新しい巣とインチキ死闘

トランクを自分にあてがってもらった部屋に放り込むと、すぐにバージョイに向かい店のベスト

を着込む。まだ客はいないがスタッフのビュマールが玉ねぎを切ったりして仕込みをしていた。

ビュマールは俺に目を留めると床とテーブルを掃除してテーブルにクロスをかけてくれという

のでさっさとそれを済ませる。ビュマールが切っている玉ねぎはピザやビッフィセイボラーダ

というトマトソースで煮込んだ肉料理に使うものだが、2秒に1枚ぐらいのゆっくりしたペース

で涙を流しながら切っているので代わってやると、あまりにナイフが切れないので砥石を

借りて研ぎなおし一気にスライスを作り上げると喜び半分尊敬半分で大絶賛してくれた。

普段は平日でもそれなりに客は入るのだが、その日は8時を過ぎても誰も来ない。

程なくオーナーのジョイが入ってきて「誰もいないのか」とつぶやくと「ホレ」と言って俺と

ビュマールにコップを渡してくれ、瓶ビールの栓を開けて注いでくれた。これはジョイのおごり。

因みに俺のバイト代は平日夕方7時から12時(と言いつつ客がいれば何時まででも)くらい

までで13ドル。そう書くと安く感じるが、俺の部屋代は月に7ドル。研修でもらう3最低

給料は200ドル弱。1ドルで瓶ビールが2本のめ、3ドルあるとビール2本とステーキと

スコッチ数杯楽しめる事を考えると悪くはない。酔って仕事が出来なくなりさえしなければ、

店の酒は飲んでもよいが、飲んだ分は自分のチェックシートにチェックして後でバイト代から

清算する仕組みだ。客がおごってくれるのは逆にポイントになる。客におごって貰った分は

ポイントになると書いたが、別に給料が増えるわけではなく、自分が勝手に飲んだり食べたり

した分が減額されていく。なので「ニコ、一杯おごるよ!」とか言ってもらったときは「おい、

ジョイ!一杯おごってもらったよ!」などとわかるように言ってグラスを掲げると、ジョイが

それをチェックしていてくれるのだ。どのぐらいおごって貰うとどれぐらいのポイントになるのか

その辺はさっぱり分からなかったけど、もしかしてジョイの胸先三寸だったのかも知れない。

最初お客さんがいないときによく自分のチェックシートにチェックをしてからビールを冷蔵庫

から出して飲んでいたが、だんだんなじみが出来てお客さんにおごってもらうようになると

自分のポイントを減らすまでもなくお酒を飲めるだけでなく逆にポイントもたまってしまう。

自分のビールポイントがたまってくると、よくご馳走してくれる人などに「これは店のおごりね」

などと言ってビールを出してやると気をよくしてまたおごってくれるといういい循環に入る

のだ。大事なのは「俺のおごり」などと言わずに「店のおごり」という事だ。本当はそういうのは

許されないらしいのだが「店の」と言っていたのでジョイは大目に見てくれていたらしい。

半年もすると町で俺のことを知らないものはいないほどになっていた。そもそも東洋人一人

しかいないのだ。別に俺が何か特別に人気があるという訳ではないのだが、なんとなく店の

顔のようになりつつあった。

もう一つ俺が有名になるきっかけを作った出来事を紹介しておこう。バージョイはなんと

言っても酒を提供する飲み屋だ。酔っぱらって騒ぎを起こす奴も出てくる。そんなこともあって

ジョイは俺を守るために「ニコは拳法の達人だからちょっかい出さないほうがいいぞ」と

ことあるごとに言って客をけん制してくれていた。だけど俺はそんなのは逆効果だというのを

知っていた。腕に覚えのあるやつというのは「あいつは強い」と言われる奴に勝負を挑み

たくなるものなのだ。だから俺はジョイにそう伝え、俺が強いとかそういうテキトーなことは

言わないでくれと頼んでいた。ジョイは俺が本当にいろいろな格闘技をたしなんでいること

など全く知らない。軽く「なんかあったら俺が何とかするよ」とスルー。「店の外で襲われ

たら助けてもらえないだろ!」と食い下がったのだが、「この町にはそんな奴いないから心配

しないでいいよ」と言って笑うだけだった。因みにジョイは身長198p、というより2m弱と

いったほうが分かりやすい大男で、ケンかもめっぽう強い。だからバージョイの中で騒ぎが

起きてもジョイが出ていくとすぐに騒ぎは収まる。収まらなくてもジョイが「外でやれ!」と

店の外につまみ出してしまい、一度つまみ出されててしまうとその日は二度と入れてもらえ

ないので店で喧嘩などをして騒ぐ奴は殆どいない。

そんなある日、来るべき時が来てしまった。いつも店の中ではあまり騒がないが酔っぱらって

くるとすぐに人にちょっかいを出して「文句あるなら表でケンカしようぜ」みたいなことを言い

だすイヴァニオという男が酔っぱらって俺に絡んできた。客にビールを届けに行って

カウンターに戻る俺に「お前強いんだってな。ちょっと相手してくれよ。表に出ろよ」と言い

出したのだ。ビュマールがそれを見てすぐにジョイを呼びに行ったが、俺は「今仕事中だから

勝手に外に出るわけにはいかないよ。」と言ってかわそうとしたが「腰抜けか?」と絡み

ついてくる。さんざんジョイが他の連中にこいつは拳法の達人だなどと言ってしまった手前、

万一本当は弱っちい腰抜けだなどと思われたらなめられまくってしまう。仕方がないので、

「俺は仕事中だから勝手に外には出られない。だからここでやろう。迷惑をかけるといけない

から少し机を片付けよう」といって手前のテーブル席に座っている人にカウンターや奥の席に

移ってもらいテーブルと椅子をずらして少し広いスペースを作った。客の半分は「ニコ、

やめとけよ」と言い、もう半分は「やれ!やれ!」と煽り立ててくる。そうこうしているうちに

ジョイがすっ飛んできた。ジョイはイヴァニオに向かって何か早口でまくしたて止めようとしたが

俺はジョイの目を見て「たぶん大丈夫。喧嘩をする訳じゃない。もしジョイがやばいと思ったら

その時はすぐに止めてくれ」と頼んだ。ジョイは渋々後ろに下がった。

本当だったら絶対に許さなかったであろうこの見せ物をジョイが許したと言うことは、ジョイも

ちょっと興味があったのだろう。それにいざとなったら自分が止めるつもりでいたはずだ。

決して俺を信用して許した訳じゃないだろう。大体イヴァニオと俺の体格差。

170p70キロの俺に対して奴は185p130キロといったところだ。普通に喧嘩をしたところで

当たり前に考えればよほど力量に差がなければ埋まらない体格差だ。殴り合いなら結果は

見えている。だからもしどちらかのパンチが中ったら止めるつもりだったのかも知れない。

だかこれは喧嘩じゃない。店の中を選んだのは俺に考えがあってのことだ。

テーブルをどけてできたスペースの真ん中あたりに進み出てイヴァニオを呼び「思いきり

俺の胸ぐらをつかんで引き倒してみて」といった。警戒はしているけれど俺ぐらい力で押さえ

つけられるという自信満々でイヴァニオは俺の胸ぐらをつかんで引き倒そうとしてきた。

その瞬間胸ぐらをつかませるかどうかのところで半身に切り、手のひらをつかんで思い切り

小手返しの容量で投げ飛ばした。もしいきなりつかみかかられたらとてもそんなことぐらい

で振り切れないだろう。だがこっちがつかみかかる場所を指定して何をするかまで指示を

しているのだ、よけられないはずがない。おまけに酔っぱらってふらふらしてイヴァニオの

腕をとることなど誰にでもできる。イヴァニオはもんどりうって派手に倒れた。しばらく手を

放さず締め上げいたのだが、その間はイヴァニオは動くことも起き上がることもできない。

ゆっくり手を離すと自由になったイヴァニオはよろよろと立ち上がり両手を上げて俺を

捕まえようとこちらに向かってきた。目は羞恥と怒りに燃えている。

だが所詮酔っぱらって足元もおぼついていないのだ。前かがみになって手を出してくるなど

まるで「投げてください」と言っているようなものだ。というよりも「練習で投げさせる」体制だ。

足技で倒そうかと思ったのだが「投げる」方がインパクトがあるし効果的だとおもったので

そのままシャツをつかんで引き手を取り、懐に入って一本背負いの要領で思い切り投げた。

これ以上長引かせると問題が起きると思い、すぐに倒れたイヴァニオの首に手を回し

スリーパーホールドの状態で締めあげる。結構本気で締めあげた。イヴァニオは呻きながら

必死で俺の腕を振りほどこうとするが酔っているうえに息もできないので力などはいらない

から振りほどくことが出来ない。ジョイが焦って止めたのはイヴァニオじゃなく俺だった。

海外には日本にはいまだに侍がいると信じている奴が結構いて、「日本人は武道の達人」

だと思っている輩も多い。特に日本からブラジルのこんな片田舎だ。日本の女は芸者男は侍

だと思っているような奴もいる。そう思っている奴のパターンは大きく分けて2つ。

空手だろうが何だろうがそんなことには興味が無く自分が一番強いと思っているタイプで

いきなり喧嘩をふっかけたり不意打ちでも何でもして倒しにかかってくるタイプと、自分の

強さに自信はあるけれど、武道というのは本当に強いと思いこんでおり、また日本人など

東洋人は全員武道をやっていて、小柄な人でも大男に勝てると半分信じているタイプ。

前者は町でケンカなどを吹っ掛ける事などより強盗や殺人などに忙しい本当のギャング等に

多く、後者はイヴァニオみたいな「ちょっと腕に自信のある厄介な町のバカ」に多い。

さっきも書いたが普通に喧嘩したらイヴァニオに勝てる自信などない。だが空手でも柔道でも

「デモンストレーション」であれば、極端なことを言えばその経験がない人であってもできる。

実際の喧嘩で「君、ここをつかんでくれ」などと言ってその通りにするバカはいない。

だが相手が拳法の達人かもしれないと思ってその力量を推し量ろうなどという腰の引けた

考えをする奴というのは「ここをつかんでみろ」などという挑発にまんまと乗ってしまうのだ。

「なんで俺がお前の言う通りのところをつかんでやらなくちゃいけないんだ。お前から

仕掛けてきてみろ」などと言われれば厄介だったが、イヴァニオは見事にこちらの術中に

はまってくれた。しかも大いに効果的なタイミングと方法と場所で。

もっと沢山お客さんがいたら、イヴァニオが酔って無くてしらふだったら、もしジョイが不在

だったら、或いは外で待ちかまえられていきなり喧嘩をふっかけれれていたらとても

こうはいかなかったし、本当に自分のみを守るので精一杯でこんな下らない見せ物を

やる余裕など無かっただろう。しかしお客が少なく店内でデモンストレーションが出来た

こと、イヴァニオが酔っぱらっていてしらふじゃ無かったこと、何よりジョイがいて「もし

何かあっても止めてくれる人がいる」こと。こんなタイミングはない。もっと言えばそこそこ

お客がいたために「証人」も出来る。おそらく楽しみなど無いこんな小さな田舎町だ、

ジョイが仕込んでいたこともあって俺のデモンストレーションが成立すれば必ず噂に

なるだろう事も分かっていた。

本当は小手返しで倒しておいて手を固めて動けない状態でジョイに止めてもらおうと思って

いたのだが、イヴァニオが思った以上によってフラフラだったこと、いつも態度が悪くて

ちょっと気に入らなかったこと(俺のことをいつまでも名前で呼ばず、ジャポン、ジャポンと

言っていたのも気に入らなかった)、そして俺もちょっと調子に乗ったという理由から、

一本背負いとスリーパーが追加されてしまったのだ。正直あの状態ではなったスリーパーは

中途半端でやめることなどできないから、ジョイが気づいてすぐにとめてくれてよかった。

さもなければ大変なことになってしまっていたかもしれない。

それに殴ったり蹴ったりして相手を倒すのではなく、「投げ技」を使ったのも効果的だった。

ブラジルにはグレイシー柔術という優れた格闘技(これは武道だとは思えない)があるので

関節技が有効なのを知っている人は多いが、「投げ技」というのはあまりない。

小さな男が自分の倍近い男を投げ飛ばし絞め落とすというのは「外人」の勝手な想像の中

にある「小さいのに強い東洋人」像そのままなのではないかと思う。

かくしてニコは「本当にニコ(スチーブンセガール)だ!」といううわさが町に広がったのだ。

その瞬間はとても気分が良かった。何しろイヴァニオはワルじゃないが「嫌な奴」なのだ。

そいつをとっちめられたのは良かったが、もしこれが本当にひねくれた奴だったり根っからの

ワルだったら人前で恥をかかされたことを恨みに思い余計危険になったことだろう。

イヴァニオは俺のことを「アミーゴ」といえることに満足し、その後店に来るなりまずは俺に

「オイ、アミーゴ、トードベン?(おい兄弟、調子どうだ?みたいなノリ)」と声をかけるように

なり、俺もサムアップでそれに答えてはいたが相変わらず細かい問題を起こす、ジャイアンと

言うよりはスネ夫タイプなのだ。こいつとつきあっているといつか問題に巻き込まれそうな

気がしてならないが、ジョイには「余計なことを言うな」と言いつつもっとひどいことを自ら

やった。完全に自分がまいた種だ。愚かにも程がある。そう言う自覚が出てくれば来るほど

一瞬ヒーローかのごとく羨望のまなざしで見られた事を快感に思った自分を恥じると共に

問題の種を自分でまいてしまった後悔が重くのしかかるのだった。


次章 イヴァニオ倒して食に倒される・・・に続く