和算入門補遺(6)


202012月に執筆した「和算入門補遺(5) -古本『節用集』に見える算術用語」から3年の歳月が流れました。読者の皆さんにはお変わりないでしょうか。この間コロナウイルスの感染拡大にともなって、日常生活が大いに制限され不自由を余儀なくされてきました。研究活動も同様に多くの制約を受けましたが、その一方でインターネットを使って遠隔操作による国内外の会議が開催できるようになるなど新たなツールも開発され、活動の幅が拡がったことは負の側面からの収穫であったともいえます。今後この方面の活用は一層顕著になるでしょうが、研究も人と人との関係で進んでいきますから、やはり対面がいいと常々感じています。

さて、私事ですが、この3年間は上野謙爾・小川束・佐藤賢一先生と『関孝和全集』(岩波書店、全3巻、202310月刊行)の編集に没頭していました。これまで関孝和の生涯と数学的業績については平山諦先生らによる『関孝和全集』(大阪教育図書、1974)を参考にして語られてきましたが、平山先生らの全集には史料の扱い方に多くの問題があって、この全集が斯界に与えた学問的恩恵の大きさとは裏腹に、結果として関の生涯や業績が正しく伝えられていないことになっていました。新たな全集は4000頁を越える大部な著作ですが、史料の徹底的校合と批判的検討を通じて、現時点における分かる限りの関孝和の姿を読者に提示できたと自負しています。是非手にとってご覧戴きたいと思っております。

 

1.『日葡辞書』に見える算術用語

 「和算入門補遺(5)」では室町時代末期の国語辞典といえる『節用集』を取り上げ、そこに表れる算術用語を紹介しました。そしてこの時代の日本語を調べる上で、イエズス会宣教師がキリスト教布教のための一手段として編纂・刊行した日葡辞書が重要であるとも暗示していました。そのような『日葡辞書』が刊行された頃、日本語の意味と用例を精しく解説した宣教師ロドリゲスによる『日本大文典』も刊行されました。ここにも日本語の数詞の用例と算術用語が載っていますので、併せて紹介してみようと思います。

まず『日葡辞書』を取り上げますが、これの原題はVOCABVLARIO DA LINGOA DE IAPAM com a declaraҫão em Portugues (ポルトガル語の説明を付したる日本語辞書)とします。日本のイエズス会が慶長8(1603)から慶長9年にかけて長崎のコレジオにおいて刊行した辞書ですが、表題の「日」とは日本、「葡」はポルトガルであることはいうまでもありません。16世紀後半の日本は戦国時代の末期にあたりますが、世界史的には大航海時代にあたり、日本も世界貿易の中に取り込まれて外国との交易をおこなっていました。ことにポルトガルは主要な貿易相手国でした。そのような訪日ポルトガル人のために作成されたのが『日葡辞書』なのです。ですから、辞書では当時の日本で一般的に使われている日本語をポルトガル語で説明する編集方針を採用しています。ですから、これを調べればこの時代の日本語の発音と意味が理解できることになり、国語学や語学方面の研究からも重要な史料として位置付けられています。そのことは数学史研究からも看過できない史料といえることになりましょう。現在、『日葡辞書』は岩波書店から『邦訳日葡辞書』(土井忠生、森田武、長南実編訳、1980)として日本語訳が刊行されています。ポルトガル語がまったく分からない筆者にとっては大変便利な邦訳辞書ですから、以後はこの日本語訳本に沿って見ていくことにします。 

その『邦訳日葡辞書』は、文頭に日本語をローマ字で書き、これがどのような日本語にあたるのかを邦訳の編訳者らが片仮名書きで( )内に示し、続けてポルトガル語による説明が日本語訳されています。それら単語群の中から算術用語をアルファベット順に拾い出してみようと思います。

 

Cの項から算術用語が拾えます。まず、「Caqe」を見ますと「Caqe(カケ)」と「Caquru(カクル)」、「Caqeta(カケタ)」と併せて「掛ける。計算法の一種」とする説明が与えられ、これの用例として「Cucuuo caquru(ククヲカクル)」が挙げられています。これは確実に「九々を掛くる」と解釈できます。「九々を掛くる」の言い回しは現代人には違和感がありますが、九々を用いて掛け算をするという意味合いで用いているのでしょう。ついで「Caqezan」が出てきますが、「掛算すること」と説明されています。そして「九々」は「Cucu(クク)」として記し「計算表」とする説明が与えられています。Fの項では、「Fassan(ハッサン)」が出てきます。これの説明は「計算珠での割り算、Gisanの条を見よ」と指示されています。「計算珠」とはこの時代広く人々に使用されるようになっていたそろばん(算盤)を指しているのでしょう。事実、この辞書には「Soroban(ソロバン)」の単語が載せられていて「針金で貫き通した数珠のついた盤で、シナ人および日本人が計算するのに使うもの」とする説明が付けられています。波頭を越えて東洋の地にたどり着いた宣教師たちは中国人や日本人がそろばんを使って速算することに驚きを覚えたのでしょう。この頃の西洋では筆算による計算が専らでしたから、そろばんは驚異的な計算器具に見えたと思われます。

さて「Fassan」とはまさしく「八算」のことなのですが、ポルトガル語による説明では「計算珠での割り算」の外に「Gisanの条を見よ」となっていました。ではGisan(ヂサン)」はどのような意味なのかと調べてみると「→ CaqezanFassanFiqizan」の項を見よとなっています。これらは言うまでもなく「Caqezan」は「掛け算」、「Fassan」は「八算」、「Fiqizan」は「引き算」のことですから「Gisan」は四則計算の総称として用いられているように思えてきます。日本語では「置算」の漢字が当てはまると思われます。

四則計算に関係してのことですが、不思議なことに『日葡辞書』には足し算と割り算の単語が出てきません。どうしたことでしょう。足し算はTの項を調べても見当たりません。加減乗除という術語を考えると「加へる」も考えられますので、Cの項を見てみました。すると「Cuuauari, u, atta」すなわち「加はり、加はる、加はつた」の発音で「一緒になる、または、増加する、の意で、主に数のふえることを言う」とする説明がありました。しかし、依然として足し算の用語は表れません。念のため「Qua」の項を確認しましたがそれらしき言葉は見当たりません。ただし、Tの項には「Taxi, su, aita(タシ、ス、イタ)とあって、「数の欠けたのや、そのほか物の欠けたのなどを満たす、あるいは、補う」という説明がありました。例文として「Cazuuo tasu, 1, taita.(数を足す、または、足いた)数を補う、あるいは、満たす」が挙げられています。これが足し算を表す言い回しと思えますが、直接的な表現としての「足し算」は出てきません。

Qの項を見てみますと「Qesan(ケサン)」がありました。これを漢字で書けば計算になりますが、意味は「罫や線を引くために用いる定規」としてあります。『節用集』でも計算を「けさん」と読み、補注として「文鎮」と書かれていました。ことによれば文鎮の形状にも因りますが、これが罫線などを引く定規として使われていたのかも知れません。

Sの項の「San(サン)」では数詞の三が登場しますが、ここでは「算(サン)」に注目してみたいと思います。数詞の「三の」直後にSan(サン)」として「算」が出ています。そこでは「Cangayuru(かんがゆる)」という日本語が添えられた上で「数字の計算」とする説明が与えられます。また例文としてSanuo voqu(算を置く)」とした上で「勘定をする、あるいは、計算する」と記しています。微妙な説明ですね。「算を置く」ですから、ソロバンの珠を置く、あるいは算木を置くとする両様の解釈が可能となります。ですから「算」には計算を実行するという意味合いがあったことが分かります。そして二つ単語をあけて再び「San(サン):算」が登場します。ここでは説明は「籤引き用の小札を投じたり、計算をしたりするに使うある木片。本来はsãguiと言う」としています。この説明から「算」は占いに使う筮竹の意味と計算のための木片すなわち「本来はsãgui」とする算木の意味で使われているが分かります。算木はまさしく古代中国では誕生した赤黒(正負)の木片を利用する計算器具です。ですから、この時代にはそろばんによる計算と算木を用いた計算が普及していたといえることになります。そして算木の説明に加えた例文は戦国時代の一場面を描き出すかのような文章になっています。最初に「Sanuo midasu(算を乱す) この木片をばらばらにかきまぜる」とする慣用句と説明文が挙げられ、続けて「Xigaiua sanou chiraitagotokude atta, 1, Midaita gotocu, &c.(死骸は算を散らいた如くであった、または、乱いた如く、云々) 死体は算木を乱雑に打ち散らしたように散乱し入りまじっていた」と表しています。戦が止まない時代には山野に屍が累々と重なり、白骨が晒されていたのでしょう。それはまた赤黒の算木が乱れて算盤上に散らばっている様にも似ていたとも言えます。さらに「Sanuo voqu(算を置く)」の例文が登場して「ゼンチョ(gẽtios 異教徒)がするように、ある事を占うために算木を置く。または、計算をする」とあります。ここでも算は算木や筮竹の意味と併せて計算を実行する意味で用いられていることが分かります。

Sancan(サンカン)」の言葉も登場します。これは「算勘」のことでCangaye, cangayuru」と綴られ「計算をすること、または、勘定すること」とする説明が与えられています。例文は「Sancanni taxitaru fito」となっていますが、これは算勘に達したる人と読み、意味として「計算の術に巧みな人」の説明が付きます。この単語の直下に「Sancanja(サンカンジャ)」、すなわち算勘者のことも登場します。語釈は「計算の上手な人、または、すぐれた算術家」とありますので、この時代に計算の得意な算術家がいたことがわかります。具体的なことは分かりませんが、そろばんによる計算達者だったのでしょうか。さきに注意しておいたように割り算のことが出てきていませんから加減乗除の「除」すなわち割り算を除く計算の達人だったかも知れません。もっとも割り算のことは後述する『日本大文典』に出てきますから,割り算を含めた計算達者であったともいえます。

さらに「Sangui(サンギ)」すなわち「算木」の説明もありました。「籤・占い、または、計算用に使う木片、数取札」としています。語釈の最後にある「数取札」は「san()」の説明にあった「籤引き用の小札」のことでしょうか。また、「Sansu(サンス)」の用語も登場します。これは算数のことのようで、語釈に「Cangaye, cazoyuru(かんがへ、数ゆる)」の綴りに続けて「計算すること、勘定すること」とする説明が与えられています。「Sanvoqi(サンヲキ)」とする単語も出てきます。これは「算置き」のようですが、意味は「算木を置いて、それによって物事を占う人」となっています。この場合は占いに主眼がありますので算木の意味は筮竹になりましょう。ついで「Sanyô(サンヨウ)」が出てきます。これの漢字は「算用」になります。意味は「Cangaye mochijru(かんがへ用ゐる)計算」ですから、この頃の日本では日常の計算を意味する用語として「算用」が流布していたと考えていいようです。江戸時代初頭に『算用記』と題する算術書が出版されてますから、書名の「算用」は日用計算を表象しているように思えてきます。なお、「算置」や「算用」のことは「和算入門補遺(5)」でも触れておきました。参照して下さい。

Vの項を見ますと「Vari, u, atta」が出てきます。これは「割り(Vari) 、割る(Varu) 、割つた(Vatta) 」のことですが、例文は「Givariuo suru, 1, giuo varu(地割をする、または、地を割る)」とあって「土地を測量して区画する」意味で用いられるだけで、ここにも割り算の用例は出現していません。

 

2.『日本大文典』に見える算術用語

 慶長9(1604)から同13(1608)までの5年をかけて、ポルトガル生まれの宣教師ジョアン・ロドリゲス(João Rodrigues1561?~1633)はが長崎のコレジオ(Nangafaqui no Collegio de Iapão)から『日本大文典』(Arte da Lingoa de Iapam)を刊行しています。ロドリゲスは10代で日本に来て、そののちにイエズス会に入会したようですが、日本語が流暢で「通事」(Tçuzu)として通訳に携わるだけでなく、日本イエズス会の会計責任者 (プロクラドール)として生糸の貿易などにも深く関与していたようです。そのような宣教師が日本語の文法と語法を説明した書籍が『日本大文典』なのです。原文が古いポルトガル語で書かれていることはいうまでもありません。ただ幸いなことはこれの邦訳として『日本大文典』(土井忠生訳註、1955年、三省堂)が出版されていることです。本小論もこれに導きられながら宣教師ロドリゲスが関心を寄せた数学用語を追いかけてみたいと思います。

 数学用語に関わる記述は『日本大文典』3巻にあって、「この国語の大部分に関係するいろいろな数へ方についての論」と題して論じられています(同書、p.750)。そしてそれら数の「数へ方」の大要を、第1章では「数名詞のいろいろな語彙とその用法及び構成」、第2章では「数量に関するいろいろな種類の数へ方、語彙、九々の表による計算の言ひ方」、第3章では「銀貨、金貨、またわれわれがcaixasと呼んでゐる銅貨のいろいろな貨幣の用法と価値」、第4章では「物を数へ上げるのに、いろいろ特殊な言ひ方」、第5章では「時刻・日・月・年代・時代または時刻と年とに相当する動物名」に分けて取り扱うといっています。これらすべての章の説明は大変面白く思えるのですが、この小論では第2章の記述を中心に紹介します。嘗て第2章の算術用語は和算史の泰斗平山諦先生も注目し議論をしたことがありますが、残念なことに扱われた用語は僅かにとどまりました。本稿ではもう少し関心の幅を広げて見ていくことにします。

 さて、第2章に相当する節の本文は「日本の計算法の種類の名、その他計算に使はれる名称、日本式の数表について」の見出しが付いています(p.770)。以下この節に登場する算術用語を紹介したいのですが、著作権侵害の恐れもあって、どこまで引用が許されるのか判断が付きません。故に『日葡萄辞書』で取り上げられていた用語は繰り返さないことにして、特筆できる語句をピックアップして見ようと思います。

 この節の冒頭「○日本人の使ふ計算法の種類は四つの普通のものがある」と指摘して、「1.置算(Gisan)、又は、置く算。加算」、2.引き算、又は、引き算盤 (fiqui soroban)、「3.掛け算」、「4.八算、又は、割り算(Varizan)九までの一つの数による割り算Najina(なじな)」、「5見一無頭算(Quenichi mutôzan)大数による割り算Najina(なじな)」が取り上げられています。ここで「Najina(なじな)」という聞き慣れない言葉が出てきますが、これは名称とか呼び名の意味と思えます。このようにして『日本大文典』を紐解いてみますと、足し算の意味での「加算」が、そして「八算」すなわち「割り算」が「九までの一つの数による割り算」として説明されていますから、当時の日本に「割り算」と称する用語があったことを承知しました。ただ、『日葡辞典』がなぜ「割り算」の用語を採録しなかったのか、その理由は究明できません。そして、割り算に関連して興味を引く言葉が「5. 」でいう「見一無頭算」です。「4. 」の説明にあるように「八算」は1桁の割算を指す用語として使われ、2桁以上の割算は「見一」または「見一無頭算」(元和8年刊行の毛利重能の『割算書』(東北大学付属図書館岡本文庫蔵:岡本刊001)では「見一無當作九一」と記す)と呼ばれていましたから、「大数による割り算」とする説明は納得できます。これらのことは毛利重能が刊行した『割算書』(1622年刊)を読むと明らかになるのですが、この時代の人たちも2桁以上の割り算を難なくこなしていたと想像することが可能になります。ただし、それは計算達者の「算勘者」の世界に限られた話かも知れません。いまそのことを実証する文献史料を提示することはできませんが、会計責任者を務めるロドリゲスが「見一無頭算」を「大数による割り算」と承知していたことは、ある意味当然のことといえます。

 ただ少し不思議なことがあります。それは「2.」の「引き算」の項で「引き算盤 (fiqui soroban)」とする説明を加えていることです。筆者は「和算入門補遺(5)」において京都大学付属図書館が収蔵する『節用集』のなかから「八算之表」と「引双盤之詞」と称する「割声」を紹介しましたが、「双盤」は「そろばん」の異称でしたから「引双盤」は「引き算盤」のことになり、除数が2桁となる割り算を指す用語と理解できることになります。これの「割声」の冒頭が「見一無頭算」あるいは「見一無當作」でしたから、そのような2桁の割り算を意味する「引き算盤」をなぜ「引き算」の項に置いたのか、その理由が分かりません。ことによれば編者のロドリゲスが「引く」の言葉に導かれて「引き算」と解釈したのかも知れません。

また、「6.商実法」において割り算の実と法の意味を説明しながら、「零(Rei)はゼロ」と指摘していることにも興味が引かれます。東アジアの数詞表現や算木式では零あるいは○は空位を表しているのですが、ここでは「ゼロ」と解釈されているのです。こうしたロドリゲスの「零はゼロ」とする解釈は今後の検討を要する課題になりましょう。また、この「商実法」の項には「算」「算勘」「算用 計算の意」「算勘者 計算する人」「算盤 計算する道具」「Quizan(木算) 計算に使ふ木の算取」などの用語も出現していますが、これらの意味は『日葡辞典』とほとんど同じですから、取り上げることは差し控えます。ただ、この項の最後に表れる「Quizan」に「木算」の用字があてられるのですが、これはいわゆる「算木」のこととも思われます。しかれば、室町時代には「算木」を「木算」と呼ぶ人々もいたと思えます。

 また「○次のやうな言ひ方をする」の項では「Sanuo voqu(算を置く)は合計する、又は、計算すること」と説明があります。また「Varizan, l,fassanni suru(割算、又は、八算にする)は数をわること」ともあります。これらはすでに触れた通りです。さらに分数の呼称も書かれいます。例えば、1/21/3などはNibuichi(二分一) Sambuichi(三分一)と記しています。現在では「二分の一」、「三分の一」などと分数式のバーに相当するところを「の」と呼んでいますが、16世紀末ころの人々はストレートに読んでいた可能性があります。面白いですね。これら数詞の説明に続けて九々の表が載っていますが省略することにします。

 

3.むすび

16世紀のわが国における数学史料は皆無に近いのですが、『日葡辞典』や『日本大文典』はイエズス会宣教師が残してくれた文献遺産として近世直前の日本人の数的知識を想像する重要な手掛かりになっています。前稿の「和算入門補遺(5)」では国語辞典の『節用集』に載る算術用語に焦点をあてましたが、この小論を通じて日本の室町時代末期、すなわち大航海時代の東西文化交流全盛期におけるイエズス会宣教師の果たした役割に目を向けました。いずれにしても多角的な視点から近世直前の日本数学史の実相が解明されることを期待する次第です。来る2024年が皆さんにとって良い年になりますように!

(20231210日 前橋工科大学名誉教授 小林龍彦)