と書き間違えたのでしょうか。確かに「倍」を「ばい」として振り仮名を与えている箇所もありますから、片仮名の「バ(ば)」を「ホ(ほ)」と読み違えたと考えることもできます。あるいは後世の人が『塵劫記』の「ばいそう」とする振り仮名を知っていて(見ていて)、「ほ」と誤写した可能性も考えられます。このことは後日改めて校勘してみたいと思います。「加下」は「かか」でよいのでしょう。
また、「八筭之「目録」」とした見出しも珍しい表記と言えます。『筭用記』は「八筭之次第」としていましたし、毛利重能の『割筭書[8]』では「割筭目録之次第」とはありますが、「割声」のところでは「八筭之次第」と記していますから、京大本の表記とはちょっと違いますから、「目録」とすることは『筭用記』や『割筭書』とは異なる系統に属しているように思えてきます。
つぎに「引双盤之詞」について触れておきましょう。ここは除数が二桁の場合の割声になっています。『筭用記』は「引そろはんのこえ」の項をたて、「をくにをかれさるは けむ一むとう作九一」「引にひかれさるハ 帰一はい」としています。『割筭書』では「見一之次第」として「置不置時者 見一無當作九一」と書き、「帰一倍一之次第」では「引に不引時ハ帰一倍」と述べています。その例題として『割筭書』は「見一無當作九一」において100÷11=9余り1の場合、「帰一倍之次第」では100÷12=8余り2を取り上げて解説に及んでいます。古本『節用集』はこうした割声を一覧表にして見せているのですが、「引双盤之詞」のように「見九無當作九九」「帰一倍九」までの全てを書き出しているものは『筭用記』や『割筭書』にはありません。その意味では独自と言えましょう。また、『筭用記』が「こえ」としたところを「詞」と書いていることも注目できます。これは「ことば」あるいは「こえ」と読むのでしょう。さらに「見一無當作九一」に「けんいちむたうさつきういち」とする読み仮名が付けられています。「作」に「さつ」の振り仮名が与えられていますが、これは「ク(く)」を「ツ(つ)」と誤読した可能性があります。先述の「ほいさう」のこともありますので、振り仮名のことは後世の人の手であろうする仮説がいよいよ有力になってきます。
そして筆者が特に注目していることは「双盤」の漢字と読みです。『筭用記』の「引そろはんのこえ」の用例から判断すれば、「双盤」は「そろばん」と読むのでしょう。しかし不幸にして『筭用記』に「そろばん」の漢字はありません。では『割筭書』はどうかと問えば、著者の毛利は序文にあって「引筭馬」とする漢字を使っていました。これも『筭用記』の例に倣えば「引そろばん」と読むことになるのでしょうが、筆者が参照した『割筭書』には読み仮名が付いていませんでした[9]。また別本の『筭用記』では「ひきさんば」と書かれていると指摘されますので、両様で読んでいた可能性も否定できません[10]。その一方で古本『節用集』は「双盤」と書いているのですが、このことは中国の算術書が「そろばん」を「算盤」と漢字表記していたことに関係していると筆者は考えています。「双盤」は素直に読めば「そうばん」でしょう。双盤を中国語の拼音(ピンイン)で書きますと「shuāng pán」となり、算盤のそれは「suàn pán」になりますから、これを「そうぱん」と聞き取り、珠算の珠が並んだ様子を視覚的に訴える「双盤」と書いたのではないでしょうか。因みに「双」には「ふたつ」「一対」の他に「並ぶ」「並べる」の語釈があります。いずれにしてもわが国で漢字の「算盤」「十露盤」が定着する以前、しかも16世紀の後半にあって古本『節用集』のような「双盤」、さらには『割筭書』のような「筭馬」の当て字が使われていたことは面白いと思われます。なお、「筭馬」のピンインは「suàn mǎ」ですから、これが「そろばん」に通じるためには「馬」を「ば」と読み、「さんば(ん)」としたのではないでしょうか。承知のように「馬」には「駒」の意味がありますから、算盤の珠を「駒」に見立てていたのかも知れません。
冒頭で、12月5日から開催された国際会議のことに触れましたが、筆者は以上のような内容をA Table of Division and Some Arithmetic Terms Appearing in the Japanese Dictionary the Setsuyō-shū compiled in the Latter Half of the 16th Centuryと題して発表したのでした。勿論、概要だけでしたが、終了後1週間ほどの時間を経て斯様な校として纏めてみました。識者のご批判を期待いたします。
次回は、今回の報告に関連して『日葡辞書』に見える算術用語を紹介してみたいと思っています。
[1] https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532120
[2] http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y05/html/176/
[3] https://rmda.kulib.kyotou.ac.jp/item/rb00013248#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh
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[5] 郭書春『九章算術新校』、中国科学技術大学出版、2014、pp.22-23.
[6] 佐藤健一校注『算用記』(龍谷大学所蔵)、江戸初期和算選書第1巻2、1990年、研成社。
[7] 山﨑與右衛門著『塵劫記の研究 図録編』、昭和52年、森北出版、p.18あるいはp.89。
[8] 西田知己校注『割算書』(東北大学蔵)、 江戸初期和算選書第2巻1、1991年、研成社。
[9] 東北大学附属図書館蔵:請求番号林文庫1、藤原文庫3538、岡本刊001、藤原集書018.
[10] 前出:西田知己校注『割算書』、p.39.