随岸坊(ずいがんぼう)遺跡

随岸坊は唐沢城を落とすために、上杉謙信の命により唐沢城へやってきますが、目的を達することができないまま謙信が死に、更にその後は跡目相続争いが越後で起こり、ふるさとへ帰ることができずに、三床山の山中に庵を建ててひっそりと余生を送ったと言われています。
随岸坊が暮らしていた場所
沢沿いの場所ですが、ここだけは平に整地されています。
その当時周りは雑木林だったと思いますから、現在よりもっと明るい谷間だったでしょう。
天保年間と刻印されていますので、後の村人が奉納したものだと思われます祠です。
当時の石垣がそのまま残っています。
随岸坊が暮らしていた場所の反対側の山の中腹にあります謎の洞窟
詳しいいきさつが解りましたら、追加記載します。
上杉謙信が亡くなるのが1578年ですから、随岸坊がここで暮らしたのは、それ以降の年代になると思いますが、運命のいたずらで他国で余生を過ごした一人の僧侶の言い伝えです。

このページの最終更新日は:2009/12/16