おそらくは「ゴーッ」という台風のような大風や地鳴りにも似た重低音が

響き渡り続けているだろうことは想像できるのだが、そんな中に20時間以上も

身を置いていると不思議なことに意識の中からその音が消え、まるで静寂の中に

いるようだった。

ただ乾燥した空気とほとんどリクライニングしない固い座り心地の椅子にシート

ベルトで縛り付けられているのだけはいかんともしがたかったが、それでも

日本を離れ異国で暮らすという経験が自分を待っていることを考えるとそんな

苦労は期待にとって代わり一つの苦痛も感じなかった。

おそらく安いチケットだからだろう。直行便であればアメリカあたりで一度給油

をしてそのままブラジルサンパウロまでまっしぐらに向かい26時間もあれば

ブラジルにつけるはずなのに、カナダのバンクーバーだのトロントだのに

寄り道し、その都度何もないトランジットルームに何時間も押し込められ、

ようやくブラジルの地が見えてきたときには日本を出発してから優に30時間

以上が経っていた。

飛行機はだんだんと高度を下げ、町の様子や走っている車などがハッキリ見える。

滑走路に向かいランディングの体制を取ると、空港で働く車両や建物などが

さらによく見える。現地で向かう先はみな別々になるが、一緒にブラジルに

向かった仲間たちはそれぞれ満面の笑みをたたえ到着を喜んでいる。

飛行機の車輪がドスンとブラジルの地に降り立ち、逆噴射のブレーキングで

体がシートベルトに締め付けられると俺も表向きは「イェーイ!」などと一緒に

なって喜んでいる風を装っていたが、ここまで来る途中のやる気に満ちた気持ち

とは異なり、今の心はどんよりと重いものだった。理由は簡単。到着した

ブラジルサンパウロにあるグアルーリョス空港。俺が目にした初めてのブラジルは

全くかっこよく見えなかったのだ。

未舗装のところが多く、そこから覗く赤茶けた土。アメリカの空港でイメージ

するGMCやフォードのかっこいいトラックと正反対、むしろ日本のトラック

よりダサいスカニアやワーゲンのトラックや空港車両。それを操る労働者は

まるでアメリカの重警備刑務所に収監されているヒスパニック系の囚人のような

連中ばかり。着ているユニフォームもアメリカのスタイリッシュなそれと

大きく異なりかっこいいものではないので、本当にだんだんと刑務所の作業服に

見えてくる。

建物などの構造物は洗練されていないという言い方はまだ優しい方で、率直に

言うと「貧乏ったらしくてダサい」のだ。どれもこれも俺が思い描いていた

ものとはまるで違う。

俺がそんな風に思うのは、やはり俺がブラジルに来た動機が不純だからだろう。

一緒にブラジルに来た仲間はそれぞれ「カポエラを学びたい」「生のボサノバに

触れたい」「ポルトガル語を学びたい」等それぞれ目標をもってブラジルに

来ているし、ブラジルというものを理解している。しかし俺がブラジルを

目指した動機はそんなものとは程遠いものだった。

そのころ海外留学がはやっており、みんなこぞってアメリカに行っていた。

帰ってきた連中はどいつもこいつもろくに英語も喋れないクセにアメリカに

かぶれ、鼻持ちならないチャラ男なって帰ってくる連中ばかり。1年以上住んで

いるのならまだしも、1か月程度の短期留学で人生観が変わったといいアメリカ

を語るバカまでいる始末。

ロックやアメ車等、アメリカンカルチャーが好きで、あこがれの対象だった

アメリカ。

だがアメリカにかぶれた馬鹿どもを見ていると同じアメリカに留学すると

いうのが何だか二番煎じのようで悔しかったし、あんな馬鹿どもと同じには

なりたくないという意地もあった。

アメリカに留学したいとは思っていたのだがその気持ちが思い切り揺らぐ。

とはいえやはり奴らが(海外で遊んできた連中が)羨ましかったのだろう。

海外留学はしてみたい。アメリカ以外を考えるとなるとどこだろう?だが

海外のことなど分かるはずがない。一つ言えるのは「アメリカ位でっかい国が

いい」という事。これだけははっきりしている。アメリカンカルチャーを

アメリカで感じることをあきらめた今、日本より数倍でかい国を経験する

というのは譲れない条件なのだ。でかい国はどこだろう。

ざっと考えると「中国」「ロシア」「インド」「オーストラリア」

「ニュージーランド」「ブラジル」「カナダ」などが思い当たった。

ロシアと中国は共産圏だから嫌だ。というよりもちっともかっこよくない

じゃないか。

そうなるとインドも無理。オーストラリア、ニュージーランド、カナダ

あたりはいいかもしれないが留学先としてはアメリカに行くのとそれほど

変わらぬインパクトしか与えられないから却下。

じゃ、ブラジル!これが動機だ。

今考えてみるとそんな不純な動機の俺が研修に合格し、本当にボサノバの習得

などを夢見て研修に応募し不合格となってしまった人などがいるかと思うと

申し訳なさで顔を上げることが出来ないほどだ。だが当時はそんな気持ちは

みじんもなく、実際に自分の目に写ったブラジルがただただ「思った以上に

ダサい」ことに絶望するばかりだった。

満面の笑みをたたえ、スチュワーデスに大げさに感謝の意を表し飛行機を

降りる仲間に続いて、ひきつった笑いを顔面に張り付け生気のない瞳の

おれも飛行機を後にする。

一度みんなで広場に集まり今後のスケジュール、次の集合場所、細かい注意

事項などを聞いた上それぞれイミグレーションを通って出口の外で改めて待ち

合わせをすることになった。

イミグレーションで俺を担当したのは浅黒い肌の比較的若い男性の係官。

彼は俺に向かって何か言っていたが、俺には彼が何を言っているのかさっぱり

分からない。この時俺が知っていたポルトガル語は「オブリガード

(ありがとう)」「ボンジ―ア(おはよう)」「イスタジアリオ(留学生)」

「エウソージャポネース(私は日本人です)」だけ。

なのでまずは「ボンジ―ア」と言って近づき「エウソーイスタジアリオ」

「エウソージャポネース」を繰り返す作戦だ。係官の彼は身振りを交えて

何かを聞いてくれているがとにかく「イスタジアリオ!」「ジャポネ―ス」を

繰り返していたら呆れた顔をして「バンッ、バンッ、バンッ」とパスポートに

いくつかハンコを押して渡してくれた。

パスポートを受け取り必殺の「オブリガード!」と言ってイミグレーションを

通過する。

普通はこの後自分の荷物をピックアップして外に出られるのだが、ブラジルの

場合はここからまた一山ある。荷物をピックして出口に向かう途中、赤と青の

レンズが付いた信号が待ち構えているのだ。この信号はアットランダムに赤と

青を繰り返す。

赤、青、赤、青、と規則的に点灯していたかと思うと赤、赤、赤、青、赤、

青、赤、赤のように全く規則性なく点灯したりする。でまぁ、青なら何事も

なくそのまま外へ。

しかし赤だと徹底的に荷物をチェックされるのだ。見ていると信号が赤に

なるのはどうも見た感じ怪しい人ばかりな気がしてくる。

どっからブラジルにやってきたのか知らないがサーファーのようにもじゃ

もじゃの長い髪を後ろで束ねサンダルに短パンにTシャツというやたらと

軽装な男とか、顔中にピアスのとげとげが付いた女とか・・・。これはもしや

アットランダムについているように見えて、実は裏で係官が操作してんじゃ

なかろうかといぶかりもするというものだ。俺は若干の長髪に革のショット

ライダースジャケット。

トライアンフのでっかいバックルが付いたベルトにGパン。足元はレッド

ウイングのエンジニアブーツだ。まぁ、あやしいっちゃぁ怪しいがそれほど

でもない・・・と思いたいところだが、真冬の日本を飛び立って地球の裏側

ブラジルは灼熱の太陽注ぐ夏真っ盛り。

むしろ俺よりも、怪しいと思ったサーファー野郎のほうが正解のいでたちだ。

果たしてどうなるか。俺の前は気のよさそうなおばあさん。そして俺だ。

どう考えてもおばあさんが無事通過して俺が引っかかるだろうなと思って

いたのだが、おばあさんは赤信号。そしてさんさんと照り付ける太陽で

35度を超えた外気の中にショットのライダースにブーツという完全武装で

出ていこうとしている俺が青信号。こりゃ本当にアットランダム、公平

なんだろうなと思った次第。

外の集合場所につくと俺より先にイミグレーションを通ったはずなのにまだ

来てないやつらがいる。どうやら赤信号で引っかかってしまった連中のようだ。

あとで話に聞いたところによると、カバンの中に入っているものは全部出され

徹底的に調べられたうえ、着ているものも脱がされて、ポケットの中やら

すべてチェックされたらしい。とりあえずは禁制品などで引っかかった連中は

一人もいなかったようだがかなりの時間待たされた。

研修生は今日明日このサンパウロにとどまり簡単なレクチャーを受けてから、

それぞれの研修先に向かって旅断つ予定だ。

サンパウロでの宿泊先はリベルダージと呼ばれる日系人外にある3つ星との

評価も

誇らしい日系のホテル。そこまではバスで移動することになっている。

バスはまぁどこの

国に行っても同じようなものだ(後でそうじゃないと思い知らされるのだが)。

とっくの昔にライダースは脱いでいるが、それでも汗が止まらない。

バスの中はエアコンで冷やされていたのがありがたかった。

アルーリョス空港からリベルダージに向かう途中の景色を眺めながらさらに

俺の気持ちは落ち込んでいった。道はあちこち荒れており、そこに走る車は

フォルクスワーゲンのビートル(ブラジルでは「フスカ」と呼ばれる)が

ほとんど。それ以外の車はフィアットウーノとか、ワーゲンゴルフとか、

日本で言うシャレードやスターレットみたいな小さな車ばかり。

でっかい外人がでっかい車の窓を開け太い腕を出して悠々とハイウエイを

走るなどという絵面は期待できそうにない。

根本的に当時の俺は「日本」か「外国」という概念しか無く、ブラジルなんて

「アメリカ国のブラジル県」ぐらいのイメージでいたのだ。

だから喋る言葉が違う位で景色や生活など似た様なモンだろうと思っていた

のである。改めてそんな野郎が何でこの研修に受かったのか理解に苦しむが、

後の先輩や関係者の方々の「お前は実験台だった」というお言葉を聞いて

妙に納得。がっくり来ている俺を乗せ、運転手が道中俺たちにガイドして

くれたのは3か所。一つ目。作りかけで資金が無くなり廃墟のような様相を

呈している大きなホテル。既に残骸と言っていいのかもしれない。

ちゃんと完成していれば豪華なホテルになったのだろう、エントランスに

植えられたヤシの木が余計うら寂しさを醸し出している。

二つ目。カランジル刑務所。今でこそ博物館として残された一ブロックを

除いて解体され「こども公園」などという聞こえの良いものになっているが、

1992年には囚人111名が死亡する暴動事件が起きている。因みに111人のうち

102名は警官により射殺されたもの、9人は囚人同士の喧嘩によって殺された

者だ。俺がブラジルについた時はまだそんな暴動は起きておらっず「比較的

平和な刑務所ですよ」などと紹介されたが、とんでもない話だ。

三つ目。ファベ―ラ(スラム街)。舗装されていない土地に板を張り合わせた

だけのようなバラックが立ちならんだその一角で、5歳ぐらいの子供たちが

泥をこねて遊んでいるのを見ているとき、運転手が「これが有名なブラジルの

ファベ―ラです。要するにスラム街です。今あなたがみていた子供たちはあと

10年もするとさっきの刑務所が自宅になります」と冗談とも本気ともつかない

事を言い出した。

この中に一つでも気持ちが明るくなる要素は含まれているだろうか?

俺にはどうしても見つけられない。バスがリベルダージに近づくと運転手は

最後にこういった。

「自分の荷物が降ろされたらすぐにそれを受け取ってホテルに入ってください。

荷物はその辺に放置するとすぐに盗まれます。また大きな荷物をもって

ぼーっとしていると強盗に狙われるので、外でたむろしないですぐにホテルに

入ってくださいね。」この時点でなんとなく悟ってはいたのだ。

でかくてかっこいいアメ車や、友達を呼んで開くバーベキューパーティー。

そこで飲食するでかい肉のステーキやハンバーガー、かっこいいクーラーに

入ったコカ・コーラ―、バドワイザーにひと落ち着きして飲むワイルド

ターキー。そんなものは夢と消えたこと。そんなものを期待するなら素直に

アメリカに行った奴をうらやましがり、そいつらの後を追ってアメリカに行く

べきだったこと。

ただどうしてもそれを認めるのは癪だった。そんな俺の葛藤をよそに、

ブラジルについて無邪気に喜んでいる仲間たちを見ていると意味もなく

苛立ち片っ端からぶっ飛ばしてやりたくなった。

部屋があてがわれ夕食の後レクチャーがあるが、それまで自由時間だと

いうので一人でふらりと外に出た。外に出る前にホテルで10ドル分だけ

ブラジルの通貨であるクルゼーロに両替した。このころブラジルは結構な

インフレで「明日には金の価値が変わっている」と言われたほど(実際には

それほどでもない)だったので、10ドルでも多いかと思ったが先立つものが

ないと始まらない。だいたい強盗に出会ってしまって渡すものが無ければ

死ぬしかないわけだから、何か命の代わりに差し出すものがあったほうがいい

という思いもあって10ドル両替したのだが、考えてみればそんな時は

クルゼーロよりもドルのほうがはるかに有利だっただろう。

だがそんなことに思いが

及ぶほどの余裕なんかないのだ。因みに1ドルは約125円、275クルゼーロ

だった。俺が手にしたクルゼーロは2750クルゼーロという事になる。

1
ドルは1ドル札一枚だが、日本円で125円と言えば、百円玉1枚に10円玉2枚、

5円玉一枚と少し量がかさむ。しかしクルゼーロの場合1クルゼーロから

お札なのだ。その下にセンターボ(アメリカで言うセント)コインがあるが、

日本の1円ほども価値がない。なので買い物をしてもセントのお釣りの時は

ガムや飴をくれたりするのだがそれはいいとして、とにかく1ドル両替すると

1クルゼーロ札の場合275枚換金されるのだ。かさむなんてもんじゃない。

10ドルも両替するととてもポケットに入らないぐらいの札束になる。

もちろん100クルゼーロ札もあるからそうはならないが、日常的には常に

札束を持ち歩くことになる。

日本にいる時は財布に札など1枚入っていればいいほうだったので「マネー

クリップ」というものの存在価値やら意味が分からなかった。

たった1枚の札をクリップで挟んでおくのにどんな意味があるのかと思って

いたのだが、ここにきて始めてマネークリップのありがたみというのが

分かった気がする。

ホテルから外に出ると、日本人街というだけあってインチキ臭い日本語の

看板なども目に入るが、どう考えてもその雰囲気は日本のそれとは大きく

違う。いうなれば混沌として危険だったころの歌舞伎町の更に裏道といった

緊張感の漂う雰囲気の外国版。

ただふらふらとこちらに向かって歩いてくるおっさんですら強盗に見える。

これは一人で

出てきたのは失敗かもしれないと思ったが、ホテルを出る時に仲間から

「一人で出歩くのは危ないよ」などと言われた時に「これからここで暮らす

んだからそんなこと言っていたって始まんないだろ!」と強がって出てきた

手前、すぐにおめおめと引き返すわけにはいかなかった。

どこかにスーパーや雑貨屋などがないだろうかと歩いていると、あちこちに

縁日のテキヤのようなものがあるのが目についた。近づいてみるとまさに

テキヤのそれのようにインチキ臭いカバンやらペンやら時計やらが売って

いて面白い。キオスクのようなものもあるので近づいてみるとまさにキオスク

のそれと同じでガムやちょっとした飲み物、雑誌などが売っている。

ふーんと思いながら通り過ぎようとすると雑誌コーナーの片隅にスッポンポン

の女が表紙になったB5ほどの小さな雑誌が売られている。手に取ってみる

とまぎれもないエロ本だ。しかも裏本!!

こでシナを作っている女の子はほっそりしているのにヒップはこんもりと

盛り上がりウエストの細さを強調している。胸は大きすぎず小さすぎず

かわいらしくもきれいな形でなんとも好みの感じだった。どう見ても旅行客

みたいな野郎がキオスクの前で必死の形相でエロ本に見入っている姿は

さぞ滑稽だっただろう。そんなことも気にせずしばらく内容を吟味して

「これを買おう」と決めた。だがどこにも値段が書いてない。

あきらめようかと思ったがせっかくだから一人で外出した戦利品として持ち

帰り、みんなに自慢もしたかった。だがポルトガル語が全く分からないので

いくらですかと聞くことが出来ない。仕方ないので少し金を渡して様子を

見ようと思い、275クルゼーロを差し出した。すると店主は金をひったくって

寂しそうに首を振るので「やばい!金だけとられた!!」と思ったら50

クルゼーロ返してきた。225クルゼーロって事か。

80円ぐらい。俺はうれしくなってそれを手に持ちホテルに引き上げて

いったのだが、おそらくブラジルについてから今までで最もいい笑顔をして

いたのがこの「エロ本を持ちながらスキップでホテルに帰る間」だったのじゃ

ないかと思う。

エロ本を持って帰った俺は一躍ヒーローとなったが、俺が一人で外に出て

簡単にエロ本を買ってきたことと、そのエロ本が安価で非常に質が高い事を

知ると次々とみんなエロ本を買いに出てあっという間に俺の偉業は過去のもの

となった。

大体これからここに暮らすのであるから今そんなものを買う必要は全くない。

浮かれているというのは酔っぱらっているのと同じぐらいあほな行動をとって

しまうものなのかもしれない。

がそれぞれ買ってきたエロ本を部屋で眺めつつそれに飽きると明後日から

それぞれ別々に向かう研修先のことについて思いを語り合った。

多くの研修生はここサンパウロで研修するのだが、数名が南方面、数名が

北方面に移動することになっている。

俺は南に向けて出発だ。サンパウロ組以外は全員飛行機で自分が行く町の

近くの空港まで移動。そこからまた改めて自分の研修先に向かうのだが、

取り敢えず南はポルトアレグレ、北はリオに向かいそこでまた数日間

レクチャーを受けるのだ。

北に向かうことになっている連中が楽しそうに北での生活を想像している

声を聴いていると、その声が楽し気であればあるほど俺の気持ちはイラついた。

俺ももともと研修先は北の「サルバドール」という港町を希望していたのだ。

サルバドールはブラジル北東部に位置する港湾都市で黒人の比率が多く温暖で、アマゾン

など以外でいかにも日本人がイメージするブラジルといった感じの都市だ。

ただ治安があまりよろしくない。とはいえ研修生には人気のある場所だったので第一希望

としていた。もしここがダメでも北の温暖な場所で、かつ大きな都市を希望していた

のだが、俺が派遣されることになったのはその正反対。南の雪が降るぐらい寒い地域で

人口は2万人足らずの小さな小さな田舎町。どうしてそうなったかをかいつまんで説明

すると、要するに研修中に喧嘩をしたのだ。ただし研修生とではない。

日本での研修は宿泊を伴って行われるのだが、時々先輩がレクチャーをしにきたり、

差し入れをしに来たりしてくれるのだ。そんな先輩と話し込んでいるうちに夜も更け、

先輩のたばこが無くなってしまった。「自分が買ってきます」と飛び出していった

のだが、研修を行っている場所があまりお上品な場所じゃないため俺が向かった

たばこの自動販売機の前にはしゃがみこんでジュースを飲みながら煙草を吸う同じ年

位のにーちゃんが3人ほどたむろしていた。引き返すのも癪に障るし「ちょっとすみま

せん」などといったところでなめられるだけだと思ったので「ちょっとごめんよ」といって

そいつらをまたぎ販売機に金を入れてボタンを押そうとした刹那、「何だコノヤロウ!」と

一人が怒声を上げ立ち上がろうとしたので立ち上がる前に1人をけり倒し、立ち上がった

ものの体制が整わないもう一人を殴り倒した。普通この状態だと相手がうろたえ買った煙草

を取って逃げるぐらいの余裕はあるはずだったのだが、最後の一人は喧嘩慣れしているのか

一度下がって体勢を立て直し躊躇なくこちらに向かってきた。そうなるともう戦う腹を

くくるしかない。問題は倒した二人が復活するまでにカタを付けないと面倒だという事だ。

こちらが優勢になった瞬間に先輩に持って帰るべきたばこのことなど考えず逃げれば

よかったのだが、このままだと「販売機の前にたむろする連中に恐れをなして煙草を買え

なかった」という事になってしまいそうでそれが悔しく、しっかりと煙草を回収できる状態に

なるまで戦ったためこちらも血だらけ、服はボロボロで宿に帰ったところで先輩たちに

大目玉を食らい「貴様は絶対に希望の研修先に行けると思うな」と明言された次第。

考えてみれば当然だし首にならなかっただけありがたかったのだが、ビキニの女の子が

たむろする常夏の海沿いの町と、ブラジルなのに雪が降るといわれている人口2万人の山村。

この違いはブラジルに行くという意味すらどうでもよくなるほどのインパクトだったのだろう。

実際のところは自分では「落ち込んでいる」とか「気持ちが暗くなる」という認識があった

わけではないのだが、楽しいはずなのにみんなと一緒に喜べなかったり笑えなかったりと、

晴れやかな気分に浸れなかったのだ。


そんなもやもやした気分のまま、サンパウロでの研修を終え、俺は南方面に

行く仲間と空港へ向かった。


次章 南へ・・・・・・。





無知無能無計画で空の人